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摂食障害(過食症・過食嘔吐)無料相談 本当は怖い過食症ブログ

本当は怖い過食症

【ダイエット・摂食障害・拒食症・過食嘔吐の体験談ブログ】 摂食障害(拒食症、過食症、過食嘔吐、下剤乱用、チューイング・噛み吐き)は、本人が思っている以上に心と体を蝕む怖い病気です。 まずは過食症の本当の恐ろしさ、大変さを理解すること。 それが治すための第一歩です。 無料相談が出来るサイトも紹介しています。

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気がつくと40歳

女性 主婦 40歳 B型 京都府

過食嘔吐が20年目になりました。

今までに何度も止めようと誓い、実際何年か食べ吐きせずに過ごせていた時期もありましたが、結局心が不安定になると過食へ逆戻りの繰り返しでした。

20年間も治らないことが最も恐ろしいですが、
長引くごとに食べる量も回数も増えていくこと、
虫歯だらけになること、
胃がんや咽頭ガンのリスクが増すこと、
痩せるわけではない上に栄養不足で肌も髪の毛もボロボロになり老けてしまうこと、
体力がなくなり年中だるいこと、
喉がどうにからなっちゃって息苦しいことなど、

身体が蝕まれていくのがこの病気の怖さの一つですが、
それ以外にも、いつまでも吐き続けることへの後ろめたさや自信喪失、身体がおかしくなってゆく恐怖や、食べることに支配され常にイライラした精神状態など精神的にも大きなダメージをこうむり、そしてそれがコントロール不可能になってしまうことが本当に恐ろしいことです。

過食嘔吐のために失った膨大な時間も戻ってきません。


人生のかなりの部分を台無しにして気がついたら40歳です。


きちんと治さなければ60歳のおばあさんになっても止まらなかったかもしれないし、
その前に寝たきりになってたかもしれない。

咽頭ガンになって死んでたかもしれない。

ほんとに怖いことだらけです。


今回ここに辿り着いたことを無駄にはできないです。

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私の親

女性 主婦 40歳 A型 東京都

とにかく母が理解出来ないし怖かった。
鬼のような形相で怒り、叩き、引き回した後は「あんたは私がお腹を痛めて生んだ大事な子。お母さんが間違ってる?違うよね?」といっておもいっきり抱きしめられた。
なにがなんだかわからないままだったが、母は納得したような顔をしていた。

拒食症になったのは15歳の時です。
たべない私に母はヒステリックに毎日怒鳴り散らしました。
食べるようになると毎日大量のオヤツを買ってきてくれました。
とても喜んでくれました。私は毎日沢山食べました。

そして今度は過食症になりました。
母は「いつまでオヤツを買い続けなければならないんだ!」
「冷蔵庫が空だ!家計をくいつぶすつもりか!」と怒鳴りました。

私は自分でもどうしていいかわからず、万引きもしました。

夜、親が寝てから、お餅を大量に焼いていると、母が起きてきて叫びました。
「お父さん!見て! またこの子があんなことをしてる!」

父が起きてきてこう言いました。
「お前はキチガイか!」

2人して、「なんで何度言ってもそんなことをして、親を苦しめるのだ!」 と私をしかりました。
私はどんどん隠れて食べるようになりました。毎日と言っていいほど泣きました。

母は祖母にも泣きながら相談しました。
祖母も「なんでお母さんを苦しめるんだ?」と言いました。

私は家を出ようと決意し、20歳で上京しました。
しかし過食は続くどころか、使えるお金が出来た分悪化して行きました。

今は母は、離れているからか帰省してももうなにも言いません。
過食のことも話したことがあるので、理解はしていると言います。
しかし、やはり「吐く」とか「過食」という言葉を口にすると目を背けるというか、嫌そうにします。
私はそれがとても悲しいです。
過食を理解したといってくれているけれど、本当の私を見ようとしてくれていない。
今でも母に対して「ぶち切れる私」の夢をみます。
今はどなられることもなにもないのに、なぜそういう夢を見続けるのか、わかりません。
でも、母との関係を思うと、今も心の奥が痛いです。

