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摂食障害(過食症・過食嘔吐)無料相談 本当は怖い過食症ブログ

本当は怖い過食症

【ダイエット・摂食障害・拒食症・過食嘔吐の体験談ブログ】 摂食障害(拒食症、過食症、過食嘔吐、下剤乱用、チューイング・噛み吐き)は、本人が思っている以上に心と体を蝕む怖い病気です。 まずは過食症の本当の恐ろしさ、大変さを理解すること。 それが治すための第一歩です。 無料相談が出来るサイトも紹介しています。

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怖い過食症になって

35841  過食症になって   2006/10/11 12:21
  女性 自営業 36歳 A型 東京都  
 
初めは18歳の時、ダイエットがきっかけでした。
その後、結婚して妊娠して家族と暮らしていた4年間は症状がなかったのに、、、
何がきっかけだったのか記憶にありません。
初めは一週間に数回だったような記憶があります。
それからは、引っ越しをきっかけに数ヶ月良くなったりした以外は毎日吐いたりするようになりました。
思考能力も集中力も失い、廃人同然の様な日も出てきました。
図書館で文献を読みあさっても何も解決策が見つからず、テレビの飢えた難民のニュースを見ては自分の姿に自己嫌悪と罪悪感で悩む毎日でした。
仕事もままならなくなるので夜だけ吐く様になりました。
経済的にもどんどん苦しくなって遂に水商売のアルバイトまで初めてしまいました。
母子家庭なので、子供を深夜保育に預けたら子供は肉親の愛情に触れる時間が全く無くなってしまいついには自家中毒を起こしてしまいました。
子供と寒い雪の中、意味もわからずにいる息子に「ごめんなさい、ダメお母さんでごめんなさい」と二人で泣きました。
両親に泣きながら電話をして息子の事を預け単身で上京しました。
働き尽くせば、過食の事を考える時間も無くなるだろうと思い、昼も夜も働きました。それでも年ごとに症状はひどくなり、死ぬ事ばかり考えていました。
 
肉体にも非常に顕著な症状が出てきました。
歯がぼろぼろになり、食道はいつもひりひりと腫れた感覚で、顔はいつも疲労感が漂い、とてもブスになりました。
青あざがとても出来易くなっていつもどこかにぶちが出来る様になりました。
 
 今、このセンターに出会ってこの病気が自分の体を蝕むだけではなく息子の人生にまでも影響する事をを知りました。
連鎖しない様にしっかり治さなくては大切な息子の人生までダメにしてしまうと恐ろしくなっています。
 
 完治目指して頑張ります!
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怖い過食症になって

35806  過食症になって   2006/10/10 22:50
  女性 主婦 24歳 O型 東京都  

まず、大切な出会い、チャンスを失った。人に会うのが怖くなる、
一人でいたい、だから今10年振り返るとほとんど何も思い出せない。
一人の世界でこっそり食べて吐く記憶だけ。

 
修学旅行さえさぼった。学校もうまくさぼってた。
集中力が無くて勉強は手に付かない、得意だった絵もじっと座って描くのが苦痛になった。
好きな色、好きな人、好きな服、好きな事、全て判断できなくなった。
 
日曜日も苦しい日になった。だって何がしたいかわからないんだもん。
 
一生懸命服を選んで、気分を盛り上げる為にお化粧して、靴を履いた。
玄関で2時間動けなかった。
なんとか家を出たら、黒い靴下の左右の濃さがすこーーしだけ違うって気がついた。
心がざわざわしはじめた。100m進んだところで動けなくなった。
どこに行きたいかわからないよ。電車に乗って、私が好きな筈の美術館に行けばいいのに、すぐそこの映画館に行けばいいのに、動けない。
このまま帰ったら、1日食べちゃうよ。こわいよ、こわいよ。
本当に動けなかった。一人公衆の面前で、鼻水垂らしながら泣いた。
平日の朝、通勤の人たちが皆見てるのに、どうにもできなかった。
 
この日の事は、今でもよく覚えていて、時々思い出す。広い世界にぽつんとひとり、動けない自分。
過食症は、私をこんなところに引っ張ってきちゃった。
 
まず一番つらいのは心です。生きている事、自分が自分であること、ただ、今存在している事が苦しくなる。
365日、24時間、1分1秒が苦しい。
 
次につらいのは身体です。疲れている時ほど、何故か余計に身体を酷使ししようと歪んだ心が働く。過食嘔吐が激しくなって、身体が休めのサインを出しているのに、素直に従えなくなる。
全身の倦怠感、胃から来る背中の痛み。
ひどい時は夜、必ず悪夢にうなされて、自分の叫び声で目が覚めた。
落ち着いてまた眠りにつくとまた叫んでは起きて、ついには寝る事が怖くて、寝ない為にテレビ、音楽、電気、全部付けてた。無呼吸で苦しくて目が覚めたり、不眠症になったこともある。
多分これは嘔吐によるミネラルバランスの問題だったと思う。
今は必ずスポーツドリンクやバナナなどカリウムを含んだものを補うように気を付けているし、病状も当時よりは良いのでこういうことは比較的減ったけれど。
 
