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摂食障害(過食症・過食嘔吐)無料相談 本当は怖い過食症ブログ

本当は怖い過食症

【ダイエット・摂食障害・拒食症・過食嘔吐の体験談ブログ】 摂食障害(拒食症、過食症、過食嘔吐、下剤乱用、チューイング・噛み吐き)は、本人が思っている以上に心と体を蝕む怖い病気です。 まずは過食症の本当の恐ろしさ、大変さを理解すること。 それが治すための第一歩です。 無料相談が出来るサイトも紹介しています。

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体も心も蝕まれ・・・

言い訳をしながら続ける過食。

ごまかしが効かなくなるのは、体への影響と
それ以上に心がすさんでいることに気が付いた時でしょう。

(以下相談者の方の体験談です)
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女性 会社員 33歳 東京都

高校の時、きちんとカロリー計算をしながら始めた3kg目標のダイエット。
そこから拒食症が始まり、高校卒業まで続きました。

大学進学で環境が変化したのを機に過食症に転じ、その後何年もの間、短いスパンで拒食と過食を繰り返すようになりました。

拒食期には体重が面白いように減るので、危機感を感じたことはありませんでしたが、過食期になると、日ごとに増えていく体重や、洋服がきつくなっていく感覚に ぶつけようのない怒りや焦りを感じ、いつも人目を気にしてうつむいて歩く毎日でした。

ある日、吐けばリセットできるということに気付き、そこから7年、過食嘔吐が続いています。

私の場合、昼間外にいる時には症状の気配すら感じません。
人並みの量で ちゃんと満腹感も感じます。
なのに、帰宅時になると突然 心にぽっかり穴が開いたような何とも言えない孤独感が襲ってきて、とにかく寂しくて、悲しくて、虚しくて、そんな気持ちのままコンビニやスーパーで食べ物をたくさん買い込み、帰宅するなり無心で食べて、吐ける限り吐く。。。

吐いた後は体重計に乗り、元の体重に戻ったことを確かめるのですが、それでも僅かに胃に食べ物が残っている気がして下剤を大量に服用してから就寝。

昼間の冷静な頭で考えると、夜のたった数時間のことだから何とか理性で抑えられるはずだと思うのですが、いざ仕事を終えて帰路に着くと、完全にそのような考えは頭から無くなり、何かに支配されたかのように心を失ってしまいます。
そのうち、夜の数時間のことなので、この際習慣として受け入れようと思うようになりました。

受け入れたことで少し心が軽くなったのか、食べる量は自然に減り、ピークの頃の半分ほどになりました。

ところが、食べることを楽しむという発想が芽生えてしまい、美味しそうなもの、好きなもの、その日に食べたいものを値段に関係なく選ぶようになり、結果、過食費は増えてしまいました。

それでも「夜だけの日課」だと思っているうちは良かったのですが、徐々に胃の痛みが慢性化するようになり、時には喉にも炎症を起こすようになってきました。

更には だんだん心まで蝕まれ、昼間は何ともなかったはずが、移動中や仕事の合間に一息ついた時にまで寂しい気持ちを感じるようになり、果ては人の愛情や優しさを全く感じられなくなってしまいました。

寂しくてたまらないのに、誰に どうやってそれを伝えればいいのか分からない。
甘えさせてくれそうな人はいる。
でも、甘え方が分からない。

いい子じゃないのに、強い子でもないのに、最初から「いい子いい子」されすぎて、弱い自分、みっともない自分をさらけ出すことができずにいた自分。
「いい子」を演じることが当たり前になっていた自分。
「自分は強い」「感情なんかいらない。涙は枯れた」と自己暗示をかけ続けていた自分。
全ては表面的で、形だけのもの。

見た目を褒められる度に、心の中では「当たり前」だと思い、友情も愛情も、結局は見た目にくっついてきているだけだと思うような、悲しい心の持ち主になってしまった自分。。。

昔の私は、こんな醜い心の持ち主ではなかった。
温かい心を持っていた頃の心境を思い出すことはできるのに、戻ることができません。
それどころか、人としての温かさはどんどん失われている気がします。

今は、まだそのことを冷静に考えられる自分が残っています。
温かい心も、理性も、まだ完全には失われていません。
このまま放置すれば、完全に無気力感に支配されてしまいそうな自分がいます。
そうなる前に、何とか ここで、病気と決別したいです。
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治りたくない心

「自分の個性だから」「ストレス解消だから」
「太りたくないから」「食べるのが好きだから」etc…

こういった『治りたくない』言い訳をするのは、摂食障害特有の心理状態です。

このまま病気を続けていて、本当に幸福ですか?

