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摂食障害(過食症・過食嘔吐)無料相談 本当は怖い過食症ブログ

本当は怖い過食症

【ダイエット・摂食障害・拒食症・過食嘔吐の体験談ブログ】 摂食障害(拒食症、過食症、過食嘔吐、下剤乱用、チューイング・噛み吐き)は、本人が思っている以上に心と体を蝕む怖い病気です。 まずは過食症の本当の恐ろしさ、大変さを理解すること。 それが治すための第一歩です。 無料相談が出来るサイトも紹介しています。

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怖い過食症

31753  過食症になって   2006/06/29 01:38 女性 主婦 29歳 O型 神奈川県

一度この病気になると、ほんとに自分にどんどん自信がなくなって、責めて責めて責めたおして、大嫌いな自分になっていってしまいます。
もともとは学生時代は部活も勉強も恋愛もなんでも頑張る自分が大好きでした。自分のことが好きなときって何やっても楽しいんですよね。
その逆で、嫌いな自分は、何か悪いことが起きれば全部自分のせい、かといってなにもできずに過食嘔吐を繰り返す。楽しいなんて感じちゃいけない、こんな醜い私、食べ物もお金も時間も無駄にする私にはそんなけんりがないって。これってすごい悪循環。一度はまりこんだら抜け出せない。そして精神的な部分だけじゃなくて、経年増加をたどれば当然のごとく身体に異常をきたします。子供を産んでから、すぐに生理がきて、授乳していても順調に毎月あったのに、症状がひどくなったころから急にストップしてもう7ヶ月きていません。最近は吹き出物が顔や身体にでて、何か食べ物を口にすると舌に違和感があります。
そして、この病気になるとたくさんの人生のチャンスを逃していると思います。食べ物のことを考えてた時間を仕事のことを考える時間にかえていたら、きっともっといい仕事ができたと思う。今は、子育て中なので、子供や主人、愛する家族にたくさんの愛情を与えたいのに食べ物のことばかり考えていることがつらくてたまりません。
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本当は怖い過食症 3連作

30347  本当は怖い過食症  その③    2006/06/04 22:45   女性 自由業 26歳 A型 広島県 

 【精神安定剤バージョン】

 過食症になって5年目くらいの時精神科に通い始めました。 デプロメール(SSRI)(食欲も落ちた)と、ガスモチン(胃薬)と、セロクエル(精神安定剤)、レンドルミン(睡眠促進剤)、コントミン(安定剤) これらを飲み始めて、症状が少し減りボーっとできるようになりました。何も考えずに。感情があまり無く。 だから、仕事が少し続けられるようになりました。 毎日薬を10錠くらいのんでいて、耐性がつくと13錠15錠と勝手に増やしていきました。

とりあえず、手に職も無く職歴も何ヶ月かで辞めたものばかりで、それを気にしなくても良い、ホステスの仕事をしました。最初はとてもうまくいっていました。安定剤のおかげで人と話すのがあまり苦じゃなくなったのです。 薬のおかげで症状は一日2~3回くらいで治まっていました。 

ですが、気がつかなかったのは、薬とお酒の相性がとても悪いことです。6時くらいに薬を飲み8時くらいにお酒を飲むと、10時には吐き気がしました。気持ち悪さを抱えながら笑顔でした。そして誰にも薬を飲んでいることをいえなかったので愚痴も言えませんでした。さらに、リストカットとアームカットをしていた傷が、服からはしっかりと見えていました。傷は隠せませんでした。色々なことを言われました。 その気持ち悪さに耐えることが出来ずにまた安定させようと安定剤を隠れて飲む為お水が無く、つばをためて飲み込もうとすると喉に引っかかりました。デプロメールという薬は、喉に引っかかると4時間くらい喉が焼け付くように痛く、熱く、ただれたような感じでした。引っかかっていて溶けないのです。ですが逃げ場がありません。嘘を隠す為の嘘が大変なことになっていました。(私の心の中でだけ)

仕事は12時までだったのでそれから飲酒運転で帰宅途中にコンビニで買いたい放題買っていました。詰め込み詰め込み、喉につっかえている薬も押し流そうとしましたが無駄でした。帰り道の途中の草原で嘔吐。家に帰ったら全てを胃までも洗うように嘔吐でした。そして眠気は来ません。気持ちが悪いので睡眠剤を飲みたくてもさらに気持ちが悪くなるのが嫌なので飲めませんでした。だからおきていて、あさ9時くらいにやっと眠れるような3年間でした。(薬服用期間3年程)