次に、金銭的な問題。私は経済的に完全に自立できた事がない。
以前は両親、今は夫に頼ってる。
ひどかった時は、アルバイトで稼いだお金12万をほぼトイレに流していて、親にも言えず、お財布に5円しか無い状態で過ごした。
小麦粉を水で練って砂糖醤油で食べたりしてなんとか過食嘔吐した。
友達にお金を借りた。平気で借りてた。友達が忘れたのを良い事に、返さずに済ませた。平気だった。
万引きした。過食費が無くて、紙袋にさりげなくお菓子をストンと落として、100円のガムを買ってレジを通った。上手く行った。
 

私は、まじめに育てられました。ポイ捨てする人を注意するような子でした。
万引きなんて私には本当に無縁だったんだよ。
自分が居なくなっていく。病気に乗っ取られてた時が確かにあった。
恐ろしい、と今も思う。
 

大学進学も諦めた。今は稼ぐには肉体労働しか残ってない。
進学校だった高校の同級生は、皆6大学を出て、良い会社に勤めて、お給料をもらって、自分を磨いてきれいになった。お洒落になった。
中学生から働いていた私は、高校の時も他の子たちよりお金があって、着飾る事が出来たし、年齢より大人びたことを覚えて、皆から羨ましがられていた。
今はこつこつと頑張って来た皆の大逆転。
虚しさ、恥ずかしさが込み上げる。
 
落ちこぼれ、ドロップアウトしたような後ろめたさがこころのどこかに植え着いてしまいました。
 
10年かけて失った自信を、自分を取り戻すのにいったいどれくらいかかるんだろう。
24歳の10年は重いです。

怖い過食症

35402  怖い過食症    2006/09/28 12:04
  女性 主婦 28歳 B型 神奈川県  
私は25才で今の主人と結婚しました。出来ちゃった結婚でしたがすごく幸せでした。
だけど結局流産してしまいしました。
ちょうど3ヶ月にかかったとき稽留(けいりゅう)流産というものです。
産婦人科の先生からは『流産の確率は15%程度と言われ、100人の妊婦さんがいたら12~20人くらいの人が流産してしまいます。原因のほとんどは染色体異常などの避けられないものであり、決して「あの時無理をしたから」では
ありません。』と言われました。
今となっては何が原因かわかりません。
そのとき自分は過食嘔吐をしていただろうか。
これがどうしても思い出せないのです。
流産の後はショックで止まっていたのは思い出せるのですが。
妊娠中どうだったかどうしても思い出すことが出来ません。
でも多分、やっていたんじゃないかと思うのです。
なぜなら今の娘を妊娠・出産したときもやっぱり症状は止まらなかったからです。
私は出産の直前まで症状が止まりませんでした。
比較的軽い症状だったとはいえお腹の赤ん坊に影響がなかったはずがありません。
怖くて産婦人科の先生にも告知できない、だからと言って自分の力でやめることもできない。
親にも旦那にもまさか症状が出ていることなんていえない。
子供を授かった喜びよりも、毎日罪悪感と戦うことででいっぱいいっぱいでした。
私はとても運がよかったのだろうと今では思います。
それでも、どうにか五体満足な元気な赤ちゃんを産むことが出来たからです。
今も元気にスクスク成長しています。かわいいかわいい宝物です。
だけど子育てをしながら過食嘔吐をすることは体力的にも精神的にもかなり辛いものがあります。
子供の存在がこの病気から立ち直らせてくれると思っていた時期もありました。
だけど子供がかわいいのとはまったく別の次元の問題でした。
センターのドアをたたく決意をしたのも体力面精神面ともにぼろぼろで、限界だったからです。
そして何より自分の力ではどうにも出来ないものだと言うことを身をもって体験したからです。
職場の異動・引越し・結婚・出産・・・なにか劇的な環境の変化があればもしかしたら治るかもしれないなんて、なんて甘い考えだったのでしょうか。。。今では恥ずかしいとしかいいようがありません。