(以下相談者の方の体験談です)
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女性 無職 34歳 富山県

摂食障害になって、12年になりました。
最初はダイエットによる拒食症になり、一年後に過食症に移行しました。

進学で上京し、22歳の頃に飲食店の店長をやってました。
休みは月に1~2回程度で、朝から深夜まで働き、寝に帰るだけの生活でした。
スタッフは自分以外、高校生か主婦のアルバイトで、家に帰っても独り。
抱えている孤独・虚しさ・辛さ・プレッシャーを誰かにわかって欲しくて、
わざとダイエットしました。
どんどんガリガリになって、ボロボロになった姿を心配してくれるのが嬉しかった。
完全に、インナーチャイルドの働きですね。

倒れて実家に帰省しましたが、太りたくない、戻りたくない一心で、
一年間は普通の食事ができませんでした。

心療内科に行って、薬を飲んだりカウンセリングをしたりしたけど、
何の変化もありませんでした。
心は、拒食を抜け出したいと願っていませんでした。

そんなある日、ふと食べたアイスが止まらなくなり、
その日から過食が始まりました。
食べても食べても満足しない、ブラックホールのようになっていきました。

家族が寝静まった夜になると、コンビニを幾つもはしごし、
運転しながら食べ続けました。
ハンドルがベトベトでもお構いなしでした。
お金も気にせず、カゴにバンバン食べ物を入れて行く姿は、
餓鬼に取り憑かれてる様でした。

幼い頃から嘔吐恐怖症だったので、吐くことができません。
気やすめに胃薬と下剤を乱用し、浣腸まで乱用しました。
もちろん太っていきました。
どんどん太り、体を見るのが嫌でお風呂も入れず、
一年間は家に引きこもりました。

母親は全部知っていたので、辛い時はよく当たっていました。
泣き叫んだり、死にたいと言って家を飛び出したり。
申し訳ない気持ちで一杯です。

長くなるので、その後の生活サイクルは…
必死にダイエットをし、拒食で痩せてくる→普通に仕事もできて友達とも会える→反動で過食が酷くなる→仕事もできなくなり、誰とも会えなくなる→
これを何度も繰り返して、いつの間にか34歳になってました。
20代後半からは、アルコール依存症も併発しました。

この生き方にピリオドを打ちます。
いい縁をして幸せな家庭も持ちたいし、
生理も復活させないと子供も無理でしょう。
やりたい夢もあります。
いろんな理想の未来が、今の私にかかっています。
この書き込みをして良かったです。
完治の未来のイメージを、必ず実現していきます。

止めることも死ぬことも出来ない

食欲も自分の体も生き方も思い通りにならなくなる。

摂食障害の悲惨さは、出来ると思っていたことが
普通に出来なくなってしまうことでもあります。

(以下相談者の方の体験談です)
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女性 公務員 30歳 沖縄県

もう10年目になりました。
はじめは病気じゃないし、いつでも止められると思ってました。

一番辛かったのは、誰にも言えなかったとき。
天真爛漫なキャラだったので人前と一人のときで、全く違ったと思います。

毎日、笑顔で仕事して、帰りには食べ物のことしか頭になかったです。
毎日食べて、吐いてむくんで何をしてるんだろうと自分を責めてばかりでした。
食欲と言うよりは無意識に口に食べ物を運んでいて美味しいと思ったこともなく、お腹いっぱいであっても食べてました。