途中で飲酒運転で捕まり20万円払いました。当然の報いですが、何が悲しくて泣いてるのかわかりませんでした。捕まえて牢屋に入れて死刑にして欲しいくらいでした。

薬を飲んでいてお酒を飲むと(飲まなくてもなるものもある)時々記憶がなくなります。人にすごいことをしていたり、気がつかないうちに知らないところで寝ていたり。あとは大量服薬で、白目をむいて、精神異常者のような振る舞いをしたこともあると、後で聞かされました。警察に通報されるかもしれませんでした。 お薬の怖さも深いものがあります。全ては過食症から来ているものです。

 【キャッシングバージョン】

一人で暮らしていて、その時は過食嘔吐が始まって3年目くらいの時、環境を変えれば治るかもしれないと一人暮らしをはじめた訳でした。

はじめは、ひと月分のお金を持って仕事を始めたのです。しかし、過食嘔吐は環境を変えても何も変わりませんでした。 さらに症状が出て体がきつく、週六日働いて(調理場で朝9時から夜11時まで)体力がぎりぎりでした。人間関係は、シェフと奥さんが2人でやっていてその間に入るのがとてもやりにくく奥さんがとてもきつい人でした。 仕事の内容はあれこれ考えずひたすら仕事をし続けると言うので、人間関係が苦手な私にとってはまだ楽でした。

夜家に帰り着くと12時前で、それから夜ご飯は食べなくてもいいのにおなかはぺこぺこで抜いた方が吐かなくていいからと、我慢できた日もありました。でも次の日の朝6時くらいに起きてはわずかな食事も吐いていました。それから仕事に行くの嫌でたまりませんでした。お金もそこをつき始め、キャッシング機能付きクレジットカードを持っていたので、休みの日に迷わずキャッシングしました。気持ちのやり場がなかったのと、キャッシングの怖さを知らなかったからです。

まず、1万円借りました。無邪気にホッとして、食べ物にありつけたと一安心しました。その後の気持ちはみんな想像がつくと思います。 お財布には無かったはずのお金が入っているのです。「なにか買える♪」  と思い冷蔵庫が満足するくらい食材を買ったり、ファーストフード店のはしごです。気持ちはすぐさま奈落のそこへ落ちました。

1万円は1日でなくなりました。その日のうちにまた1万円。それが出来ると思うと仕事に行く気もなくなりました。 引越しをして仕事を初めわずか2週間で仕事をやめキャッシングをしました。それからキャッシングで生計を立てていました。何週間かすると50万円の限度額いっぱいです。本当に行き場がなくなって、借りた1万5千円を返済に入れましたが、返したのは7千円ほどで残りの8千円は利息分でした。 日雇いのバイトをしながら返済したらいいと軽く思っていました。症状が出ながら。

カードは4枚目に突入しました。自転車操業?というやつです。他のカードでキャッシングして、他のカードの返済をしていました。それも限度額いっぱいになり、新しくカードを作ろうとしたらもう作れませんといわれました。連携しているのでしょうね。 ローンとか支払いとか全てあわせ総額250万円位になりました。稼げばトイレに流し日に日に利息は増えていくばかり。電気が止められガスも止められました。家賃は滞納していました。

その時、共依存だったと思われる彼氏がいました。その人とデートする時はキャッシングしておごってあげたりしていました。何も言えずに。一人暮らしを引き上げる何週間か前に、その人に過食症だと言うと、「自分もそうだ」と言われました。「どれくらい食べるの?」と聞かれ、「ご飯11合」といいました。返事はありませんでした。連絡を無視されるようになりました。

何もなくなり首つりをしようと、ベルトを玄関の鉄のばねにくくりつけ乗ったら1秒くらいで引きちぎれました。死ぬことさえ出来ない。最悪の気持ちの思い出でした。


本当に怖い過食症 

30244  本当に怖い過食症    2006/06/01 23:37

私は過食症になって10年になります。この掲示板に来たばかりの方、私の体験談が少しでも参考になって、完治を目指すきっかけになればいいと思います。 私は過食のみで吐くことはできません。私がこの病気になって苦しんだことです。

