[PR]
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
【ダイエット・摂食障害・拒食症・過食嘔吐の体験談ブログ】 摂食障害(拒食症、過食症、過食嘔吐、下剤乱用、チューイング・噛み吐き)は、本人が思っている以上に心と体を蝕む怖い病気です。 まずは過食症の本当の恐ろしさ、大変さを理解すること。 それが治すための第一歩です。 無料相談が出来るサイトも紹介しています。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
33834 過食症になって 2006/08/05 20:55
女性 会社員 35歳 A型 愛知県
過食症になる前、私はダイエット成功してそれまでデブだぶすだかわいくないって言われてたのにちょっと男の子が近寄ってきてくれるようになって嬉しかった。
家にいたくなくて誰でもいいから電話したらすぐ迎えに来てくれて家から連れ出してくれる人をさがしてて。
バイト先で知り合った同じ年の男の子は夜中でもいつでも呼んだらすぐきてくれるからこのひとだけは私を本当に愛してくれる人だって思ったの。どんなに忙しくても毎日会いに来てくれて、
ママもパパも私にかまってくれなかったけど彼は違うって思った。
生まれて初めて愛されて幸せって思ったよ。
なのに付き合い初めてからなんでかわからないけどどんどんお酒と食べ物が欲しくてたまらなくなって
彼とつきあってから家にもあんまり帰らなくなって学校もあんまりいかなくなって彼といつもいつも一緒なのに過食が止まらない。
だんだん太っていってこのままじゃ捨てられるって思って吐いちゃおうって思った。
最初は食べ過ぎたときだけ吐けばいいやって思ったけど半年もしないうちに吐きやすい食べ物はどれ?とか考えながら食べるようになった。
吐いてるのにどんどん太ってった。
その頃はバイトのお金だけでは過食費まかなえなくってとうとう親の財布からお金とったりしてそれが見つかってそしたら今度はもうできないからサラ金に手を出した。
最初は5万くらいだったのにたった2年くらいで100万近くなって結局ママに見つかってどうしようもない子ってお金は払ってくれたけど理由は聞いてくれなかった。
どんどん太っていくのに彼は見捨てないで結婚してくれた。
こんなに醜くなっても結婚してくれるんだから本物の愛なんだなって思って彼といつも一緒にいたら治るかもって思った。
だけどどんどんひどくなった。どんどん体重は増えてからだがだるくて重くて何もする気になれなくてどんどん家も散らかって最低の妻だなって思った。
だから今度は彼がサラ金に手をだしても浮気しても遊んでてもだってこんな私と一緒にいてくれるんだから、どうしようもないのに見捨てないでくれるんだからいいって思った。
だけど彼はもう私を好きじゃなくなったって言った。もうどうにもならなかったの。
お金もなくってしかたなくてだいきらいな家に帰って寂しくて寂しくてまた過食ひどくなってこわくって
ネットで知り合った人と会って恋愛ごっこしてでも寂しくて誰もわかってくれないって思った。
生きるのも辛くなってカウンセリング始めて3ヶ月たったらね、生きたいって思うようになったのだけど体がついていかないの。
初めて生きたいって思ったのに、私の体は病気になっちゃうかもって思った。
そう思っても過食はとまらなかった。それでセンターに電話したの。
30646 妊娠中出産と過食嘔吐 2006/06/12 21:53 女性 主婦 38歳 AB型 愛知県
30歳をむかえる頃には、生理も始まりました。37歳の時妊娠が分かり喜びもつかの間、出血があり病院へ‥切迫流産と診断される。絶対安静を指示されるも折を見ては、過食嘔吐をする。この時の惨めさといったらなかったです。子供の命まで犠牲にする気か!!母親失格!!!と自分を責めつつ、それでもやめられなかった。その後1ヶ月出血が続いた。
お腹が大きくなってからの過食嘔吐は、非常に辛かった。嘔吐の後は、お腹の赤ちゃんが狂ったように暴れるんです。赤ちゃんがすごく苦しそうで不安と心配で「もう二度としないからね、苦しめてごめんね」って泣きながら謝っていました。
それでも過食嘔吐が止まっている日が3日と続かず結局、出産前日まで過食嘔吐しては、後悔と反省を繰り返していました。出産当日から3週間自然に過食嘔吐は、止まってしまいました。私の過食嘔吐暦の中で最高記録。その後再発して今に至りますが、生後3ヶ月の子供をかかえての過食嘔吐は、肉体的精神的に限界です。
今の状況は、純粋無垢な子供にとってかわいそうでなりません。
30640 過食症になって 2006/06/12 21:09 女性 主婦 38歳 AB型 愛知県
17歳の時過食で急に体重が増えて18歳の時過激なダイエット、その後リバウンドが怖くて過食嘔吐するようになりました。体重が35㎏まで落ちても0.1gでも増える恐怖にとりつかれて執拗に吐いていました。生理も10年間止まっていました。
友人と食事をしていても突然過食のスイッチがオンになったりすると落ち着きがなくなり言い訳して早く帰ったりで付き合いが億劫になりだんだんと友人も減っていきました。
私の場合トイレでは、嘔吐できず自宅のお風呂場でしか吐けないという制限があった為余計に人付き合いが悪くなり孤独で寂しい空虚な日々を送っていました。
寂しさをまぎらわすために過食嘔吐も益々ひどくなり多い時には、1日5~6回毎日という生活を7年程続け歯もボロボロで今は、インプラントと部分入れ歯というさんざんな状態です。
30119 過食嘔吐がどれだけ残酷な病気か 2006/05/30 06:08 女性 主婦 39歳 O型 京都府