ここにはお子様を育てながらこの病気と闘っている人たちがたくさんいます。
今まさにお腹に命を授かっている人だって。
私はそんなみなさんからいつも沢山の勇気や感動をもらっています。
センターに出会えてよかったと心から思いました。
だけど、できればこれからの人たちにはこんな辛い思いはして欲しくないなと思うのです。


怖い過食症

35092 過食症になって 2006/09/14 22:32 女性 学生 22歳 O型 神奈川県

過食嘔吐するようになってから、5年が経ったけど、自分ではそれがすごく日常になってました。
だけど、何度も何度も“止めたい”と思ったのは、身体への負担以上に精神的に応えるからだと思う。
過食症ってことで、劣等感や敗北感、非力感を社会に対して抱くようになっていました。

過食して嘔吐しきらないと気がすまないから、時間が守れなくなりました。そのせいで遅刻したなんて言えるはずもなく、「電車が遅れて」とか「乗り換え間違えちゃって」とかなんだかんだ都合のいい嘘をつくようになりました。
休日など、「何してたの?」なんて聞かれて「一日中食べては吐いてた」なんて言えるわけないから「適当にすごしてた」なんて言うようになりました。
“家にいなければいい”というのと“何かしなくちゃ!”という考えから、毎週毎週求人雑誌を読んでは印をつけるけど、“こんなわたしにできるはずない”って思うと電話すらできません。
時間も守れず、時間管理もできない自分。
友達は、いつも遅刻し、バイトもしないで親のお金で遊ぶ私のことを、“どうしようもないやつだ”って思ってる気がして仕方がありません。
社会はもっともっと受け入れるはずがありません。

考えたくなくて、過食嘔吐を繰り返します。そうして、ちょっとの爽快感とたくさんの後悔にさらに心はすさんでいきます。

そんなのの繰り返しの日常の中、私はますます自信を言うものを無くしていきました。なんでか、外見は自信に満ち溢れて見えるそうです。それも本当はプレッシャー。
だって、私の心の中は、劣等感と敗北感が渦巻いてるんだもの。

過食症になってから、常に友達や家族含めた大人たちに“オマエは何もできないダメな子だ”って言われてる気がして、何をするにも不安にさいなまれるようになった。だから、何もしたくなくなった。人生なんてどうにでもなってしまえばいいって思うようになった。

本当の本当はそんなの嫌だ。“三つ子の魂”が本当なら、私は好奇心旺盛のポジポジ女のはずです。過去にしがみつくのはかっこ悪いことかもしれないけれど、私はもう一度あの時の自分を取り戻したいのです。

そのためには、この病気にキーがあると思うのです。

私の過食暦

35048 私の過食暦  2006/09/14 00:55  女性 自由業 26歳 A型 大阪府
大学3年(22歳)から始まり、4年前となります。
精神的にもまいっていたので、はっきりと当時を思い出すことができないのですが・・・

バイトの帰り、スーパーのお惣菜やパン、お菓子を5000円分は最低でも買い込んで、過食嘔吐を繰り返す日々が始まりました。
私の場合、過食から過食嘔吐というより、一度過食嘔吐をなぜか覚えて、それからは毎日でした。
もうその頃は、ただ食べることと吐くことしか頭になかったので、吐けたときは、「よし、今日はちゃんと吐けた」と。
嘔吐が続くと、吐けない日がでてくるのです。
お腹は、横になれない位はちきれているのに、どうしても吐けない日がありました。この日は、だんだんと増えていきました。
その頃の過食費は、月に15万くらいで、バイト代全部つぎ込んでいました。

2年前からは、食べ物に偏食が現れ、これしか今は食べたくない。
とい感情から、一時はパンしか食べてませんでした。
また、たんぱく質しか食べたくないときは、卵、ハム、ちくわ、などなどたんぱく質を多量摂取。
いずれの場合も、最後は必ずお菓子に辿りつき、チョコ、クッキー、アイスを出来る限り食べると言う感じです。

かなり人間的生活ではないと、自己嫌悪、自己否定、自分は人間じゃないというのがそのときの感情です。
今でも、過食、過食嘔吐をするとそう思うときも多々ありますが、慣れてきたせいか「仕方が無い、私には無理なんや」と呼ぶ声が心から聞こえてきて、それに甘えて過食を続けています。
ただ、あきらめているばかりではなく、してしまって悔しい、苦しい、と涙があふれることも多々ありますが。

下剤乱用は、4年前からです。もともと便秘症で腸炎で3回入院したこともあり、便秘がかなり怖いのもあります。もちろん食べたものを出したい思いも強いです。ですので、今はずっと毎日飲み続けています。これを続けるわけにはいかないと分かっていても、依存してしまっています。この先が不安で仕方ないです。