 ・症状でた後は自己嫌悪になる。いなくなってしまいたい気持ち。

・自分に自身を持てなくなる。

・友達と会いたくない。

・仕事では少しのミスでも自分をとても責める。

・いつも頭の中は食べ物とダイエットのことばかり。食べながらカロリー計算していたり、心からおいしいと思っていない。

・身体症状は体のむくみ、倦怠感、胃の痛み、便秘、肌荒れ。

・妊娠していたにもかかわらず、過度のカロリー摂取とその後の極端なカロリー制限。

・旅行中でもおいしい食事を「少しでも太りたくない」という思いからほとんど食べれず。で、帰ってからストレスで過食。せっかくの旅行も楽しめず。

・頑張らないと不安になるので、常に動いていた。体が悲鳴をあげても全くそれに気づかず。のんびりしている夫をみるとイライラしてケンカ。

・育児にも集中できず、頭の中は自分中心。

いくらでもでてきそう。こんなに苦しい生き方していたんだって思う。

 でも一番コワイのは症状が増える経年増加。私は今は月2~4回だった。でも発症した時は週に5回だった。環境が変わり数ヶ月止まることもあったがまた症状は出て、それでも月1回であった。こうやって治らないのは仕事のストレスからくるものだと思い込む。出産を機に休職するが、治るはずもなく逆に症状は増加。月1だったものが月4回へ。週5回を経験しているだけに、戻るのは時間の問題だとは実感していた。

 センターに来なければきっと今頃は週5回どころじゃなく、もっと回数は増え、嘔吐も覚えてしまっているかもしれない。この病気は体だけでなく「心」も蝕む怖いもの。ここでしっかり治して、幸せな未来を迎えたい。

 


過食症がどんなに残酷な病気か

29753  過食症がどんなに残酷な病気か    2006/05/21 21:10   女性 会社員 28歳 O型 神奈川県  
 
 過食嘔吐9年の私が書けるだけ書いてみようと思います。
  
まず 何といっても 年々増えたり減ったりを繰り返しながら増えていく病気だということ。経年増加といいます。

○19歳の頃過食嘔吐を覚え、その当時の頻度は週に2-3回、金額も500-800円程度。
 3年後、22歳の時 一瞬(2ヶ月ほど)一日中になり、一日一万円以上使う日も。9年目の今も、センターで随分回復したけど、9年前と同じ内容では絶対に満足できない。
  
○過食衝動は、時と所を選ばず起こってくるので、旅行中であっても過食嘔吐は止められないことが多い。誰かと一緒に行動している時に、過食衝動が起こると、一人にして欲しくてイライラしてしょうがない。(これは~出来ないだろう、というような状況でも止められない。 我慢して止めると、可能になった瞬間からタガが外れたようになる)
 21歳の時、海外旅行中4日間 嘔吐なしで過ごしたら、帰ってきてから1週間は、過食のことしか頭にない状態になった。いや帰りの飛行機の中でもうめちゃくちゃ食べてた。
出張に朝一の飛行機で出かけなければならない日の深夜に準備をしなければいけないのに過食嘔吐してしまい、なんて不便な病気なんだろう、と思った。
  
○吐けないOR吐き切れないと、どんどん体重が増えてしまうこと。
 過食症になる人は、決まって「誰からも好かれたい」という性格を持つのに、これは耐え難い。
  
○「誰からも好かれたい」ので、たいていの過食症人は「頑張りや」で「努力家」で「世話好き」(そうじゃない子は見たことがない)でも、過食に使われる(使わざるを得ない)時間・お金・体力は年々増えていき、「頑張る」ことも「努力」することも「誰かの面倒を見る」余裕もなくなっていく。
  
○過食費だけに、月に何万円も使うことが普通になってしまう。
  
○過食の時間がどうしても必要になるので、過食にかかる時間が一日2時間だと、一日が22時間なのと一緒になってしまう。睡眠時間が少なくても身体がもつ20代前半はヘーキでいられることが多い。(私の場合)27歳になると、平日フルタイムで働きながら過食嘔吐に3~4時間も使うのは、生活破綻寸前だった。
 
そして 増え続ける症状におそろしくなり、センターに相談。悪習でも趣味でもなんでもなく、心の病気ということを知る。

怖い過食症人生

27302 過食について  2006/04/13 01:02
女性 主婦 27歳 B型 神奈川県
はじめまして。本日始めて皆さんの掲示板の仲間に入れてほしくて書き
込みをしました。
過食について今日は書き込みします。私は子供の頃、
ママ祖母から虐待されていました。

