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摂食障害(過食症・過食嘔吐)無料相談 本当は怖い過食症ブログ

本当は怖い過食症

【ダイエット・摂食障害・拒食症・過食嘔吐の体験談ブログ】 摂食障害(拒食症、過食症、過食嘔吐、下剤乱用、チューイング・噛み吐き)は、本人が思っている以上に心と体を蝕む怖い病気です。 まずは過食症の本当の恐ろしさ、大変さを理解すること。 それが治すための第一歩です。 無料相談が出来るサイトも紹介しています。

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過食症になって

40489  過食症になって   2007/01/21 02:22 
   
私は高校3年の夏休みから今までの4年間(2月で21歳になります。)
過食嘔吐を繰り返しています。
初めは真面目にダイエットしてました、健康的に。
ジムに通ったり、お菓子を食べなかったり、ジュースをお茶に変えたり・・・・
頑張ってる自分が好きでした。
でも、結果は変わらず、こんなに頑張ってるのに・・・
食べても食べてもお腹が空く自分が嫌でした。
さっき食べたばかりなのになんでお腹が減るの??って
自分に毎日問いかけてました。
それがストレスになったのか、『吐けばイイのに』って思うようになりました。
吐けば太らない・・・・思いが現実になりました。
勝手に食べた物が口から出てくるんです。
初めは病気かなって思ったけど、目標体重になりたかったのもあったし、
みるみるうちに体重が少なくなっていくのがとても嬉しかった・・・
もうその時にやめれなくなっていた。

毎日毎日過食嘔吐。1日に多い時で7回位かな。
家族は皆知っている、お母さんはあんたが本気でやめようと思って
ナイからやって言われた。
本気で止めたいなんて毎日思ってる。
やめられへん私の気持ちは解らないと思う。
悲しかった、周りには誰もこんな気持ち解ってくれる人居てないから。
皆心配してくれるんやけど、『自分の心一つやで』って励ましてくれ
るんやけど・・・それってやっぱり私が甘えてて、意思も弱くて・・・
って言われてるような気がして。
思い切って何人かの友達には話したりしたんやけど、
心配かけるだけで全然話したのにスッキリしなかった。

でも私も自分の意思が弱くて頑張れてないから治らないんやと思ってた。
毎日毎日『何でそんな意志が弱いの??』『もっと頑張れるやろ』って
心の中で葛藤・・・・
友達とご飯食べにいったって『この人は普通に食べれる人』って友達の事みてるし、
自分が過食嘔吐なんて知られたくないから普通に食べてるんやけど、
内心いつ吐こうかって考えて食べてるから味は美味しいんやけど、全然美味しくない。
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過食症の原因について