お給料のほとんど使い、クレジットカードを止められたことも何度かありました。

このまま行けば、破産し、体もボロボロで大変なことになると思います。

今は結婚して子供いますが、いつ犠牲になるか不安で一杯です。

逃げたくて死にたくて、でも出来なかったです。
自分でどうすることもできないホントに怖いと思います。

22kgから120kg

摂食障害で生死をさまよう。

そんな経験をされた方の貴重なお話です。

(以下相談者の方の体験談です。)
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女性 自由業 33歳 東京都

私は摂食障害で、ほぼ楽しい思い出がなく、食べ物にまさしく依存してる時間を大半は送ってます。

きっかけはストレスによるダイエットです。
なぜか、痩せて嬉しくて毎日が充実しつてました。

元々、節約をするために始めたダイエット。
お金も溜まり親孝行も私なりに出来て、生まれて初めて自分大好きーて感じでした。

そんな時、家庭の事情で上京。
働きすぎだからと言われ、しばらく休むと、益々ダイエットにのめり込み168cm.38Kgになり、私は変なの?と思い病院に行き、摂食障害という病気に出会いました。

それからは、通院では無理になり、閉鎖病棟に入院。
早くも一週間後に初めて過食。
とても、怖かったのを覚えてます。

拒食症であったために、親は驚きながも、食べない訳ではないので、売店、スーパーで大量に食べ物を与えてくれました。

それを、看護師の目を盗み朝まで食べまくり、のどまで食べ物がきてるのに、寝ずにまた親を呼び、食べ物をねだりました。

元々は節約のため初めたダイエットですが、この時点で、過食代のほかに、病院代、エステ代、ダイエットサプリに、下剤と、貯金もマイナスになりました。

体重が元に戻っても過食は治まらず、今度は、わざわざ風俗にお金を稼ぐためと、ダイエットのためにいき、見事狙い通り拒食になりました。

この時点で下剤は毎日30錠が当たり前になってました。

そして一年で過食、また拒食、過食、絶食、運動。
つらくて、周りが羨ましくて、親にあたり、死ぬ事を決意《今考えれば半分は、食べる言い訳》して、120キロまで狂ったように食べ続けました。

しかし、死ぬ勇気もなく、過食嘔吐…

そして、嘔吐がきつくなり、拒食、動けるなくなり、また寝たっきりの生活に。
パンパースをして介護をしてもらい、体重は22キロ。

それでも痩せてるとは思えず、最後は決めてたカロリーより、たった80キロカロリー多く食べた事がこわくなり、下剤を250錠飲み意識不明なり、3日間は、もう死ぬと分かってる拒食症は嫌がられ、何件か救急車で搬送されても断られ、運良く3日目にICUにはいり、命を救われました。

この間、私は覚えませんが、親にはかなり怖い思いをさせたと思います。

そしてこの時、私が意識を取り戻すと、私より若い男の看護師さんが便がついたパンパースを交換してくれてました。
すごく、恥ずかしく、惨めでした。

じゃあ、治せばいいのに体重が増える恐怖で、勝手に退院。
親をまた泣かせ、家につくと、過食、そして閉鎖病棟に入院。
そこでは、食べたくて、職員や周りの人の食べ物を盗食してまで、食べました。

摂食障害は、ほんとうに怖い病気だと思います。


この病気で、友達も失いました。
彼女は拒食症で、1人暮らしなので、孤独死してたみたいです。
亡くなったときいたときは、なんとも言えない感じでした。
摂食障害にさえなっていなければと悔しいです。


私自身は8回精神科に入院し、独房にも入り、悔しく、寂しい思いや笑うという事も楽しむ事も出来なくなる日々が8年は続きました。
そして、完治した様に思えても心のどこかでは、体重、食べ物が頭から消えません。

過食に関しても、誰でも食べすぎる事はあるのに、まあいいかと思えない時が多くて余計食べすぎたり、痩せても幸せではないのに痩せなきゃ普通じゃあないと思えたり、呪いにかかってる感じがします。

病気にならなきゃ、友達も失わず、時間もお金も思い出もそれなりにあったのにと、先の不安と後悔でいっぱいです。

親にも口では言い表せない程の苦労をかけました。
病気は、きっと意味があってなったと思うので納得はしてますが、これからの未来は治して心から笑えて、食事をしていきたいです。

