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摂食障害(過食症・過食嘔吐)無料相談 本当は怖い過食症ブログ

本当は怖い過食症

【ダイエット・摂食障害・拒食症・過食嘔吐の体験談ブログ】 摂食障害(拒食症、過食症、過食嘔吐、下剤乱用、チューイング・噛み吐き)は、本人が思っている以上に心と体を蝕む怖い病気です。 まずは過食症の本当の恐ろしさ、大変さを理解すること。 それが治すための第一歩です。 無料相談が出来るサイトも紹介しています。

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ありのままの私ではダメだから

43441  過食症になって    2007/04/09 12:51
  女性 主婦 28歳 O型 広島県  
 私の過食症は、高校生のときに始まりました。
でも、それより以前から、食に対しては異常なほどの執着がありましたから、
本当はもっと小さい頃から、過食症の下地があったのかもしれません。

物心ついたときから、人より体が大きく、その自信の無さから、
人と自分を比べては、自分を駄目だと思っていました。
あの子は可愛いのに、私は駄目だな。あの子はスタイルがいいのに、私は駄目だな。
あの子は、頭が良いのに、私は駄目だな。あの子は運動が出来るのに、私は駄目だな。
今思うと泣きたくなります。そんなことを考えていた子供でした。
小さい頃からずっと、マグマ効果を抱えて、より良い子供であろうとして、
自分に、過酷な課題を押し付けていたのでしょう。
ありのままで良いとは、決して思えませんでした。
そして、周りも、それで良いとは認めてくれませんでした。
そんな自分から抜け出したいと思い、高校生のときに痩せることにしました。
始めは、決められたメニューを3食食べるというものでした。
生まれてはじめてのダイエットでしたので、すんなり痩せることができました。
私でも頑張れば痩せられるんだ。自分を認めてあげられました。
周りの評価も違ってきて、痩せたらいいことずくめでした。
そうなると、1gでも太るのは許せない。
より過激なダイエットをするようになりました。
そして、吐くことを覚えました。食べたら吐けば、無かったことにできるんだ!
徐々になんでも食べたら吐かなくては気が済まない様になってきました。
あっという間にひどい状態になりました。
学校も、バイトも、何にも続かなくなりました。
そんなことは、全てどうでも良くなりました。

今思うと、痩せることできれいになりたいというのは、
痩せることによって、自分を見て欲しいという心の表われなのかもしれません。
自分の力でどうにかなって、周りにもわかりやすい。
自分が認められるには、都合の良い手段だったのかもしれません。
ありのままでも、愛は得られるのに。今の自分では駄目だとおもっていました。
痩せたって、不特定多数の愛を得たって、心の寂しさは、埋まらないのに。
私は、いつも何かを求めていて、とても寂しく、怒りに満ちていました。
それは、センターに出会うまで、ずっと続いていました。
自分に厳しく、家族に厳しく、他人を見る目も厳しい。
いつも頑張る。常に頑張る。人の目を気にして頑張る。
でも、面会を受け、自分の心と向き合ううちに、
自分の中の怒りがなんだったのか、寂しさが何だったのか。
だんだん、わかってきました。
同時に、その感情を少しずつ昇華させていくことが出来てきました。
今、心の中には、以前のように説明のつかない気持ちは少なくなってきました。
生きていくことは、こんなにも尊い、幸せなことだったのだと、思い出せました。
今は、ゆっくりと生きていけば良いんだって思います。
それが、私のペース。それが、私の幸せなんです。
私の病気を治すことは、自分のためであり、これから一緒に生きていく家族の為になるのです。
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私の見た過食症患者

43335  過食症の怖さ    2007/04/06 16:05
  女性 会社員 25歳 A型 神奈川県  
 昨日、初めて知ったのですが今私の職場に過食症の患者さんがいます。
彼女は年齢は私とほとんど変わらなくて見た目じゃやはり全然過食症なんてわからない。
彼女は過食症とアルコール中毒を併発しているそうです。
多量のアルコールが原因で太ももの骨が壊死してしまい
歩けなくなり、今回壊死をした骨を切る手術をしました。
若いけど骨がもろくてスカスカだから長期間のベットの寝たきりの安静期間が必要となります。
もちろんトイレも差込の便器でベットの上。
食事も寝ながらだし、着替えだって一人じゃできない。
だけど精神科から処方されている薬を1日30粒以上飲んでいて
呂律は回らないし失禁してしまうこともある。
手はひどい吐きだこがあった。。

