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摂食障害(過食症・過食嘔吐)無料相談 本当は怖い過食症ブログ

本当は怖い過食症

【ダイエット・摂食障害・拒食症・過食嘔吐の体験談ブログ】 摂食障害(拒食症、過食症、過食嘔吐、下剤乱用、チューイング・噛み吐き)は、本人が思っている以上に心と体を蝕む怖い病気です。 まずは過食症の本当の恐ろしさ、大変さを理解すること。 それが治すための第一歩です。 無料相談が出来るサイトも紹介しています。

死ぬ一歩手前

女性 学生 25歳 O型 奈良県

私が摂食障害になったのはキッカケは生理不順の為、昨年の夏から飲み始めたピルのせいでした。
食欲増加と聞いていたにも関わらず、ひどい吐き気を伴い食欲は激減し、背骨も浮き出るほどに痩せてしまいました。
その後、私の強い訴えもあって軽いピルに変えてもらえました。
しかしそれでも吐き気、胸焼けは変わらず体重はさらに減り、それを恐ろしく感じる一方で、放っておくと恐ろしい病気になると言われ、それも怖かった私は頑張って3ヶ月薬を飲み続けました。
終わった頃には体重はひどく落ち、さらに重度の便秘性になりました。その頃には体重が減ることにもう麻痺していました。

内科に通い続け便秘を治し、食欲が戻ってからもピル時代の恐怖から油ものは避け、まだ食べれるかもしれないのに吐き気がでるのが怖いから食べないという行為で極度の少食でした。
この頃カロリー計算に縛られ始めました。私が拒食症じゃないかと心配した姉は「体重計に乗るな」と言い、当時通っていた心療内科の先生にも言われていたので乗るのをやめました。
楽になりました。「好きなもの食べればいいじゃない」と先生に言われ普通に食べれるようになったのに、意識は日々薄弱し、起きられず、ついに階段も昇れなくなりました。
色んな病院を回るも、どこも意見は異なり、その間も症状は悪化。暫くして総合病院にたどり着き即入院を言い渡されました。死ぬ手前だったそうです。

入院してからも回復のめどは立たずベッドに張り付けられ、「食べるな、動くな、喋るな、考えるな」と言われました。
水しか飲めず、生きるのに最小だけを与えられ一日中仰向けのまま。動くのは手だけ。足も腰も頭も動かず、寝返りもうてないので床擦れになりました。
脊髄液を採られ、胃カメラをし、輸血もし、色んな検査をしました。夜中身体が痛くて眠れずナースコールがないと看護師さんが居ないと何も出来ない。
ナースコールを私の手の届かない所に置かれた時の恐怖。二回それで大泣きしました。一度は同室の人が、二度目は奇跡的に手元に戻りました。
以後母が胸元に安全ピンでナースコールとイヤホンをつけてくれました。手元に携帯。介護福祉さんは柵にリモコンをつけてくれました。

初めて座れた時、立てた時歩けた時の感動。まずい油を一日50ccからでも飲めた時、あんなにまずいのに一回がどれだけ恋しかったか。
初めての三分粥、五分、七分、粥、ペースト 、五分菜食、刻み食、粥食、そしてパン、どれたけおいしかったか。
2月1日から入院し、めざましい回復で食べ物をやっと食べれたの4月の終わり。5月半ばには軟飯に。下旬、退院しました。約4カ月。
普通に「生きる」 ことが奇跡なのだと知りました。退院時体重は33キロ後半に。入院時の体重よりやや増えていました。
なのに退院してから日が経つごとに、また食べ物やカロリーに縛られる自分が居ます。
体重増加を素直に喜べない、だからといって減らそうとはしない、これ以上減るのは怖い、だから食べる、そんな感じ。
絶食期間が長かった為、まだ正常に働かない私の胃は拒食的になったり過食的になったりして、どちらも怖い。
そして家族が食べる以上のものを食べれない自分が居る。好きなものを好きな時にほどよく、何も気にせず 食べれたら・・・。
空気のように当たり前に食事が出来るようになりたいんです。普通になりたい。ただそれだけ。
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