私がどれだけ過食嘔吐で苦しんできたかを知ってください。私は今、39歳、小学生の娘2人をもつ母親で、夫も入れて4人の核家族です。7月中に仕事は辞めますが、今はまだ働いています。
私がダイエットを始めたのは高校2年生のころです。小さいときからぽっちゃりしていて、体型に軽いコンプレックスがありましたが、高2の時に一念発起して、ダイエットを始めました。体重はみるみるへり、165センチなのに50キロを切るところまでいきました。
ところが高3になって受験期になると、関心事がダイエットから勉強に移りました。また親の希望(医学部)に沿わない進路を選んだため「医学部に行かないなら○○大ぐらい入ってもらわないと困る」と言われ、それがものすごい重圧となり、食べて勉強し、食べて勉強しで、あっという間に10キロ太りました。
精神的には親のロボット、いや奴隷であった私は、とりあえず親の指定した大学に進学したものの、心は空虚でした。しかし小さいときから「他人よりいい成績である」ことに最大の価値を置く母親、それから常に父親の顔色をうかがう生活、親が気に入らないことがあれば、さとすよりまず殴る・たたく、そんな家庭から離れて下宿を始めたときには本当にせいせいして嬉しかったです。一人暮らしがさみしいという友人が信じられませんでした。今でも親のことは嫌いです。
下宿を始めてとりあえず再びダイエットをして5キロぐらいやせたものの、その後にはすぐ過食し、嘔吐するようになりました。嘔吐することをどうやって知ったのかは覚えていません。多分やってみたらすぐ吐けたのかな?最初は1週間に2回ぐらいだったし、「食べ過ぎちゃったなー」ぐらいで、まさかこれが長く苦しい過食嘔吐の入口だとは思っていませんでした。
3年生になると、過食嘔吐を1日に最低1回はするようになりました。友達が誘ってくれても、なんだかんだと理由をつけて断り、頭の中は今日の食べ物はどこで買うか、ということでいっぱいでした。
4年生になると、卒論を書くことが主な作業となり、時間に融通がきくようになったこともあり、過食嘔吐はエスカレート。1日に3回、4回と過食嘔吐を繰り返し、食べ物がなければ卵とバターと小麦粉を混ぜてあっという間にクッキーのようなものをオーブントースターで焼いて食べるようにさえなりました。当然勉強は進まず。集中力も低下。ものを口に詰めこみながら、無意味に本やノートを机に広げ、夜明けまでただただぼんやり眺めていただけの日も数知れず。「ヘーゼルさんの論はおんなじところを回っているばかりで全然進んでいない」と指導教官にも怒られ、ものすごく焦りは覚えたものの、下宿に帰ればやっぱり過食嘔吐の連続で、「助けて、私はどうなるの」と半狂人のように感じていました。
それでも何とか卒業し、過食嘔吐も誰にも知られず、会社に就職しました。その部署で初の女性総合職として採用され、気持ちだけは「私が頑張らないと後が続かない」「やらなくちゃ、やらなくちゃ」というものでしたが、やはり寮に帰れば過食嘔吐、休日も同僚の目を盗んでトイレで嘔吐、という悲惨な毎日で、仕事中も集中力が続きませんでした。
23歳の時今の夫に出合い、24歳で結婚しました。夫がすぐに海外に赴任したため、新婚生活は海外で始まりました。生活が激変したこと、また実家の戸籍からも名を抜き、完全に法的に親から離れたことで、ぴたりと過食嘔吐が止まりました。海外からは1年少々で帰国したのですが、結婚後11年間、全く症状が出ませんでした。この間妊娠・出産で2人の娘を授かりましたが、その間も平穏に過ごすことができ、「あの苦しい過食嘔吐の時代は何だったのだろう」と思うくらいでした。
ところが何と11年もたってから再発。スポーツを始めて少しやせたところ、「この体重をキープしたい」と思い始めたのがきっかけです。我ながら本当に信じられませんでした。どうしてまたこの病気が出てきてしまったんだろう。まるで壁に塗り込められた死体から怨霊が抜け出し、私の血の中を巡り始めた、そんな恐怖をおぼえました。
「どうしよう、どうしよう」と思っているうちに、それまで晩ご飯の後にしか過食嘔吐していなかったのが、ある休日午前11時ごろからしてしまったのです。これはまったく、学生のころ、たどったのと同じ経過です。ということは、一日に3回、4回と過食嘔吐し、食べ物のこと以外は何も考えられない日が再び来るのか…この考えが頭の中をよぎったとき、すでに経年増加の経験が一度ある私が感じた恐怖心は並大抵のものではありません。嘔吐したとたん、次の食べ物のことを考える…、目の前にやらないといけないことはたまっているのに、食べることばかり考えて動けない…、すべてのことが面倒になり、まるで引きこもり状態で食べ続ける…、なんと恐ろしいことか。人間であって人間でない。そう、覚せい剤の常用者と同じです。ボール玉になって、その坂を転がり始めた自分が自覚できました。そしてすがるような思いでセンターにやってきました。
11年間も止まっていたのはなんだったのだろう…。結局、環境の変化でマグマを封じ込めていただけなんですね。母は私を肉体的・精神的に追いつめ、私は過食嘔吐、では私の宝物である二人の娘はどうなるのか!? それを考えると、絶対に完治しなければならないと思います。
私には男の人に走るとか、借金をしてまで食べ物を買う、とかの経験はありません。だからちょっとインパクトに欠けるかもしれないけど、この病気の恐ろしさはまさに「心とからだをむしばむ」という一言に尽きると思います。
最近掲示板に来られたお友達、初期停止しても、多分また再発します。この病気は一度は自分の心に深く深く向き合わなければ絶対に治りません。11年の停止を経験した私が保証します。(保証などされたくないですけどネ!)一度しかない人生を無駄にしないよう、いっしょに完治をめざしましょう。