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摂食障害(過食症・過食嘔吐)無料相談 本当は怖い過食症ブログ

本当は怖い過食症

【ダイエット・摂食障害・拒食症・過食嘔吐の体験談ブログ】 摂食障害(拒食症、過食症、過食嘔吐、下剤乱用、チューイング・噛み吐き)は、本人が思っている以上に心と体を蝕む怖い病気です。 まずは過食症の本当の恐ろしさ、大変さを理解すること。 それが治すための第一歩です。 無料相談が出来るサイトも紹介しています。

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仕事も泣きながら

女性 会社員 31歳 B型 東京都

きっかけは中学2年のダイエット。

ちょっと太めだったことは気にしていたけれど、お正月後の体重測定で最高体重になり、
保健室の先生から「お餅好きなんだね」と言われたことが引き金に。

徹底した食事制限で半年で8kg減量し38kgに。
「華奢だね」と言われるようになった。

勉強や生徒会活動では結果を出したけれど、勉強第一で休日友達と遊ぶことが無くなり親友はいなくなった。
とうとう初潮がこなかった。ますます身体のコンプレックスが強まった。

高校は進学校へ。勉強で挫折感を味わうようになった。
部活は「始めたらやめてはいけない」という気持ちで取り組んだので苦しいだけだった。
年に数回の試験休みのとき、菓子パンを1,2個買って帰り過食嘔吐するようになった。

大学になると益々勉強が辛くなった。
夜間のバイトの帰りにコンビニ巡りをし、菓子パンと飲み物を買いあさり、
車内で食べて帰宅して家族に隠れて嘔吐するようになった。

一人暮らしをしたら無くなるのではないかと試したが、改善することはなく、1年で実家に戻った。
うつ状態になり、涙を流しながら授業を受けるようになり、精神科を受診し医師のカウンセリングを受けた。

消化器症状も辛くなり漢方内科を受診、過食症のことも打ち明け抗うつ薬やうつに効く漢方薬も処方してもらった。
この先生達は支えになった。

家族や彼氏、友人にも打ち明けた。

でも、彼氏に「今吐いていて苦しい」旨のメールを送ったら
「何も出来ない自分が情けなくなるからやめて欲しい」と言われ、隠すようになった。

両親は、病気のことを受け入れたくないようだったから隠すようになった。

友人に、「面白がっているんじゃないの」とメールしてしまい、絶交された。

今でもすごく後悔している。

どうにか卒業し就職、上京。
仕事のプレッシャーでたちまち過食嘔吐再開。

帰宅後夜中にかけ過食嘔吐し気持ち悪いまま仕事へ向かい、集中できなくてますます自分を追い込んだ。
休日は1日に2,3度やることもあった。

就職して4年目、改めて精神科受診、心理士のカウンセリングを受けた。
改善傾向は見せ2年くらいで卒業したけれど、再燃。

3年前に結婚し、夫といる時間が多くなったので頻度は減った。
しかし夫が夜勤の日や数時間遅く帰る時に、待ってましたとばかりに過食嘔吐することは続いた。

1回に食べる量が増えていった。

1年前くらいから消化器症状が悪化し、胃もたれ、ゲップ、吐き気がおさまらなくなり、
内科受診、内視鏡検査で逆流性食道炎と診断。下剤、胃薬を常用するようになった。

普通食嘔吐も始まった。

仕事も泣きながらその場凌ぎでこなすようになり、退職も考えた。
どうにか夫の支えがあり持ちこたえたが、もう限界だと思い、このセンターにたどり着いた。

1年前から不妊治療を始めているけれど、過食嘔吐が中途半端な状態で続けてはいけない、と気づけた。
克服して、明るい未来を掴みたい!
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つわりがきっかけで悪化

お腹に赤ちゃんがいても無理やり吐く。

この心の苦しさは健康な人には理解しがたいものでしょうね。

(以下相談者の方の体験談です)
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女性 主婦 30歳 AB型 愛知県

妊娠初期、私はつわりで肉と甘い物が食べられなくなりました。
特に大好きな甘い物が食べられないのが辛かったです。

つわりピーク時には食べ物自体受け付けなくなり、体重が7㎏減。
色々なダイエットを試しましたがそこまで痩せれなかったので内心喜んでいました。

でもバイトの子持ちの先輩からつわりで減った体重はつわりが終わると元通りになって、むしろ増えると聞かされました。
この話を聞いて私はせっかく減った体重を増やしたくない、そう思いました。