長文になり、まとまりが悪いですが、私の摂食障害の体験でした。

子供の心に傷を残さないために

女性 会社員 33歳 東京都

高校1年の時のダイエットがきっかけで、拒食→過食を経て、過食嘔吐に。

大学に行ったら、止まるかも。
就職したら、止まるかも。
結婚したら、止まるかも。

人生の節目の度にそう思ってきたけど、止められなかった。

でも、一つの命を産み育てるという、妊娠・出産となれば、今度こそ止まると思っていた。

長男を妊娠したのは、過食嘔吐15年目の30歳。

初めての妊娠で気持ちは高揚、そこに加えて体重増加にすごく厳しい産院だったので、拒食ぎみに。
もともとお酒が大好きで毎晩かなり飲んでいたのをやめたことも手伝って体重が減っていき、ルンルン♪ 

安定期に入ったら、太りすぎないよう、会社から2時間歩いて帰ったり、かなりストイックな妊婦生活を送っていた。

ところが、妊娠7か月の時、切迫早産に。

入院こそまぬがれたものの、食事とトイレ、お風呂以外は寝た切りという完全な自宅安静を言い渡される。
寝た切りということは、カロリーを消費しない。

ただでさえ太りやすいと言われる妊娠後期。
カロリー計算に拍車がかかり、1日1000キロカロリーくらいの食生活を送ってしまった。

今思えば、助産師さんのそういう方針もどうかと思うのだけど、検診のたびに減ったり、
もしくは横ばいの体重で誉められていた私。

検診の時に体重を増やさないように、という思いがあったため、検診まではローカロリー生活で頑張り、
検診が終わると、産院の下のコンビニで食べ物を買い漁ってタクシーで帰宅。(お腹が重いし、大量の食べ物で歩いて帰ることもままならなかったのです)

そして、もちろん、その後は嘔吐、嘔吐、嘔吐。

この長男の時は結果的に、何の問題もなく出産することができましたが、同じような妊娠生活を送った第2子の時は、
予定日通りなのに出生体重が2100グラムしかなく、かなり危険な数日を送ったのです。

今思えば、長男の時の切迫早産も、第2子の低体重も、拒食&過食嘔吐が原因。
当時は、原因がそこにあることにすら、まったく思いがおよびませんでした。

でも、もっと大変なのは、出産してからでした。

妊娠中、体重を増やさないことにすべての意識がいってしまっていたので、その反動で出産後は甘いもの、カロリーの高いものの“奴隷”に。
赤ちゃんが寝た時を見計らって近くのコンビニに走り、大量のスイーツやスナック菓子を購入してきました。

帰宅して、せっかく今から食べようという時に赤ちゃんが起きると、イライラ、イライラ。
赤ちゃんのうちは、無理矢理オッパイで寝かしつけたり、抱っこ紐で抱っこしながら食べたり。

お座りできるようになると、菓子パンやスイーツの包み紙で遊ばせながら、その前でむさぼるように食べまくっていました。
1歳を過ぎてからは、子供の好きなテレビを見せ、食べ物を与えて気をそらしている間に、食べ物を詰め込み、トイレで吐く日々が続きました。

出産前は、出産で過食嘔吐が止まると思っていたのに、止まるどころか、育児のストレスが過食嘔吐に拍車をかける結果です。

子供のためにと作った手作りのおやつを全部食べてしまったり、甘くておいしい粉ミルクをなめつくしてしまったり。
夜中に家中の食べ物を食べつくしてしまい、朝になって、子供に食べさせるものが何もなくなり、呆然としたり。

さらには、過食嘔吐を止められない自分に対する自己嫌悪がストレスとなって、それを子供にぶつけてしまう自分。
最初は、怒鳴るだけだったのが、捨て台詞をはくようになり、手を上げるようになり、子供が脅えた目を見せるまで言葉で追いつめるようになり……

それでも、そんな私を「ママ、ママ! ギューして!」「ママ、好き!」と慕ってくる長男。
これ以上、長男の心に傷を残さないためにも、今ここで過食嘔吐を止めたいと強く思っています。

世代間連鎖は、絶対に避けたい!!