40143  過食症の原因について   2007/01/15 14:49
  女性 学生 21歳 O型 徳島県 
 
小学生のころから、肥満体型というよりたくましい体型をしていました。
運動することが好きで、陸上や水泳では大会にも出場する位でした。
小学卒業と同時に通っていたスイミングスクールを止めました。
思えばそのころからぽっちゃりしてきたと思います。
中学では、部活の中で最も厳しいというバドミントン部に所属しました。
中1の最初は身長149cmで体重51kgでした。
本当に厳しい部活でした。
ただ、なぜかそんなに激しい運動をいくらしても全くやせなく、
部活で体重や対脂肪を測定したこともあり、顧問の先生にもっと走り
こめと言われましたが、周りの子と比べてもなぜか体重が落ちることは
ありませんでした。
給食の量が多かったからと思います。中2の頃には55kgほどでありました。
周りから見ると、運動もしており、筋肉もついて体の線はメリハリがつ
いていたので、太くないよと言われましたが、ジーンズや細身の服が
着れず、何度も泣くことがありました。
中3で部活を引退してからは、一気に太り、60kgとなりました。
私は、小学1年生から中学3年まで、マラソン大会で6位より順位が
悪かったことがありませんでした。
ただ、その結果を聞いて母が「そんな体でよお走るな」と、からかいの
言葉がとてもとても傷つきました。
それまでもちょくちょく、私が体重計にのる度と、「気にしても無理やって」
と言われました。
母のことが決して嫌いではなく、運動も勉強を自分で言うのもなんですが、
優秀にやっていたのに、
「なぜ、素直にほめてくれないん」「何で、他の子と比べられるん」
と心底イラつきイラつき、どんどん自信がなくなっていきました。
自信がなくなったのは、勉強や運動ではなく、恋愛です。
女友達といて、男子が自分のことを選ぶことなんてありえないと思っていました。
それは、全て太ってるせい。
そう思って、高校ではひたすらダイエットに励みました。
タバコもやせると聞き吸いました。バイトで貯めたお金で、ダイエットの
薬を何種類も買いました。
やれることは全てしました。元々、一度やる決めたらがむしゃらにがんばれるの
で、半年で8kgやせました。
その時、部活でも軽やかに動け、着たい服も着れ、気分がよくなり、
全てが上手くいきました。
「努力すれば成功するんだ」「やせれば全てが上手くいく」と確信しました。
しかし、かなり食事も制限してあり、リバウンドで徐徐に元の体重にもど
り始めました。
体重計に乗るたび、狂ったように泣きました。
友達の「2kgやせたー」という言葉が心底むかつきました。
タバコも母にばれ、母がとても悲しみました。
初めてその時私がこんなに悩んでいるということを理解してくれ、ジムに
通わせてくれるようになりました。
それから、私の高校生活はこんな感じです。→放課後部活→ジムで
1時間位ランニング→エアロ→帰宅して半身浴1時間ほど。
食事は規則正しく摂っていました。
その頃、周りはテレビや恋愛に夢中なとき、私ただただこんな生活でした、
しかし、やせることが最大の幸福でした。
人の何倍も運動して初めてやせることができました。
少しでもさぼるとすぐ太りました。
ただ、ここまでの経過では、実はまだ過食嘔吐はありません。
ジムは高校3年の11月まで続けました。私は大学は国公立狙いでした。
この時期まで、勉強の時間まで削って通ったのは、太るのが怖かったからです。
太ると全てが終わるように思いました。
なぜ、ジムをやめれたかというと、この頃から過食嘔吐ができたからです。
好きなものが食べれて、満腹感も味わえ、太らない。
なんてすばらしいんだ、と思いました。
ただ、高校生活で興味が持てたことは、食事のことだけです。
過食のことも調べ、それから起こる病気や体への影響も知っていました。
それでも、やめれませんでした。
このことしか考えてないので、私が選んだ大学は、実は栄養学科です。
もっとよく知れば、正しくやせれるし、この病気も治せるかとも思いました。
大学に入る前は、過食についての本も買ったり、自分にやめれるように
決まりや目標も設定し、入学して1ヶ月くらい過食はやめれました。
しかし、大学生活では、飲み会があり、夜遅くまで飲み食いすることがた
くさんあり、最も楽しめる場でした。
部活後や友達と食事に行って話すのも楽しかった。
そして、楽しむためにまた、過食嘔吐が始まりました。
なぜ、他の子はあんなに食べても太らないのかが、不思議です。
多分私の体がおかしいのだとは思うけど・・・。
運動するのが好きで、新しいスポーツもしたかったので、1年の頃はバスケット部に所属していました。
しかし、ありえないほどお金がかかるので、初心者の私にはきつく、
2年になる前にやめてしまい、今は他の大学のバドミントンのサークルに
所属しています。しかし、予定が合わずあまり参加できません。
運動をしなくなり、さらに、過食嘔吐の回数が増えました。
特に冬になるとひどいです。バイトのお金がほとんど食費にかかるようにな
りました。大学生になり、スタイルも顔立ちもよくなり、新しい人間関係
もできましたが、今のスタイルは作りもので、自信が出来たようで、
実は出来てないとわかりました。
どうしても恋愛に関してなにもできない。
まず、ご飯に誘えわれても行けない。
栄養学科にいる自分はいったい何なんだ。と思います。
今はこんな相談をしていながらもこのままがいいという甘い自分がいますが、
将来のことを考えると今どうにかしないとと思います。