仕事中に度々少量の出血があって切迫流産の薬を処方されたり、体力的に辛かったのもあって4年近く働いていたバイトを辞めました。

専業主婦になり、家に一人でいる時間が多くなりました。
家事以外何をしていいか分からず、時間を持て余す日々。

知らない土地で話し相手は夫くらい。
その夫も仕事で疲れて会話の途中でも寝てしまう始末。
その事で何度も夫と喧嘩しました。

頭では仕方ないことと分かっていても妊娠中で精神不安定なのもあって気持ちがついていかなかったのです。
そんな生活で段々不安とストレスが溜まっていきました。

気晴らしに買い物へ行っても自分で稼いでいた時と違い夫が稼いだお金なので、以前のように気兼ねなく買い物ができなくて、それがまたストレスに。
ストレスが溜まる度に過食嘔吐をしてました。
過食しなくても食事の度に嘔吐が続きました。

水を飲んでも吐いてしまい、加えて去年の極暑で大量の汗が出るので眠れないほどの膀胱炎になり、お盆休み中の病院にかけ込んだこともありました。
幸い膀胱炎は薬をもらってすぐに治りましたが、その後は水分補給を心がけました。

妊娠中期になっても嘔吐が続いていたけど、つわりが長引いているだけと思っていました。

ある時、久しぶりにバイトの先輩に会って「少し顔が丸くなったね」と言われました。
ショックでした。

確かに最後に会った時より少し体重が増えていましたが、出産すれば減るし大丈夫と楽観視してました。

でもこの日から今まで以上に体重を気にするようになりました。

少なくなってた嘔吐の量が多くなり、過食嘔吐の回数が次第に増えていきました。

毎日朝の決まった時間に体重を量り、減っていれば安心感からか嘔吐が減り、増えていれば不安になり運動の量を増やしたり、無理にでも嘔吐しました。

この子のために

「子供のためなら過食嘔吐もやめられる!」

そんな風に思ったことはありませんか。

どんなに子供を愛していても、大好きでも、それでも過食がやめられない辛さ
経験したことはありますか。

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女性 主婦 34歳 O型 長野県

元から太りすぎで高校生には80㌔になっていました。
そこからの無理なダイエットと友達からの『吐けば良いんだよ』の言葉が私の過食嘔吐が始まりました。

結婚して三年。今子供は二歳です。
私も結婚したら…子供が出来たら…止められる…そんな安易な考えでした。

結婚して仕事を辞めてすぐに子供が出来た。嬉しくて幸せで夫と心から喜んだ。
その反面『これで過食嘔吐も止められる』とも喜んだ。

でも妊娠が症状を悪化させてそれが当たり前になって悪気さえもたなかった。
最初は悪阻で気持ち悪くて食べられなくてほとんど食べられなかった。

でも悪阻が終わった途端待っていたのは過食嘔吐の毎日だった。

夫が仕事に出かけて帰るまで毎日色々な店を巡って食べて吐いてを繰り返して
毎日お腹が張ってトイレで『ごめんね』言いながら泣いていました。

でも次の日には何処の店行って何食べようしか考えてなかった。
独身時代に貯めた貯金も全て過食嘔吐に消えた。

夫にもまだ悪阻があると言えば疑われなかった。
検診でも体重は5㌔弱しか増えなかったが浮腫と尿タンパクは必ず+でいつも注意を受けていた。

予定日になっても生まれず10日後誘発入院が決定。
入院の前の日までこれで妊婦で店巡り最後の虚しさで一番酷い過食嘔吐をした。

入院してやっと三日かかって産まれた娘は臍の緒が何重にも巻かれて羊水を飲んでいたり…
何より10日も過ぎていたのに2600㌘しかなかった。

だからすぐに抱く事は出来ず処置して保育器に入れられてしまった。
産まれてきてくれた喜びとごめんねの気持ちで涙が溢れて止まらなかった。

もう過食嘔吐を止めようと決めた瞬間だった。
でもそれは入院中だけだった。

実家に帰ったら親が母乳の為に食べろ食べろで体型が気になりやっぱり吐いた。
でもすぐお腹が空きまた食べるを繰り返していた。

親にたまに預けて車でコンビニ巡りして食べて吐くを繰り返した。一回親に見つかり泣かれた。
『意思が弱い!子供に申し訳なくないのか』と。

でも余計にストレスで過食嘔吐を繰り返した。

家に帰っても子供が寝てるのを見計らってお店に走り菓子パンやら
すぐ食べられる物を沢山買ってすぐ食べて吐いてを何度も繰り返した。

でもこれではだめだと思い夫に症状を打ち明けて心療内科き通い始めた。
でも『過食嘔吐はストレスのおまけ。歳をとればなくなる』と言われて
今も通っているが精神安定剤しか出してもらえず飲んでいますが全く過食嘔吐は治らず。

