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摂食障害(過食症・過食嘔吐)無料相談 本当は怖い過食症ブログ

本当は怖い過食症

【ダイエット・摂食障害・拒食症・過食嘔吐の体験談ブログ】 摂食障害(拒食症、過食症、過食嘔吐、下剤乱用、チューイング・噛み吐き)は、本人が思っている以上に心と体を蝕む怖い病気です。 まずは過食症の本当の恐ろしさ、大変さを理解すること。 それが治すための第一歩です。 無料相談が出来るサイトも紹介しています。

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私なんて

「過食症になって性格が変わった。」と言う方は少なくありません。

過食にエネルギーを使い、心身ともに疲れて
心も不安定になってしまう。

そんなことも影響しているのかもしれません。


(以下相談者の方の体験談です)
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女性 学生 23歳 北海道

一番ひどい時期は、食べ物への欲求を止めることができなかった。
夕飯時に買い占めた食べ物はすぐに胃の中に消えた。

食べる物が尽きたら、買いに行くことで頭がいっぱいになった。
夜の22時に、暗くて怖い思いをしながらコンビニまで自転車を走らせた。

夜に過食していたためか、朝起きるのがとても辛かった。
家を出る30分前に飛び起きて、化粧もせずに学校に行ってた。

授業中は起きていようと思っても、いつの間にかうたたねしてしまっていた。

心も不安定になり、みんなが私のことを嫌ってるんだという妄想に駆られた。
まわりに誰かいてくれても、私はひとりぼっちだった。

「どうせ私なんていなくても一緒なんでしょ」
そう思って友達に八つ当たりしてた。

自分に満足のいく勉強量も確保できなかった。
そのくせ、頭を使っているからって都合のいい言い訳をして、夜中にチーズバーガーセットをたいらげたりしていた。

成績は友達のおかげでそこまで下がりはしなかった。

そんなとき、いつも一緒にいた友達に
「も~友達やめる~」って言われた。

話の流れで冗談だとわかっていたけど、心では深く傷ついた。
涙をこらえながら授業を受けた。

私はその友達を拒絶してしまった。
自分から離れたいと言った。

友達は謝ってくれたけど、心から許すことはできなかった。
それからは本当にひとりぼっちだった。

過食症は少なからず心にほかの病気を引き起こすと思います。
みんなと一緒に、早く治したいです。


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子育てする資格

食べ吐きを繰り返しながら子育てをすることで、
罪悪感にさいなまれる方も多いでしょう。

子供に悪い影響を与えるのは、
「病気のお母さん」より
「病気を治そうとしないお母さん」ではないでしょうか。

(以下相談者の方の体験談です)
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女性 26歳

過食症になって、どれだけの時間とお金を捨てたのかな。
金額はこの1年で40万。
過食嘔吐する時間で何ができただかな。

太ったら愛されないと思ってた。
恥ずかしい、きれいでいたい。

でも、食べたい。満たされない心を満たしたい。
嫌なことを吐き出したい。。。

苦しかった。
誰にも言えなかった。

この病気になってイライラすることが増えた。

そんな自分が子育てしてることが怖かった。
子供の顔をまっすぐ見れない、自分がいる。。。

早く抜け出したいな。

過去は戻るもんじゃない

過食嘔吐がはじまってから、人生が変わったという人は少なくありません。

死にたい、と自殺を考えた人もいるでしょう。

あなたはどうですか。


(以下相談者の方の体験談です)
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女性 主婦 24歳 A型 群馬県

小学校のときのイジメ
それがきっかけで地元の中学にはいきたくなかった
小学生だったわたしは6年生になったころ
「私立の中学校へ通いたい」と親におねがいした
両親はわたしのためだとおもい、中学受験を応援してくれた
受験がうかって、地元でも「お嬢様学校」とよばれる
中学校へ通うこととなった

中学2年のころ、友達のあいだでダイエットが流行る
人生はじめてのダイエットに挑戦
お昼の時間になると、お母さんがせっかく作ってくれたお弁当の中身を
そのままゴミ箱に捨てる
学校のゴミ箱は、食べてもらえなかったお弁当の残りでいっぱいだった
わたしそんなに太っていなかったのに。。。
友達とちがうことをすると仲間はずれになりそうでこわかった

ダイエットのおかげで栄養を与えてもらえなかった体は
リバウンドに苦しめられることになる
ついこのまえまで食べなくても平気だったのに
どうしてこんなにたくさん食べてしまうのか不思議でたまらない
そして、ある日雑誌でみた
「食べすぎたら吐いて痩せました!」っていう記事を見たのが
過食嘔吐の始まりです
最初は食べすぎたら吐くだけ
そのうち食べるために吐くようになる
もちろん吐くことに夢中で学校へはほとんど通えなくなった

