忍者ブログ

摂食障害(過食症・過食嘔吐)無料相談 本当は怖い過食症ブログ

本当は怖い過食症

【ダイエット・摂食障害・拒食症・過食嘔吐の体験談ブログ】 摂食障害(拒食症、過食症、過食嘔吐、下剤乱用、チューイング・噛み吐き)は、本人が思っている以上に心と体を蝕む怖い病気です。 まずは過食症の本当の恐ろしさ、大変さを理解すること。 それが治すための第一歩です。 無料相談が出来るサイトも紹介しています。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


怖い過食症人生

33815  わたしの過食症歴その2    2006/08/05 08:25
  女性 自由業 33歳 B型 栃木県  
 
 18歳後半、食べることが止められない、母は再婚した父を嫌う(でも心の中ではとても必要としていた)私のために、父と別れることを真剣に考え、父に相談していた。
ずっと部屋に閉じこもりきりの生活。
薬屋になんどか通い、思い切り眠くなる頭痛薬を買ってきて、一気に20錠飲み、うつらうつらとしてくるが1時間くらいして気持ち悪くなり部屋から這い出してきた。
「助けてー、見捨てないで。」と、朦朧とした中で言った記憶。
血のつながらない父が抱きかかえてくれた。胃袋が爆発しそう、気持ち悪い気持ち悪い。
傍で母が「この子をもうどうしてよいか分からない、手に負えない」
「馬鹿!なに言ってるんだ。自分で産んだ娘だろう、今まで一生懸命にやってきた娘だろう」
という会話が少し聞こえたことは覚えている。
父の腕の中でたくさん吐いた。母はかかりつけの医者に電話していたような。
この頃、夜中2時に家を出て、近くのスーパーのゴミ捨て場、残り物のお惣菜が捨ててあるのを毎晩拾ってくるのが日課。
チューイングをするが物足りない、ならちょっとだけ吐いてみようか、食べ吐きが始まる。

19歳のころ、浪人生活、予備校はほとんど行かず、毎日家で食べて吐く生活。
一度吐きすぎて貧血で意識がなくなりかけるがそのまま続ける。
20歳のころ、このままではいけないのかな、とふと思うようになり、何気なく専門学校の広告を見つけ、通うことにする。
21歳のころ、埼玉の専門学校に通うため、一人暮らし。毎日学校にまじめに通うが、夜は過食嘔吐、時間的に1回しかできなかったが、習慣になっている。
土曜日だけ「解禁の日」をつくった。好きなものを自分が安心して食べられるものから少しずつ食べ、おなかいっぱい食べても吐かない日。
酒を大量にのみ、そのまま眠る。夜中に起きたときは気持ち悪く、顔は倍くらいにむくんでいる。日曜の夜までうつらうつら眠り夜は過食嘔吐、土曜の夜に食べたものがまだ胃にのこっていて、気持ち悪いものまで吐き出していた。
そのうち、解禁の日も、普通の過食嘔吐になり、土日はずっと過食嘔吐をする日となる。
ある夏休みのある日、母と電話で口論になり、大量にアルコールをのみ久々の「解禁の日」を実行。急性アルコール中毒になりかける。
電話のやりとりを心配していた母が3時間かけて向かっており、アパートで倒れ掛かっていた私を発見し、事なきを得る。

そのまま学校を卒業、実家のほうにもどり、就職するが、やはり過食嘔吐を両親に気兼ねなく思う存分するために実家をでて、一人暮らしをする。

この頃、過食嘔吐、毎晩1~2回、休みの日はずっと。
途中、仕事を辞めたり資格を取ったりするあいだ、休みの日の過食嘔吐は減ったり増えたり。
ただ、今まで一日も休むことなく、毎晩の日課となる。

33816  わたしの過食症歴その3    2006/08/05 08:50 
 ここまで書いて、そのときの気持ちってあまりない。
ただ、25歳のときカウンセリングを受けたりして、私の中のインナーチャイルドが叫んでいる、ってことは分かった。

ガメラの卵みたいな中に入っているインナーチャイルドが出てこれなくて中でうずくまっている。ぶるぶる震えていて、怖いよ怖いよっていっている。

催眠療法、ワークなどもやったけど、途中で体が動かなくなり中断。

過食嘔吐が癖になっているところもあってタバコのように止められればと思うが難しい。

ダンナは11歳も上のひと、父親をかぶせているのかな。ダンナと付き合うとき、なんでも話を聞いてくれて「甘えられる人だ」って心が満たされた感じがあったこと、覚えている。
でも、結局男の人は甘えんぼ、私は甘えられず、過食嘔吐は続いている。