私と彼女。
ただ、今は立場が逆なだけで本質は一緒なのだと思うと本当に
過食症は怖いと思いました。
自分だってこうなる可能性があるんだと思うとやっぱりちゃんと
治療していかないとならないということを実感しました。

わずかな入院体験

43269  わずかな入院体験    2007/04/04 19:09
  女性 主婦 30歳 A型 北海道  
 あまり思い出さないようにしてたけど、最近になって色々な事が思い出されます。

過食嘔吐がはじまってすぐに両親にばれました。
私、銀行関係の仕事してました。不似合い?(笑)
両親は精神科に行くのが絶対必要と強調。
私の過食嘔吐を責める毎日。監視する毎日。
母が勝手に私の上司に電話して、私の過食嘔吐の話をしていた。
「精神科の通院が必要だから。でも退職したくないみたいだから、
会社で通院を認めてくれないだろうか?」と。。。
かなり、ショックだった。
隠してることなのに。なんで、他人にまでそんなにベラベラ喋るのっ?!
母は親戚の叔父、叔母、自分の友達にも
「この子、過食症だから。そして吐いてるから」ってベラベラ喋ってた。

会社の上司はいい人だったから、「気にせず仕事の合い間みて、通院しなさい」
と言ってくれた。でも、過食嘔吐についてはやはり偏見の目を強く感じた。
そんな環境で、会社に行くことにも引け目を感じた。
上司は気を使って「今日、病院の日だろ。言って来い」と言ってくれる。
家に帰ればカウセリングを受けてるのに症状が止まらない事を怒られる。
母同伴のカウセリングで、子供の頃の話がでると「何でも私のせいにするな!」と怒られる。

病院に行っても、いつも先生のことを
「この人も精神、病んでるんじゃないか?」って思っちゃうような先生だった。
でも常に『入院』を勧められた。
両親も「入院しろ」とうるさかった。私も、もう会社にいたくなかったし、
入院したら治るかも。と思い、退職して入院をした。
入院して、すぐ周りの患者さん達をみて、話して、
「この人たち、安定剤、眠剤を服用しすぎてラリってる」って思った。
私もラリっちゃうのかなぁって不安になった。
入院しても、先生も看護師さんも「食べ方」は教えてくれなかった。
それなのに、食事はほぼセルフサービス状態。
食べるのが怖いのにどうしろというのか。。。薬だけはお決まりに飲まされる。
入院はほぼ監禁状態に近いものがあり、先生との面会も毎日あるものではないと1日目から知った。
入院1日目から夜に別室から発狂が聞こえる。別室の人が徘徊して私の部屋に入ってくる。
怖かった。私がここにいるのは違う!!と思った。こんなんで治るわけがないと即座に思った。

母は気にして病院にきてくれるけど、何もわかってないから、なにかしら差し入れをもってくる。
「食べるの怖い」とも言えず、食べては吐き~。の繰り返し。
「病院で食べては寝てをしてたら太る!!」と思い、ベッド周りのカーテンを閉めっぱなしにして密かに筋トレしてた。

たった3日、されど3日。
私、3日目で入院生活限界になった。「もうここにいるのは嫌だ!」と母に訴え、無理やり退院した。
病院を出る際に先生に言われたことは、「あなたは治らない。」
私は「あなたは治してくれない」って思ってた。
無理やり退院したから、治っていないの当たり前。
でも入院してても絶対治ってなと思う。
父は母に「お前がコイツ(私のこと)の言うこと聞いて、退院させてきたから治らないんじゃないか!!」と責める。
母は私に「あんたは我儘すぎる。我慢がたりない。あんたのせいで、お父さんにこうやって言われる。」って言っていた。
自分でもどうしていいかわからない迷路にいた。
ただ、もう両親とはあまり関りたくなくなっていた。だから治ったふりを一生懸命しようとした。