中学3年 中高一貫だったはずなのに
欠席がおおくて高校へあがれなかった
その時期に先輩につれられて「クラブ」初体験
もちろん年齢は偽って
学校という束縛から解放されたわたしは
自由になる
クラブでクスリを覚え
クスリをすると食欲がなくなった
過食嘔吐で悩まされる毎日から解放された
どんどんクスリにハマった

17歳
クスリで捕まった
反省の態度が見られないとの判断で少年院へ
約10カ月のあいだ少年院にはいった
トイレの時間も、食事の時間もずっと監視される毎日。
過食嘔吐の衝動はあったけど
どうやってもできない状況だった

「わたしがクスリをしたのも、全て過食嘔吐のせいだ。
もう一生やらない」
そんなことを思う日もあった

出所
家に帰ってくると
我慢してきた衝動でまた過食嘔吐が始まった
以前よりもひどかった
しかもうまく吐けない!
どんどん太った
醜くなった自分の体がみたくなくて
お風呂にも入らない
そのうち自殺を考えた
毎日どうやって死ぬのが一番楽か、と考えた

そんな私も24歳
過食嘔吐がなかったら、いまとはまったくちがう自分だっただろうに

まぁ、これも運命
過去は戻るもんじゃない。
これからは、いかに過食嘔吐を止めて
自分の幸せのために生きるか
全力で人生を取り戻したい

22kgから120kg

摂食障害で生死をさまよう。

そんな経験をされた方の貴重なお話です。

(以下相談者の方の体験談です。)
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女性 自由業 33歳 東京都

私は摂食障害で、ほぼ楽しい思い出がなく、食べ物にまさしく依存してる時間を大半は送ってます。

きっかけはストレスによるダイエットです。
なぜか、痩せて嬉しくて毎日が充実しつてました。

元々、節約をするために始めたダイエット。
お金も溜まり親孝行も私なりに出来て、生まれて初めて自分大好きーて感じでした。

そんな時、家庭の事情で上京。
働きすぎだからと言われ、しばらく休むと、益々ダイエットにのめり込み168cm.38Kgになり、私は変なの?と思い病院に行き、摂食障害という病気に出会いました。

それからは、通院では無理になり、閉鎖病棟に入院。
早くも一週間後に初めて過食。
とても、怖かったのを覚えてます。

拒食症であったために、親は驚きながも、食べない訳ではないので、売店、スーパーで大量に食べ物を与えてくれました。

それを、看護師の目を盗み朝まで食べまくり、のどまで食べ物がきてるのに、寝ずにまた親を呼び、食べ物をねだりました。

元々は節約のため初めたダイエットですが、この時点で、過食代のほかに、病院代、エステ代、ダイエットサプリに、下剤と、貯金もマイナスになりました。

体重が元に戻っても過食は治まらず、今度は、わざわざ風俗にお金を稼ぐためと、ダイエットのためにいき、見事狙い通り拒食になりました。

この時点で下剤は毎日30錠が当たり前になってました。

そして一年で過食、また拒食、過食、絶食、運動。
つらくて、周りが羨ましくて、親にあたり、死ぬ事を決意《今考えれば半分は、食べる言い訳》して、120キロまで狂ったように食べ続けました。

しかし、死ぬ勇気もなく、過食嘔吐…

そして、嘔吐がきつくなり、拒食、動けるなくなり、また寝たっきりの生活に。
パンパースをして介護をしてもらい、体重は22キロ。

それでも痩せてるとは思えず、最後は決めてたカロリーより、たった80キロカロリー多く食べた事がこわくなり、下剤を250錠飲み意識不明なり、3日間は、もう死ぬと分かってる拒食症は嫌がられ、何件か救急車で搬送されても断られ、運良く3日目にICUにはいり、命を救われました。

この間、私は覚えませんが、親にはかなり怖い思いをさせたと思います。

そしてこの時、私が意識を取り戻すと、私より若い男の看護師さんが便がついたパンパースを交換してくれてました。
すごく、恥ずかしく、惨めでした。

じゃあ、治せばいいのに体重が増える恐怖で、勝手に退院。
親をまた泣かせ、家につくと、過食、そして閉鎖病棟に入院。
そこでは、食べたくて、職員や周りの人の食べ物を盗食してまで、食べました。

摂食障害は、ほんとうに怖い病気だと思います。


この病気で、友達も失いました。
彼女は拒食症で、1人暮らしなので、孤独死してたみたいです。
亡くなったときいたときは、なんとも言えない感じでした。
摂食障害にさえなっていなければと悔しいです。