過食症と人間関係

女性 公務員 44歳 埼玉県

過食症になったから、心を開いて人と付き合えなくなったのか…
友達にも同僚にも壁を作って閉ざしてしまう自分だから、過食症になったのか…

どちらにしても、気づいたたら、わたしのまわりには誰もいなくなってしまいました。

過食を取り繕うために、大切な人にさえ言い訳ばかりでした。
過食で失ったものはあまりにも大きすぎました。


食べ物に振り回されている10年以上の時間

女性 会社員 O型 和歌山県

過食がひどかった時は、寝ているか、仕事をしている時以外は、食べ物のことばかり考えていました。
痩せたい欲求と、食べたい欲求、二つの相反する欲求にいつも押しつぶされそうでした。

そんな中、過食が治まる時が、何度か訪れました。

きっかけは、単純でした。
ずっと目を逸らしていた体重計に乗り、数字を目にした時、何とかしなきゃという気持ちが食欲に勝るんです。
そんな時は、ただガムシャラに痩せることばかり考えて、食べない代償に痩せるための健康グッズにお金を費やしました。

でも、そんな頑張りは長くは続かず、なだれ込むように崩れていきました。
そんな時は、罪悪感を感じながら食べ物を買いました。


何度もリバウンドを繰り返して、その辛さもわかっている。
食べたいものが食べれない。カロリーを見て選び、食べものに振り回される日々。
そんな抑制もストレスとなり、結局、自分は頭がおかしいのではないかというぐらい、丸呑みに近い状態で無心に食べ続ける日々。


私は吐けない体質なので、あとは自分が惨めだと後悔の念に苛まれるだけです。

気がつけば10年以上こんな毎日を繰り返してます。そしていつかこんな日から開放されたいです。

発症から30年経ち、毎晩の過食嘔吐は、歯を磨く感覚と同じ日課に・・・

女性 43歳 A型 奈良県

『過食症』 最初のきっかけは14歳、当時は運動量も多く痩せの大食いだった。
高校に入り、男子の視線を気にするようになり 晩御飯抜きダイエットをした。
その反動で過食。安易に吐いてみたらすんなり吐けてしまい、そこから過食嘔吐がはじまった。

田舎の家でトイレは水洗でなかったので、自分の部屋にこもってスーパーのレジ袋に吐き翌朝、家からすぐの川に流した。
捨て忘れて親に見つかり、叱られたこともあったが、隠れて続けていた。
当時は毎日ではなく、カレーとかシチューとか、大好きなものが我慢できなくてしていたように思う。
でも、部屋でレジ袋に吐く自分はみじめで情けなかった。

大学、就職と親元を離れ独り暮らし、大学の時は、女子寮だったので友達と毎日入り浸りでお菓子を食べたり、晩御飯を食べ、隠れてトイレで吐いた。

このころも無理なダイエットをした。
朝、食パン1枚と目玉焼きを友人と食べる。
バイトに行き、缶コーヒー1本とおにぎり1個をお昼と夜2回に分けて食べるだけ。
3カ月で12キロ痩せたが、お風呂で鼻血が出てヤバイと思ってダイエットを緩めた。

そのころから下剤も飲み始めた。吐けないときは下剤で出せばよい。

就職してからも 過食嘔吐、下剤乱用。

帰り道に、半額のお弁当やパンをお金の許す限り買った。お金が足りなくなり夜、水商売もやった。
昼の仕事に影響が出て、憧れの仕事の面接に寝坊して行けず諦めた事もあった。

休みの日は朝から晩まで、吐いて食べて、吐いて食べて。なんでも良かった。
そうめんを大量にゆでて、塩、マヨネーズ、ソース、味を変えて詰め込んでは吐いた。

痔もひどく、手術した。
それから、なんとか下剤は飲まなくなったが、何年も何年も、ほぼ毎日夕食に過食嘔吐をし続けて、現在に至ります。
結婚し色々なストレスから心療内科に行き、過食嘔吐のことも相談したが、ただただ話をするだけのカウンセリングに手ごたえを感じず、2年でやめた。
このころ、よくカウンセリングの先生に言っていた。

「私にとって毎晩の過食嘔吐は、1日の最後に歯を磨く感覚と同じ日課の1つのようになっている」

普通食嘔吐の時期もあったが、現在は、始めたころに比べたら軽く3倍は食べて吐いています。