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摂食障害(過食症・過食嘔吐)無料相談 本当は怖い過食症ブログ

本当は怖い過食症

【ダイエット・摂食障害・拒食症・過食嘔吐の体験談ブログ】 摂食障害(拒食症、過食症、過食嘔吐、下剤乱用、チューイング・噛み吐き)は、本人が思っている以上に心と体を蝕む怖い病気です。 まずは過食症の本当の恐ろしさ、大変さを理解すること。 それが治すための第一歩です。 無料相談が出来るサイトも紹介しています。

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二本のうどんで過食嘔吐が再発

女性 自由業 26歳 AB型 新潟県

始まりは中学生の頃。
周りの同級生より身長も低く体重も少なかった私はみんなと同じ一人前の給食を食べる事に疑問を感じ嘔吐するようになりました。
この頃、普通食嘔吐。
二年生になると、だんだん学校に行かなくなりました。
友達と好きな時に学校へ行き、毎日遊び歩いていました。
給食から離れることで嘔吐もしなくなり、高校生になると全く嘔吐はしなくなっていて、明確には覚えていませんが、過食嘔吐をするようになったのはハタチを過ぎてからでした。
あらゆる事に板挟み…。いっぱいいっぱいだったこと、不安だったこと、それだけ覚えています。
拒食の時期もあり、気づいた時は、もう生活の中でのあらゆる行動ですら息苦しく、常に朦朧としていてフラフラしていました。脱水症状で意識がなくなり病院にも運ばれました。
その後、彼の助けもあり少しずつ許せる食べ物を食べるようになりました。
はっきり覚えています。
どれぐらいぶりに食べたかもわからない炭水化物。
たった、二本のうどんで再び過食嘔吐をするようになりました。
過食嘔吐を始めた頃、辛くて辛くて母の家にしばらく帰ったことがありました。
打ち明けた当初は腫れ物に触るような接し方をされて、少し淋しさを感じました。
しばらくすると『吐くなら食べなきゃいいじゃん』と冷たく言い放たれ、今でもその言葉が忘れられず母とはどこか上辺だけの、たまにのお付き合いしかできなくなり、そのたまにも負担でしかなく、一緒に住む彼にも上手く話せず、後ろめたい気持ちでいっぱいです。
本当ならば過食に使うお金も、もっと他に使い道があるはずだし、過食したくて吐きたくて彼にイライラすることもなくなるはずです。こんなにギスギスした気持ちも、なくなるはずです。
摂食障害は健康な体だけではなく、心までも正常ではなくなり、人との繋がりも断とうとします。
事あるごとに必ず過食嘔吐が付き纏い、体力なんて本当になく、できるだけ疲れないようにしなきゃってそんなこと考えるのに疲れちゃって…。
何もかも奪い、めちゃくちゃにするこんな病気、一日も早く治したいです。


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死ぬ一歩手前

女性 学生 25歳 O型 奈良県

私が摂食障害になったのはキッカケは生理不順の為、昨年の夏から飲み始めたピルのせいでした。
食欲増加と聞いていたにも関わらず、ひどい吐き気を伴い食欲は激減し、背骨も浮き出るほどに痩せてしまいました。
その後、私の強い訴えもあって軽いピルに変えてもらえました。
しかしそれでも吐き気、胸焼けは変わらず体重はさらに減り、それを恐ろしく感じる一方で、放っておくと恐ろしい病気になると言われ、それも怖かった私は頑張って3ヶ月薬を飲み続けました。
終わった頃には体重はひどく落ち、さらに重度の便秘性になりました。その頃には体重が減ることにもう麻痺していました。

内科に通い続け便秘を治し、食欲が戻ってからもピル時代の恐怖から油ものは避け、まだ食べれるかもしれないのに吐き気がでるのが怖いから食べないという行為で極度の少食でした。
この頃カロリー計算に縛られ始めました。私が拒食症じゃないかと心配した姉は「体重計に乗るな」と言い、当時通っていた心療内科の先生にも言われていたので乗るのをやめました。
楽になりました。「好きなもの食べればいいじゃない」と先生に言われ普通に食べれるようになったのに、意識は日々薄弱し、起きられず、ついに階段も昇れなくなりました。
色んな病院を回るも、どこも意見は異なり、その間も症状は悪化。暫くして総合病院にたどり着き即入院を言い渡されました。死ぬ手前だったそうです。