子供にも沢山あたりました。
沢山食べたくて吐きたくてでも時間もとれず何度も怒鳴り叩いたり無視したり…酷い母親。

沢山食べて動けなくて子供とも遊べず可愛そうな事を何度もした。
作るのもめんどうで子供にも同じ様に菓子パンを与えて甘い物ばかり与えて良くない事をした。

トイレにもついてくるようになり吐く時は戸を閉めて泣きじゃくる子供に私もトイレの中で泣いた。
あまりにもついてくるので吐いてるのを見せた事もある。

こんな自分が嫌いで大嫌いで子供にとって母親でいる事も嫌になった。
でもそんな私にママ、ママと来てくれる娘が大好きで今のままではだめだと実感しこの子の為に絶対治したい!!

そしてこの子にも兄弟を作ってあげたい。

こんな母親、許されますか?

女性 主婦 32歳 O型 福岡県

大学生になった私。
姉、兄みたいに有名な大学じゃない。
とりあえず、受かって良かった。
大学生になったらバイトもいいよ。と言われてたし、バイト♪
人前に出るの苦手だし、お料理が好き。
ピザーラのバイトに決めた。
夜、10時くらいに週4回ピザを食べる生活。
私、太ってきたかも。

よく食べる友達がいた。でもスリム。羨ましかった。
私も羨ましいと思われるものが欲しい。
吐くことを覚えた。
「よく食べるのに痩せてていいな」と言われるようになった。
できのいい姉、兄の日陰で褒められたことのなかった私は快感だった。

大嫌いだった母の食事も吐いた。
一生懸命、母が手をかけて作った食事も吐いちゃえば私の中に残らない。
母に仕返しができている気分で最高だった。


つきあって5年の彼がいたけど、イケメン君だった。
この人の隣にいると痩せてみえないことが嫌になった。

太ってる人に交際を申し込まれた。
この人の隣にいると痩せてみえることが嬉しくて、つきあった。
そのまま結婚した。


生理のない私はお薬を処方してもらって、注射をして、子供を作った。
子供がいても、寝てる間に過食して、育児のストレスを逃した。
育児ノイローゼになる人はストレスをうまく逃せなくて馬鹿だと思っていた。

子供は4人と言っていた夫とお薬、注射で4人の子供を授かった。
2回目の妊娠は流産した。
過食のせいだと泣き、3ヶ月は過食しないで過ごしたけれど衝動におそわれ、過食。
また元の生活に戻った。


4人目妊娠中に医師から宣告された。
「臍の緒の動脈が足りません。栄養がじゅうぶんに届いていなくて脳の萎縮があるかもしれません。大きい病院で検査をおすすめします。」
検査して、疾患児であることが分かった。

産まれたら、いっぱい栄養のあるおっぱい飲ませてあげるからね。とそれからの食事にも気を配り、いいおっぱい飲ませてあげたい。とただただ願った。

産まれてすぐ、救急車で運ばれて行った。

先天性食道閉鎖症。
口と胃がつながっていなかった。

産まれても尚、栄養をもらえない我が子は点滴と呼吸器をつけて保育器の中にいた。
すぐに手術をして、チューブから直接胃におっぱいを流した。
お腹の中でも産まれてからも栄養を拒むように見えた。

すべて、自分の過食のせいだと思った。
それから、食べ過ぎても吐かない。と心に決めた。

約2ヶ月の我が子の入院中、おっぱいを搾って届けた。
食べた量と搾乳が比例する。嬉しかった。

退院して、体の弱い三男とまだ2歳の次男を連れて出かけるのが大変で
引きこもった生活をした。
ストレスが爆発しそうだった。

1回だけ・・・。と過食した。
心が軽くなった気がして、毎日の過食が戻った。
あっという間に元に戻った。

三男の顔を見ると、あの決心はなんだったんだ。と心が痛む。
でも、過食なしに自分のストレスをどうしていいのか分からない。
自分がとことん弱い人間に見えて、悲しくなる。

長女に、宿題したの?忘れ物ない?と強い口調で言う。
けれど、心のどこかで、自分が笑う。
こんな私にだけは言われたくないよね。と。

過食嘔吐の大き過ぎる代償

女性 無職 31歳 O型 石川県

13年間、隠れて過食。隠れて嘔吐。
部屋で吐き、部屋に嘔吐物をためた。嘔吐物臭かった。
お風呂で吐き、トイレに毎日顔をつっこんで吐いた。

お母さんに見つからないように。
お父さんに見つからないように。
彼氏に見つからないように。
大量に買い物する姿を知り合いに見つからないように。
見つからないように、ビクビクするようになった。

