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摂食障害(過食症・過食嘔吐)無料相談 本当は怖い過食症ブログ

本当は怖い過食症

【ダイエット・摂食障害・拒食症・過食嘔吐の体験談ブログ】 摂食障害(拒食症、過食症、過食嘔吐、下剤乱用、チューイング・噛み吐き)は、本人が思っている以上に心と体を蝕む怖い病気です。 まずは過食症の本当の恐ろしさ、大変さを理解すること。 それが治すための第一歩です。 無料相談が出来るサイトも紹介しています。

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心の病気と言う現実

女性 会社員 36歳 A型 北海道

22歳で働き始め、59キロをキープしていました。
25歳のとき親友の結婚式でスピーチを頼まれたのがきっかけで、絶食をして54キロまで落ちた。
披露宴から戻った翌日、大量のポップコーンを過食、食べたい強い衝動にかられました。
食べた翌日は下剤で出して、絶食。

そして、強い衝動が続けて起こるようになったのは27歳のころです。
職場の同僚を好きになり、痩せたら彼に愛されると本気で思い、当時は57キロから再び54キロに落としました。
方法は自己流の「リセットダイエット」というもの。
大量のお肉と野菜を食べ、毎日下剤を飲み、54キロくらいをキープ。
そのうちに「大量のお肉と野菜を食べても太らない」と思い出し、御菓子やお米、パンの過食からたんぱく質の過食になりました。
殻つきピーナッツの過食が主となりました。

独り暮らしを始めましたが、怖くてお米は買えず、冷蔵庫の電源も入れられない日々。
自分で料理すると、残せず、過食スイッチが入ることが多いので、凝った料理は出来ない。

食べ物、食べ方が変われ過食は止められるかも、と思い、マクロビォティックなども勉強しました。

でも、心の病なんですね、過食症は・・・。
心が治らないと、変わらないと、おばあちゃんまで続くのですね。
結婚したら、治ると思っていました、本気で。
結婚相手にも依存するかもしれない、と今気づきました。
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自力では止められない過食

女性 会社員 36歳 A型

待ち望んでた妊娠。
妊娠すれば治ると思ってた過食嘔吐は治ることなく、産休に入った頃から酷くなった。

里帰り出産で実家に帰れば治ると思ったのに止まらなかった。

そして、出産当日まで過食嘔吐は続いた。
陣痛が始まってるのに、トイレで吐いていた。
ギリギリで病院に行き、病院到着30分しないで赤ちゃんは産まれた。
あと少し遅れてたらどうなってただろう。

そして、出産後、やはり過食嘔吐は止まらない。
呪われたみたいに付きまとう過食嘔吐。
赤ちゃんのために、自分のために早く決別したい。


自分が摂食障害のはずがない・・・と思っていた。

女性 学生 21歳 O型

高校生まで運動部に入っていて食べる量は多いものの太っていませんでした。
部活を引退し食べる量はほとんど変わらず、少しずつ太りはじめました。
このままでは・・・と思い食べる量を減らしたのを原因に体重が7キロ減りました。
その頃はほとんどお菓子も食べていません。食べてもチューイングをしていました。
半年ほどたったある日の夜、お菓子を口にしたら食べるのをやめられなくなりました。
お腹はいっぱいなはずなのに食べることがやめられませんでした。
苦しさから吐くと楽になりまた食べてしまいました。
そして食べたことに自己嫌悪に陥っていました。
もうお菓子は食べないと何度も思いましたが、それからも減るどころか、夜中起きていれば起きているほど過食嘔吐の繰り返しでした。
学校の勉強もあるのに過食していることで勉強に集中できず、かといっても食べていないと落ち着かない、悪循環になっていました。
自分が摂食障害のはずがない。なんとかできる。そう思っていました。
こんな自分を知られたくない、周りが知ったらどう思うのだろうと誰にも相談できませんでした。
なんとかしないと、と思い接食障害について調べ、沢山の人のブログを読み、センターの事を知り、勇気を出してメールしました。
今でも治るのだろうか、今後の自分はどうなるのだろうかと不安です。
ですが治したい気持ちからメールしました。治ることを信じて相談を続けようと思います。

忘れていた大切な夢

女性 学生 21歳 AB型 愛知県

元々食べることが大好きで、お金さえあればコンビニによく行ってお菓子等、たくさん買っては食べ尽くしてました。

中学の時は近所に住んでた祖父が、とても可愛がってくれ、ほぼ毎日、お菓子やケーキを大量に買ってくれた。
当時、母子家庭で、おやつが少なかったのもあり、お菓子やケーキを止められませんでした。