過食症になって

40107  過食症になって    2007/01/14 18:53
  女性 学生 21歳 AB型 広島県  

 過食症の一番の怖さは自暴自棄に陥ることです。
私の自暴自棄が一番ひどかったのは大学1年生のときでした。
そのころは、バイトとテニスの部活が忙しく、振り回されてい増した。
ストレスもたまり、大学に入ってから治まっていた過食嘔吐が再発しました。
部活も恋愛もうまくいかず、自分に自身を失い、さらに症状がひどくなりました。
その量と回数は、高校時代の2、3倍になっていました。精神も肉体もボロボロになったある日、
バイト先の店長に、「なつ(できる先輩)はもう社会に出れるが、お前はまだまだ社会にでれん。」
と、言われました。本当に些細な一言だったのですが、そのときの私は極度
のネガティブ人間だったので、ものすごく心に突き刺さりました。
その一言から自分を責めて、
「私はかわいくもないし、勉強もできない。テニスも別にうまくないし、性格
もよくない。おまけにバイトでも使い物にならない。なんて価値のない人間
なんだ。生きてる意味ないわ。本当に死んでしまったほうがいい人間なんや。」
と、とにかく自分を責めて責めて責めまくりました。
そうしたとき、目からは滝のように涙が流れ、おなかの奥の奥の奥の方から、
男の人の吠えるようなうめき声が沸き起こりました。
自分の意思とは裏腹に、その声を止めることができず、
私は、「うぉー、うぉー。」と叫び続けていました。
胸は張り裂けんばかりに苦しくて、息もできないほどでした。
私の中のインナーチャイルドが悶え苦しんでたんだと思います。
「やめてくれ~、やめてくれ~。」と言っているようでした。
そして、「殺さないで」と必死で生きようとしてたんだと思います。
その日のバイト先からの帰り道、バイクでどこかに突っ込もう、と思っていました。
吠える声も止められず、叫びながら帰ったのですが、突っ込んでも
死ねそうなところがなかったので、とりあえずは家に帰り着けました。
一晩中ないた末、体の水分も尽きたのか、ある意味真っ白な状態になりました。
死にたいという思いも消えていて、私はそこから、「やるしかない。」と思い、
一生懸命生きようと、決心しました。
この体験を通して、私は自暴自棄の怖さを実感しました。
自暴自棄は確実に人を死に追いやるということです。
でも、私の中のインナーチャイルドが教えてくれました。「もっと自分を愛して」と。
この体験後は、過食嘔吐をしても、決して自暴自棄だけには陥らないよ
うに気をつけています。

過食症になって

39962  過食症になって    2007/01/10 22:28
  女性 会社員 28歳 O型 愛知県  

 まず、身体的に本当に怖い経験をいっぱいしました。
過食嘔吐が始まって半年くらいのとき、
温泉で立ちくらみがして倒れ、気がついたら、血だらけになっていました。
あごを7ハリも縫う大怪我でした。幸い、正面から見れば
隠れる傷跡ですが、本当に怖かった。
今でも、嘔吐の後は立ちくらみ・動悸があります。
ここ最近、仕事が激務なのとストレスでひどくなっています。
仕事中に自宅に帰れる環境にあるので、
途中で過食して、また仕事に戻ると頭が半分ボーっとしています。
倒れるんじゃないかな、そのうち。

顔もパンパンにむくみます。
美容業界なので、出勤前に必死になってむくみを取り、
お化粧をして、の毎日。

歯が本当にひどいです。
前歯の先のほうが胃液で溶けてきていて少し薄くなってきました。
そのうち、神経がでてきて痛くなるのじゃないかとても心配。
ブログにもインプラントをされている方のことが書かれていたけれど、
時間の問題。
でも、それはお金のかかることだし。
恥ずかしいので、口をあけて笑えなくなりました。
人と会うとき、相手の歯を見て、白い歯だととてもうらやましく思います。

心の変化。
こちらの方がもっと深刻。
とても真面目な子なのに。
過食嘔吐が始まって10年間に2回不倫をしました。
そのうち最近の1回について。
相手は会社の社長さんでした。
親に平気でうそをついて、高級ホテルで待ち合わせ、
普段いけないようなレストランで食事。
お小遣いもプレゼントもくれました。

相手の会社にまで入って、他の社員と一緒に社長のうちで
奥さんの手料理を頂いて。
もう精神的にもぼろぼろでした。
『仕事でつながりたい』といわれ、彼に依存していたので、
共同経営でお店を出しました。
死んだおじいちゃんが私が結婚するときのために遺してくれた
大切な大切な貯金を全部使ってしまいました。
本当に、大事な自分に辛い思いをさせる恋愛ばかりしていました。

今は、特に取り立てて分かりやすい肩書きとかお金を持っている
人ではないけれど、私を心から好きになってくれて、
「大切な〇〇ちゃん』
「かわいくてかわいくて仕方ない〇〇ちゃん」
といつも言ってくれる彼と出会うことが出来ました。
その人がいたから、完治を目指して、センターともめぐり合うことが出来ました。