病院の先生が言った「あなたは治らない」は現状としては、あっているけれど、
私はセンターに出会えたから「治せる」って思ってる!!目指すは完治だよ。

過食症になって

43142  過食症になって   2007/04/01 12:48
  女性 学生 22歳 A型 兵庫県  
 1年前から、憂鬱で、体が動かない日、用事がない日は家にいます。
そんな日は、家に一人です。朝食を食べたばかりなのにもう食べたくなります。
しなければならないことがあっても、先ず食べてから。
常に食べていないと不安になります。
食べている間は、何も考えないし、安息が得られます。
私は、食べ物がなくなると迷子の子供のように、夢遊病のようにふらふらと食べ物を探しに行きます。
菓子パン、お菓子、冷蔵庫の中のもの、時にパンを焼く手間さえ惜しみ、
凍ったまま次から次にほり込みます。
ジャムやピーナッツバター、きなこの粉末、コンデンスミルク、ココア粉末、
調理用黒砂糖…などにも至ります。
誰かが帰って来てもこっそり食べます。
「さっきからずっと食べてる。やめなさい。」といわれます。
「また、後から後悔しても知らんで。」といわれます。
私は狂ったみたいに食べ続けます。眠るのも怖くて不安で、食べます。
食べることは私の魂の休息です。
少し休憩したい・・・
そんな思いで食べ始め、止まらなくなります。
過食症の怖さは、頭でわかっていてもそんな行動が決してやめられないことです。
私は、うつ病もありますが過食が主な原因で、外に出ること、人の会うこと、服を着ることが億劫になりました。
また、10kg太ってスタイルを損ない、自信を大きく失いました。
自身を失うのはとても怖いことです。何も行動できない、始められない、頑張れないようになりました。
家族に当たって、お母さんを悲しませました。
お母さんに面と向かって、「死にたい。生んで欲しくなかった。お母さん結局何もしてくれない。」といいました。
お父さんに、「私がこんな不安定に育ったのは、お父さんのせい。」と言いました。
お姉ちゃんに、「大嫌い、自分さえ良ければいいと思って。」と言いました。
恋人に、「もういいです。もう私にかかわらないでください。」と言いました。
どれも本心ではないのです。
でもそう私に言わせるのが過食症という病気です。
未来がない。治る見込みがない。二度度取り戻せない。と言う思いでいっぱいです。
過食じゃなかったら、今でも心に愛と幸せを持って生きていたかもしれません

過食症になって

42850  過食症になって    2007/03/25 01:21
  女性 主婦 26歳 O型 北海道  
 高校生の時、家にあるお菓子やパン、甘いものはすべて私が食べ尽くした。
家族はあきれたような、バカにしたような顔で見ていた。
夜中にこっそり起きて、冷蔵庫をあさった。
チーズ、ハム、うどん、豆腐、肉まん、ピザ、食べられるものはみんな食べた。
味なんてわからないし、気持ちが悪くなってるけど、食べても食べても、
全然満たされなくて、泣きながら食べた。
翌朝、台所で母がびっくりして大声をあげる。
あれもない、これもないって。私は消えたい気持ちになる。
夕飯のときは、私一人だけ、わざとガツガツ食べた。
大げさに、醜く。父は、「食いたいだけ食え!食え!」って笑って見てた。
泣きながら、食べつづけた。
学校帰りは、わずかなお小遣いで、できるだけいっぱいお菓子を買って帰った。
夜散歩にいく振りをして買出しに行ったり。
一人になれる場所がないときは、トイレに持ちこんで食べた。生理が止まった。

大学に入って一人暮しを始めた。
今度は充実した生活を送るぞ!って思ったのに・・ますます食べる量が増えた。
朝起きてすぐ食べ始めて、過食が止まらない時は大学をサボった。
友達が心配して電話してくれたけど、風邪引いたって嘘をついた。
大学食べたい衝動が抑えきれない時は、トイレで食べた。
人前では食べれないから。自分が悔しくて悔しくて、トイレで泣いた。
どんどん太って、洋服も入らなくなった。でも、服を買うより食べ物を買う。
いつもパツパツの服を無理して着てた。恥ずかしかった。
いつも食べることばかり考えてて、勉強したいのに、講義は頭に入らない。
せっかく両親が学費を払ってくれて、アパートも借りてくれているのに。
私は最低な人間だと思った。それでも両親は、私はちゃんと勉強してい
る良い子だと思っていて、私費で留学までさせてくれた。
留年して、やっとのことで卒業させてもらった。

田舎者の、育ちの良いお嬢ちゃんだから、何にもできないんだって言われて
きたけど、こうして書いてると本当にそうだなぁって悲しくなる。
こんな状態で母になってしまった私。このままでは、娘にも夫にも申し訳ない。
すごくすごくすごく恥ずかしい。

過食を始めて、いろんな人にいっぱい嘘をついた。たくさんの人を傷つけた。
今も傷つけてる。でも、絶対に、過食をやめる!