高校で体型が気になり始めたが、食欲に負けて、学校帰りや放課中も常に食べてた。

大学に入って、体重は今までで最高になりました。163cmの60kg超えかな…?
大学2年生で彼の家に住んでて、太ってふられました。

久しぶりに家に帰って、母に「太ったね。」って言われた。
同じくらいの身長の妹が8kgの減量に成功していたこともあり、とても悔しかったんです。
そこからダイエットが始まりました。
今まで成功したことのないダイエットでしたが、何故か食事制限ができるようになった。
カロリー計算と運動で、10kgは簡単に落ち、食べなければ痩せられることに気づいてしまった。
一日の摂取カロリーは300kcal未満。目標の43kgになりました。
ここから、どう維持していいのか分からなくなった。

そして最強にモテた。
お食事に誘ってくれる人がたくさん出来た。
初めは食べたくない気持ちから断っていたが、そのうち食べても吐けば大丈夫という思考に。
もらったお菓子、ケーキ…、週1回だった過食嘔吐も、何時の間にか毎日5回に…。
その時付き合った彼氏がお金持ちで理解者だったので余計にエスカレート。
だが、指吐きでは体重が増加し、毎日焦る日々。吐けない、このままでは太ってしまう。
食べるのが怖くて友達とも遊べなくなりました。
病気のことを親にも言えず、一人になった気がした。

そこで覚えたのがチューブ吐き…みるみる過食嘔吐で痩せました。
嬉しかった…もうチューブは手放せないものになってしまいました。
35kgまで落ちた時、異常に痩せてしまった私を見て、母が私に言いました。「病院に行こう。」
大好きな母の頼みは断れず、本当のことを全て打ち明けました。そして病院に行きました。
実家に戻ることになり、通院も始めました。
しかし、よくなることはなく、せっかく家族全員が協力してくれようとしているのに私はどうしたらいいのか分かりません。
そんな時、ここを見つけました。
私は大好きな家族の為に治さなくてはいけないのです。とんだ親不孝者にはなりたくありません。
そして、幸せになりたい。大きな夢を叶えたい。
摂食障害になって全部忘れてました。でも最近、思い出すんです。自分の夢を。
だるくてなんの為に生きてるのか分からなくなっていました。辛かった。
やっとみえた希望の光を、失わないように、少しずつ治していきたいです。



発症から30年経ち、毎晩の過食嘔吐は、歯を磨く感覚と同じ日課に・・・

女性 43歳 A型 奈良県

『過食症』 最初のきっかけは14歳、当時は運動量も多く痩せの大食いだった。
高校に入り、男子の視線を気にするようになり 晩御飯抜きダイエットをした。
その反動で過食。安易に吐いてみたらすんなり吐けてしまい、そこから過食嘔吐がはじまった。

田舎の家でトイレは水洗でなかったので、自分の部屋にこもってスーパーのレジ袋に吐き翌朝、家からすぐの川に流した。
捨て忘れて親に見つかり、叱られたこともあったが、隠れて続けていた。
当時は毎日ではなく、カレーとかシチューとか、大好きなものが我慢できなくてしていたように思う。
でも、部屋でレジ袋に吐く自分はみじめで情けなかった。

大学、就職と親元を離れ独り暮らし、大学の時は、女子寮だったので友達と毎日入り浸りでお菓子を食べたり、晩御飯を食べ、隠れてトイレで吐いた。

このころも無理なダイエットをした。
朝、食パン1枚と目玉焼きを友人と食べる。
バイトに行き、缶コーヒー1本とおにぎり1個をお昼と夜2回に分けて食べるだけ。
3カ月で12キロ痩せたが、お風呂で鼻血が出てヤバイと思ってダイエットを緩めた。

そのころから下剤も飲み始めた。吐けないときは下剤で出せばよい。

就職してからも 過食嘔吐、下剤乱用。

帰り道に、半額のお弁当やパンをお金の許す限り買った。お金が足りなくなり夜、水商売もやった。
昼の仕事に影響が出て、憧れの仕事の面接に寝坊して行けず諦めた事もあった。

休みの日は朝から晩まで、吐いて食べて、吐いて食べて。なんでも良かった。
そうめんを大量にゆでて、塩、マヨネーズ、ソース、味を変えて詰め込んでは吐いた。

痔もひどく、手術した。
それから、なんとか下剤は飲まなくなったが、何年も何年も、ほぼ毎日夕食に過食嘔吐をし続けて、現在に至ります。
結婚し色々なストレスから心療内科に行き、過食嘔吐のことも相談したが、ただただ話をするだけのカウンセリングに手ごたえを感じず、2年でやめた。
このころ、よくカウンセリングの先生に言っていた。

「私にとって毎晩の過食嘔吐は、1日の最後に歯を磨く感覚と同じ日課の1つのようになっている」

普通食嘔吐の時期もあったが、現在は、始めたころに比べたら軽く3倍は食べて吐いています。