それから色々な経過を通して多重人格になりました。
私はそれから、人格を統合するため、一人で戦い続けました。
祖母の虐待は巧妙でそしてあまりにも劣悪だったため、初めて家族に
カミングアウトしたときには全く信じてもらえなかったです。
家族に、友人に。。。自分のことを知られるのが怖かったです。
ある日、たぶん高校一年生の頃だったと思います。私の中の一人
であるユウリちゃんが、ダイエットをしました。
思えば、家での虐待、学校でのいじめ・・・・いつの間にか食べることで
発散していた私は小さい頃からぽっちゃりとし体系でした。
でも、心の中にいるみんなは男の人達も女の人達も綺麗な人ややせた
人ばかりでした。
主人格の私だけは太っていて、肉体自体も太っていたので他の人格
はとっても納得がいかなかったのでしょう。
ユウリちゃんは強制的にダイエットを始めました。
結果はとてもはやくでました。
剣道部に所属しておりハードな運動、そして食事制限。
皆納得していて、私はほっとしたのを覚えています。
でも、時間の喪失時間も多く、高校に入っても勉強についていけないし、
友達も私自身には全然出来ませんでした。
そのうち、わけが分からないことが起きました。
精神が安定していない時期というのが私には良くありましたが、よく人
格が入れ替わる時期に来ました。
体の急激なリバウンドにより過食症になってしまったのです。
下剤をつかいました。それ以来、やせて綺麗だった体型はあっというまに
くずれ、ずっと太り続けました。私の過食はなんとか一時的におさ
まりましたが、このままではいけないと思いました。誰にも相談できなかった
ので私の中にいた味方になってくれそうな人格に声をかけ、統合
を図りました。
辛かったです。
私を守ってくれるどころか皆見下していて。。。
中には私がいなければ良かったのにといわれました。
高校2年生が終わる頃やっと力のある人格を少しずつ味方に付けて
生活していてトラブルを起こすような人格は消えてもらうことに成功しました。
その中でも、他の人格を抑える力があったのがるり子ちゃんです。
彼女は最終的に私との共存を選びました。
理由は分かっていました。ルリコちゃんには同級生の男の子に好きな子がい
たからです。
それから高校卒業後、私の中のまたべつの人格ルリコちゃんに彼が出来
ました。私自身はまだ初恋も経験していなかったのですが、ルリコちゃんは
積極的な人でわたしより、2つ年上の人格でした。
私はルリコちゃんが彼と会っているときは出ず、そしてそれ以外の
時間はでるようにしていました。
その時、初めて自分が痩せるというのを経験したのを覚えています。
リバウンドなどなく体が勝手にやせて言ったのです。
私はルリコちゃんが浪人して大学を目指していることをその当時やっとしった
ばかりでした。
でも、やっと自分の時間を取り戻し始めた私にとって
勉強ほど厄介なものはありませんでした。中学生の頃やっとひらがなを読める
ようになった私にとってやはり勉強についていけない学校に入るのは
嫌でした。
私はルリコちゃんと取引をしたんです。今まで学生生活を一度も
ちゃんと味わったことがないからどうしても、短大に入ってちゃんと自分の人
生を取り戻したい。
そのかわり・・・ルリちゃんは今の彼と付き合い続けていてもかまわないという
取引でした。正直、本当は嫌でした。ルリコちゃんは彼と性的な関係を持って
いたことをうすうす感じていたからです。でも・・・・どうしても、ちゃんと友達が
ほしかった。
ちゃんと自分で勉強したり、部活をしたり自分だけの人生がほしかったんです。
そして私は短大に入りました。それからその秋、私は初恋をしました。
どうしても・・・あきらめられませんでした。そして、ルリちゃんを説得する
ことにしました。もちろん、ものすごく彼女は怒りました。でも、もともと私一人の
体だったのにずっと自分の人生がなかったのに私にとっても納得がいきませ
んでした。如何しても引き下がれませんでした。そして、私はやっと自分だけ
の人生を手に入れました。その初恋の人が今別居中の夫です。
結局彼に追い込まれた私はその後、多重人格に戻り、別居する前から
過食症になってしまいました。
別居生活が始まってから最近漸く色んな事件が収まり、また私ひとり
にもどりました。
これから過食症と向き合うためこの掲示板に書き込みを書き込みをしていこう
と思います。
みなさん。よろしくお願いします。