PR

怖い過食症になって

33765 過食症になって  2006/08/04 11:57
女性 無職 29歳 AB型 東京都
 
覚醒剤から、やっと脱出したとその当時は喜んでいました。大阪へ引越し、初めて社会人として仕事を始めた環境の変化、本当はすごい恐ろしいほどのストレスと、心の病気を抱えて。

過食嘔吐とジムとアルコールへ依存しなければいけないほど私の心は蝕んでいたんです。可哀想に。。。

始めはあまりの激務にジムに行くことはできず、過食嘔吐とアルコールに逃げていました。当時は今ぐらいの体重があったと思います。
1年ほど経つ頃には少々出世?して、偉そうになってました、部下を使うことも覚えて、ジムに行ったり、週末は休めるようになりました。で、結局体重にこだわり始めるんですね。

今思えば、あの頃から(24歳ごろ)同じような過食嘔吐生活を28歳の仕事辞めるまで送ってきたと思います。週末の金曜は必ずエンドレスに続け、土曜まで。日曜になったら、6~7時間ジムに行って猛烈に運動をして、月曜に出勤。平日はジムに行って、夜は殆ど食べない。

東京に帰ってきてからの方がストレスは減りました。
友達や男の子と飲むのも遊ぶのも増えたからねええ。
楽しかったのは事実。
けど、結局恐ろしい経年増加ってやつで、症状は一向に同じなんですね。

仕事辞めてからも、おはようビールと名づけて朝から飲みっぱなしで、過食嘔吐を続けていました。自分の中では幸せでした。
けど、惰性で掃除等めんどくさいからアルコールと過食嘔吐に逃げている時期もずっとありました。

センターに出会って、まだまだまじめな生活を送ることが難しいですが、昔とはだいぶ変化したことを気づかされます。

早く普通の生活を送りたい。普通の食事ができるようになりたい。
長年、悪循環となってしまったものを早く退治しなきゃ!!!

怖い過食症人生

32278 過食症になって  2006/07/06 14:27
女性 主婦 31歳 B型 神奈川県
中学生からずっとぽっちゃり(というかがっしり)してた私ですが、高校生になってからやはり外見を気にするようになりました。
なにがきっかけかは忘れましたが、晩御飯をたくさん食べても吐いてしまえばやせられることを発見(?)したのです。
それからスルスルと体重は落ち、今までの人生では考えられないくらい異性からアプローチされるようになりました。

それまで、さえない人生で男性への免疫もなかった私は優等生の道をずるずると外れていってしまいました。
彼氏にうつつをぬかして大学受験にも失敗。
それからタガがはずれたように、遊びまくるようになりました。

両親は厳しかったのですが、ウソをついて遊びにいってたりしました。ゆきずりの男性と一度かぎりの関係をもったことも一度や二度ではありません。
男性がちやほやしてくれるのが嬉しくて見境なく手を出していました。
そんなだめな自分と親の前での「いいこ」の自分が苦しくなり、過食嘔吐は一日3度にもなりました。

働きながら夜間の大学に通うようになり、サークルにも入り充実した毎日に過食嘔吐も忘れかけていました。
でも、朝5時におきて仕事に行き、大学から戻ると毎日12時という生活にだんだん疲れ、でも頑張っている自分に酔っていたのか無理して続けているうちにまた過食嘔吐をしてしまうようになりました。

社会人になって結婚するまでの間、かなりガマンできるときと1日何回も吐いてしまうという日の波のある過食がだらだらと続いていました。

医療機関に通うことも考えましたが、充実すると過食も忘れていたりするのでまだなんとかなるとたかをくくっていました。

しかし、子供が生まれて2年半の間2回も引越しがあり、慣れない環境での育児でストレスが2倍3倍にもなり過食もひどくなりました。
結婚前は1週間に1回ぐらいだったのがほぼ毎日になりました。

今はこどもを一時保育に預けリフレッシュしていますが、こどもと一日一緒にいる日には夕方に爆発してしまいます。

こどものために治したい、と本気で思います。
自分の過食をこどものせいにしてあたってしまう自分に本気で死にたくなります。
いい母親、いい妻にならなくては。
出産してからいままでずっとその考えにしばられていました。