条件付の愛しか選ばなかった28歳の私じゃなくて、
3歳の私が無条件の愛を選んでくれたおかげです。
3歳の私に、ありがとう。

でなければ、今頃もっと惨めになっていたと思います。
過食症の体の変化も恐ろしいけれど、
心のゆがみはもっと恐ろしいです。

私の過食のはじまり

39775  私の過食のはじまり~睡眠~鬱的 
 2007/01/05 18:05   女性 主婦 28歳 O型 静岡県  

 私は高校1年生の頃から過食が始まり
1日1kgペースで増えました。
1ヶ月もたたないうちに12kg太りました。
断食をして毎日無理な運動をしてまた。
1日1kgペースで減りました。
でも食べたい衝動がどうしてもおさまらなかったので
何とか吐く事を覚えました。
その時は嬉しいとさえ思っていました。
こんなに食べられるのに太らずにすむんだ・・・と
炭水化物や脂質や糖分を食べた時は吐いて運動し
もっともっと痩せたいと思っていました。
でもこの方法はオカシイって思いました。
やり方がずるいというか・・
それでも過食はどんどん増えていきました。
食べては吐いての繰り返しで
もともと自己否定をしていたのにさらに増して
自己嫌悪に陥り自分を責める事しかできなくなりました。

いつの間にか平日は2.3回休日は4回になっていました。
高校生の時はお小遣いだけでは足りず、
親のお金を盗んで食べ物を買っていた事もありました。
明日の朝用の食パンや調理パンは全部食べてしまい
それでも足りなくてご飯を炊いたり・・
親に白い目で見られているのが解り親に嫌われたくないと思い、
高校生の時はお店の物を盗んでまで食べていました。
波はありましたが、確実に量も回数も増えていき
気が付いたら毎日になっていまいした。
一日中のピークと鬱が酷くなって心身ともに限界がきて
突然会社を辞めた事もありました。
半年位ほぼ寝たきり引きこもりになった事が2回あります。
もともと鬱的なのもあるのですが、症状がでてから疲れが酷く、
だんだん寝る時間が増えていきました。
高校生の頃は最低9時間
18歳~20歳最低10時間
20歳~24歳最低11時間
24歳~28歳最低12時間
寝ても寝ても眠いのはなぜだろう・・て思っていました。
(休みなさいということだった・・)
マグマ効果で仕事もどんどん大変な仕事を選んでいきました。
寝る時間が足りないのでいつもフラフラしていました。
沢山寝てもすっきり起きられる起床は数える程度でした。
結婚して主婦の仕事をちゃんとしなければと思い、
朝がんばって起きていましたがセンターに行き始めてから、
ゆっくりする事が完治環境だとわかり体のままにまかせました。
やっぱり一人の時同様12~14時間コースになりました。
ここ2ヶ月位分かりやすい鬱がだんだんでてきているのですが、
ひどい時は起きている間のが短く3~6時間起きられればいいほうです。
(ここ10日位そんな感じです)
たぶん旦那さんがいなければ症状以外はずーっと寝ていると思います。

ゆっくりする事がいい事と頭で解っていても
旦那さんに嫌われれしまうのではないかと最初はすごく辛かったです。
でも気になった時は話し合い、
センターのみんなに話しを聞いてもらい、
そしてこれが自分なんだ。とだんだん自分の事が
受け入れられるようになってきたので、すごく楽になりました。
センターに行きはじめてから旦那さんが出勤する時
一度も起きていませんが(起きられないので・・)
私の心が変化したのと、旦那さんの理解があり、
自分への気持ちの不安は全くなくなりました。
気にならないってとっても嬉しいなって思います。
夜だけはなんとか食事の準備をしなければと出前をとったりしています。
この辺田舎だから出前の数も少なくて、ちょっと困っています。
(ホントは1週間分とかメニューが決まっている デリバリーを頼みたいのですが・・
 前一度旦那さんに言ってみたら、えーと言われた。 でももう一度言ってみようかな~。
というか勝手に頼んじゃっても多分大丈夫だと思うのですが・・)

旦那さんが帰ってくると嬉しいです。
旦那さんは何も文句も言わず、出勤してくれています。
最近は私のぐちゃぐちゃになった
掛け布団を治してから出勤してくれています。
旦那さんいつもありがとう。
きっと元気になるからね!もうちょっと待っててね。