最初は菓子パンで満足できたのが、それじゃ満足できなくなった。
美味しいお肉が食べたくなって、あたたかい料理が食べたくなって、自分で大量に作って食べるようになった。
ごはんを我慢してたから、ごはんを食べたくなった。
6合炊いて、カレーを作って、肉を焼いて、シチューも鍋に一杯作って、ケーキを買って、和菓子屋さんで季節のお菓子を買って、食べて吐いて食べて吐いて、最初はおいしい。
そのうち食べたいのか美味しいのかどうでも良くて、ただ、口に入れた。
毎晩、お腹は生まれる寸前の妊婦さんのように丸くふくらんだ。

太るのが怖くて、必死で吐いた。
吐けない日もたくさんあった。
どれだけ指を入れても吐けない。
お腹にはいってるのに、ちっとも吐けない。
怖くて、怖くて、泣いた。

毎日私はむくんでた。
毎朝、二重が、一重になった。

すごい後悔が襲っても、夕方にはスーパーへ自転車を走らせる毎日。

万引きをするようになった。
毎日万引きするようになった。
食料品ばかり。

万引きが見つかった。
五千円くらい、肉団子やお惣菜、お弁当、お菓子、菓子パンなんかを万引きしようとした日だった。
警察に連れていかれた。
実家に電話させられた。
お母さんに泣きながら、謝った。
北海道で一人暮らししていた私は、迎えにきてくれる知り合いがいなくて、アパートの大家さんが迎えにきてくれた。
大家さんとふたり、万引きした袋一杯の荷物を持って、警察からアパートまで歩いた。
その日も、わたしは、その万引きしたものを過食した。

後日、警察署で、しもんをとられた。
しもんをコンピューターに記録させられて、思った。
私は犯罪者だ。

情けなかった。

たくさん、ウソをついた。
過食している途中に電話がくると、電話に出なかった。
気付かなかったと、ウソをついた。
遊びにくるという友達や先輩や彼氏、すきな人に、いつもウソをついた。
誘ってくれる友達に、いつもウソをついた。

太っている人をみて、見下していた。

過食の為にお金が必要だった。

私は、ヘルスで働いた。
実感がなかった。
自分の堕落っぷりが「ドラマみたい」と笑えた。

デリヘルでも働いた。
お金をもらい、その足でコンビニでたくさん惣菜とお菓子を買って、食べて、デリヘルの待合室に使ってたマンションのトイレで吐いた。
デリヘルでは、優しくしてくれる男性をみつけた。
もちろん不倫だった。
優しくしてくれる、可愛いといってくれる、痩せてて完璧だねって褒めてくれる人に甘えて、「好きになった」とウソをついた。

優しくしてくれる人、可愛いといってくれる人なら、誰でも良かった。
いとんな男の人とBARで出会って、寝て、別れた。

さみしかった。

好きになっても、求めるばかりで、相手を束縛して、そのうちすぐにダメになった。
男性に依存している。

アルコールにも依存している。

過食嘔吐に依存している。

食べること、酒を呑むこと意外に時間を使えない。

趣味がない。

食べることしか考えてない。


会社で、人の顔色ばかり気にしていた。
女の先輩に嫌われるようになった。
頑張って笑った。
毎日の過食1万円を超えるようになり、生活は破綻した。
うつ病になった。
会社へ行かなくなった。

実家に強制送還になり、ひきこもりになった。
父親には、「こうなったのは、あんたのせいだ」とののしった。
毎日泣いた。
手首を切った。
ウイスキーに焼酎を入れて飲むようになった。
毎日泣いた。

誰かに優しくしてもらいたくて、がんばって、むちゃなダイエット。
絶食に加えて、毎日プールで3キロ泳いだ。
プールでは、毎日足がつった。足がつっても、サポーターをして、毎日3時間泳いだ。
20日ほどで、15キロは平気で落ちた。
やせて、男と寝た。

55キロの体重は、一ヶ月の過食で平気で75キロになる。
ネットで知り合う男の人が好きになれば、無茶なダイエットをした。

そのくりかえし。

彼氏とはいつも長くは続かない。

生理がこなくて産婦人科へ行ったら、妊娠はしてなかった。
ついでに癌検診もしてくれた。
子宮に腫瘍が見つかった。
悪性ではなかったけど、検診はかかせない。

性病にもなってた。
クラミジアだった。


全部、過食症のせい。

青春と、お金と、人格を、過食症のせいで失っている。