辛いことは、やりたいことはいろいろあるのに、結局過食嘔吐に時間とお金を使ってしまっていることです。
つくづく自分がいやになります。


怖い過食症

31753  過食症になって   2006/06/29 01:38 女性 主婦 29歳 O型 神奈川県

一度この病気になると、ほんとに自分にどんどん自信がなくなって、責めて責めて責めたおして、大嫌いな自分になっていってしまいます。
もともとは学生時代は部活も勉強も恋愛もなんでも頑張る自分が大好きでした。自分のことが好きなときって何やっても楽しいんですよね。
その逆で、嫌いな自分は、何か悪いことが起きれば全部自分のせい、かといってなにもできずに過食嘔吐を繰り返す。楽しいなんて感じちゃいけない、こんな醜い私、食べ物もお金も時間も無駄にする私にはそんなけんりがないって。これってすごい悪循環。一度はまりこんだら抜け出せない。そして精神的な部分だけじゃなくて、経年増加をたどれば当然のごとく身体に異常をきたします。子供を産んでから、すぐに生理がきて、授乳していても順調に毎月あったのに、症状がひどくなったころから急にストップしてもう7ヶ月きていません。最近は吹き出物が顔や身体にでて、何か食べ物を口にすると舌に違和感があります。
そして、この病気になるとたくさんの人生のチャンスを逃していると思います。食べ物のことを考えてた時間を仕事のことを考える時間にかえていたら、きっともっといい仕事ができたと思う。今は、子育て中なので、子供や主人、愛する家族にたくさんの愛情を与えたいのに食べ物のことばかり考えていることがつらくてたまりません。

生きて完治したいです

30837  合併症について    2006/06/16 01:54

  女性 公務員 41歳 A型 大阪府 

合併症というのかどうか定かではありませんが、今思えば「30835」に書き込んだ自殺未遂。これは合併症だったんではないだろうか?と思っています。そのあと、体調不良で「うつ」「ひきこもり」がおこりました。「うつ」や「ひきこもり」の起こる前には前兆があります。突発的な食欲。そのときは、味はあまり感じず、どちらかといえば味のしっかりしたものやメリハリの利いたものが好ましいと感じているようです。その次は「めまい」がでて、「うつ」や「ひきこもり」がでてきます。

 30836  肥満治療をうけてたことがあります。    2006/06/16 01:46   女性 公務員 41歳 A型 大阪府 

 私は、「過食症」とはわからなかったですが、異常な過食をするといって医療機関に相談したことがあります。たしか平成8年ごろかな。大阪大学第②内科の小谷先生(現在は開業されています。)血液検査やエコーなどを行ないましたが異常なし。ただの重い人といわれてしまいましたが、食欲を落とすための薬物療法をしました。「サノレックス」という薬を飲みました。眠気と口渇がひどくやめました。結局、食欲は抑えられず、ますます過食がふえました。そのせいでリバウンドがおこりました。

 30835  過食症になって    2006/06/16 01:35  女性 公務員 41歳 A型 大阪府

「過食症だったのか!」という自覚がでたのはこの数日ですが・・・過食はもう長いです。私が16歳のころからなので25年になります。3歳の頃からころころに太っていますので、体型について罵声とは行かないまでも、受けた屈辱は数え切れません。その屈辱を忘れずにダイエットがんばろうと費やした金額は3000万円を超えています。しかし、無理に食べないようにしてよくもって1週間。生理間近になると、とたんに過食がでます。その後はしばらく過食は止まりません。もうこれを25年。増え続けた体重は95キロ。いやぁ、どんなマッチョの中にいても立派に見えます。もう、この間までダイエットが趣味のようになっていました。ダイエット費用は親が工面してくれ、なぜやせないのか??どんな人でもやせる減量をしてみたけれど、私だけどうして続かないのか???「過食症」という病気だったことをついぞ知ることもなくこの年齢になってしまいました。また、ダイエットのサロンでも「あなたはやせない!」「みんな結果を出しているのになぜなの???」からはじまり、悲しくなるようなことばかりいわれ続けてきました。

過食がとまらない。リバウンドの連続。後ろめたい気持ち万歳!悲しくて、自分をこの世からなくしてしまいたい。 

37歳の年に男性とめぐり合いましたが、結果的にやせようとしてもやせれない「馬鹿」とは暮らせない!という結論を言われました。悲しくて、またまた自分なんか肉体のない世界にいきたい!とその男性の住むマンションから飛び降りようと思いましたが、汗がでてきて怖くてできませんでした。

それでも自分が「過食症」と気が付かない。めでたい性格なのか?しかし、わかった以上治さなければ!私は生きている。生きて完治して素敵な人生を送りまっとうしたいです。