入院してからも回復のめどは立たずベッドに張り付けられ、「食べるな、動くな、喋るな、考えるな」と言われました。
水しか飲めず、生きるのに最小だけを与えられ一日中仰向けのまま。動くのは手だけ。足も腰も頭も動かず、寝返りもうてないので床擦れになりました。
脊髄液を採られ、胃カメラをし、輸血もし、色んな検査をしました。夜中身体が痛くて眠れずナースコールがないと看護師さんが居ないと何も出来ない。
ナースコールを私の手の届かない所に置かれた時の恐怖。二回それで大泣きしました。一度は同室の人が、二度目は奇跡的に手元に戻りました。
以後母が胸元に安全ピンでナースコールとイヤホンをつけてくれました。手元に携帯。介護福祉さんは柵にリモコンをつけてくれました。

初めて座れた時、立てた時歩けた時の感動。まずい油を一日50ccからでも飲めた時、あんなにまずいのに一回がどれだけ恋しかったか。
初めての三分粥、五分、七分、粥、ペースト 、五分菜食、刻み食、粥食、そしてパン、どれたけおいしかったか。
2月1日から入院し、めざましい回復で食べ物をやっと食べれたの4月の終わり。5月半ばには軟飯に。下旬、退院しました。約4カ月。
普通に「生きる」 ことが奇跡なのだと知りました。退院時体重は33キロ後半に。入院時の体重よりやや増えていました。
なのに退院してから日が経つごとに、また食べ物やカロリーに縛られる自分が居ます。
体重増加を素直に喜べない、だからといって減らそうとはしない、これ以上減るのは怖い、だから食べる、そんな感じ。
絶食期間が長かった為、まだ正常に働かない私の胃は拒食的になったり過食的になったりして、どちらも怖い。
そして家族が食べる以上のものを食べれない自分が居る。好きなものを好きな時にほどよく、何も気にせず 食べれたら・・・。
空気のように当たり前に食事が出来るようになりたいんです。普通になりたい。ただそれだけ。

半年で10キロ以上増え、さらに精神的にボロボロになり入院

拒食、普通食嘔吐、チューイング、過食、過食嘔吐・・・すべて摂食障害の症状ですが、症状の出方は人それぞれです。
過食の症状の人で体質的に「吐けない」といった人達が中にはいます。
大半の人は絶食などで体重をコントロールしていますが、ある時、突然過食衝動が強くなり絶食が出来なく、短期間で体重が大幅に増えてしまう人達も少なくありません。
その場合、短期間での大幅な体重増加で体に大きな負担がかかり生活習慣病や、欝など他の心の病気を併発してしまう可能性もあります。

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女性 主婦 24歳 O型 神奈川県

拒食症になって1年くらいで過食症に。
「今まで食べずに頑張ってきたから、もう頑張らなくていい、いっぱい食べて太らなきゃ。」
と、ある日突然思うようになって、それからそれまでは食べなかったパンやお菓子をどんどん食べるようになった。
量は日に日に増えて行き、だんだん普通じゃないと自分でも思うようになった。
でも食べるのは止められず、食べた後はいつも落ち込む。
なんでこんなに食べたくなるのか、食べたくないのに食べなきゃいけないような気がして、食べ物を詰め込む日々。
なにか口にしてないと落ち着かない。食べ物のことが一日中頭から離れない。
私は、どんなに苦しくても吐くことが出来なくて、体重は半年くらいで10キロ以上増えた。吐けたらどんなにいいだろうと思った。

精神的にもボロボロで精神科に入院。
それでも治らず、その頃は家族に話していたので協力してくれたり、話しを聞いてくれたりしていたけど、
結婚、出産で過食症は治ったと思われてる今、再発したことを誰にも言えず、どうしたらいいのか毎日頭の中がいっぱいです。
なんでこんな病気になってしまったのか、いつか治る日が来るのか、自分がどうしたらいいのかよくわかりません。


10年後の幸せのために

女性 会社員 36歳 A型 宮城県

初めて過食嘔吐したのは20歳の頃です。友達に、食べ過ぎたら吐けばいいと言われたのがきっかけでした。当時は、習慣化することはなく、月に2,3度ストレス解消にする程度でした。

過食嘔吐とは無縁の10年の月日が流れ、仕事が慣れ収入も増えた頃に再発。月に1度から、みるみる内に1日5回。月に10万以上も食費に費やす日々に悪化しました。

酷くなり始めたのは、結婚後2年くらいからだったと思います。段々旦那の存在もうざくなり離婚。そしてさらに悪化しました。

それでも、仕事に支障がない範囲で、主に夜に発症していた過食嘔吐ですが、産休に入ったくらいから、時間をもてあそぶ様になり、過食嘔吐が日課になり1日ダラダラとすうようになりました。

その後、里帰り出産をするため実家に帰りましたが、止まると思った過食嘔吐は止まらず、車でスーパーで買った食材を食べ、スーパーのトイレで嘔吐する日々が始まりました。
家族には図書館で資格の勉強をすると言っていたので疑われる事はありませんでした。

そして出産後も、過食嘔吐に制覇される日々が続きました。

節目、節目に止まると軽視していた過食嘔吐は止まることはありませんでした。
暇な時間が悪いと思い、週末に学校に通ったこともあります。50万払いましが、過食嘔吐が優先され、すぐに行かなくなりました。
エステに通ったり、環境を変えるためにいくら費やしたか分りません。
クリニックに行って大量の栄養剤を処方されたこともあります。何十万も払いました。カウンセリングに通い睡眠医療みたいなものも受けたことがあります。
あらゆる努力をした結果、罪悪感だけが増加し、過食嘔吐は悪化していきました。

早く抜け出したいです。抜け出すために精一杯の努力をしていきたいです。
正直言って、今回も完治させられるか、不安でたまりません。でも、10年後に幸せでいられるように、精いっぱい努力していきたいです。


拒食、過食症の13年

女性 主婦 31歳 O型 愛知県

16歳の時、家族や周りからちょっと太った?という言葉から軽い気持ちでダイエットしました。そこから拒食症に。
気づけば生理も止まり、体重も52キロから、ひどい時は38キロに。
写真で自分の姿を見た時はぞっとした。ミイラが笑っている。私は何を目指しているんだろう?と思いました。
体も冷え、耳鳴りもする。疲れやすくて眠い日々・・・。

そんな時、幼なじみの友達と偶然会った。彼女はどちらかというと、ぽっちゃりしている。ただ、とても明るく彼氏も出来て日々が楽しいと言う。
そうだ。太っていることは悪いことだと決めつけていたのは私だけだ。
このままじゃいけないと、食べようと努力をした。

ちょうど夏で、大好きなスイカを食べたら、どんどん食べられた。普通に食べられるようになったと思った。
だけど、どれだけ食べても何か満たされない。気づいたら隠れて食べるようになり、過食症になっていた。

親は痩せていたのが元に戻って嬉しいとしか思っていなかった。
明らかに食べ過ぎなのに、それを見てよかったよかったと・・・。

今も私が摂食障害だということを知らない。

気づいて欲しかった。叱って欲しかった。私は子供だった。

まさか13年後も過食で悩んでるとは思いもしなかった。

結婚して、子供が出来て、その度に治るきっかけになるかもしれない!と思ってきたけど、一時的なもので、また再発する。
食べたい衝動を押さえると、また拒食症になるんじゃないかという不安と言い訳で、食べ物を探してしまう。
朝から食べ物のことばかり考えてしまう。

子供にも、すぐイライラしてしまう。
自分の事もちゃんと出来ていないのに、子育てをする資格は無いのでは?とも思う。

けど、衝動が起きない日は子供に笑顔で優しく接することが出来る。
少しのわがままやいたずらも、怒らず話すことができる。
普通のお母さん達はこうなんだろうなと息子をかわいそうに思った。
すぐにイライラ眉間にシワを寄せるお母さんから卒業したい、卒業しなきゃいけない。