私自身は8回精神科に入院し、独房にも入り、悔しく、寂しい思いや笑うという事も楽しむ事も出来なくなる日々が8年は続きました。
そして、完治した様に思えても心のどこかでは、体重、食べ物が頭から消えません。

過食に関しても、誰でも食べすぎる事はあるのに、まあいいかと思えない時が多くて余計食べすぎたり、痩せても幸せではないのに痩せなきゃ普通じゃあないと思えたり、呪いにかかってる感じがします。

病気にならなきゃ、友達も失わず、時間もお金も思い出もそれなりにあったのにと、先の不安と後悔でいっぱいです。

親にも口では言い表せない程の苦労をかけました。
病気は、きっと意味があってなったと思うので納得はしてますが、これからの未来は治して心から笑えて、食事をしていきたいです。

長文になり、まとまりが悪いですが、私の摂食障害の体験でした。

子供の心に傷を残さないために

女性 会社員 33歳 東京都

高校1年の時のダイエットがきっかけで、拒食→過食を経て、過食嘔吐に。

大学に行ったら、止まるかも。
就職したら、止まるかも。
結婚したら、止まるかも。

人生の節目の度にそう思ってきたけど、止められなかった。

でも、一つの命を産み育てるという、妊娠・出産となれば、今度こそ止まると思っていた。

長男を妊娠したのは、過食嘔吐15年目の30歳。

初めての妊娠で気持ちは高揚、そこに加えて体重増加にすごく厳しい産院だったので、拒食ぎみに。
もともとお酒が大好きで毎晩かなり飲んでいたのをやめたことも手伝って体重が減っていき、ルンルン♪ 

安定期に入ったら、太りすぎないよう、会社から2時間歩いて帰ったり、かなりストイックな妊婦生活を送っていた。

ところが、妊娠7か月の時、切迫早産に。

入院こそまぬがれたものの、食事とトイレ、お風呂以外は寝た切りという完全な自宅安静を言い渡される。
寝た切りということは、カロリーを消費しない。

ただでさえ太りやすいと言われる妊娠後期。
カロリー計算に拍車がかかり、1日1000キロカロリーくらいの食生活を送ってしまった。

今思えば、助産師さんのそういう方針もどうかと思うのだけど、検診のたびに減ったり、
もしくは横ばいの体重で誉められていた私。

検診の時に体重を増やさないように、という思いがあったため、検診まではローカロリー生活で頑張り、
検診が終わると、産院の下のコンビニで食べ物を買い漁ってタクシーで帰宅。(お腹が重いし、大量の食べ物で歩いて帰ることもままならなかったのです)

そして、もちろん、その後は嘔吐、嘔吐、嘔吐。

この長男の時は結果的に、何の問題もなく出産することができましたが、同じような妊娠生活を送った第2子の時は、
予定日通りなのに出生体重が2100グラムしかなく、かなり危険な数日を送ったのです。

今思えば、長男の時の切迫早産も、第2子の低体重も、拒食&過食嘔吐が原因。
当時は、原因がそこにあることにすら、まったく思いがおよびませんでした。

でも、もっと大変なのは、出産してからでした。

妊娠中、体重を増やさないことにすべての意識がいってしまっていたので、その反動で出産後は甘いもの、カロリーの高いものの“奴隷”に。
赤ちゃんが寝た時を見計らって近くのコンビニに走り、大量のスイーツやスナック菓子を購入してきました。

帰宅して、せっかく今から食べようという時に赤ちゃんが起きると、イライラ、イライラ。
赤ちゃんのうちは、無理矢理オッパイで寝かしつけたり、抱っこ紐で抱っこしながら食べたり。

お座りできるようになると、菓子パンやスイーツの包み紙で遊ばせながら、その前でむさぼるように食べまくっていました。
1歳を過ぎてからは、子供の好きなテレビを見せ、食べ物を与えて気をそらしている間に、食べ物を詰め込み、トイレで吐く日々が続きました。

出産前は、出産で過食嘔吐が止まると思っていたのに、止まるどころか、育児のストレスが過食嘔吐に拍車をかける結果です。

子供のためにと作った手作りのおやつを全部食べてしまったり、甘くておいしい粉ミルクをなめつくしてしまったり。
夜中に家中の食べ物を食べつくしてしまい、朝になって、子供に食べさせるものが何もなくなり、呆然としたり。

さらには、過食嘔吐を止められない自分に対する自己嫌悪がストレスとなって、それを子供にぶつけてしまう自分。
最初は、怒鳴るだけだったのが、捨て台詞をはくようになり、手を上げるようになり、子供が脅えた目を見せるまで言葉で追いつめるようになり……

それでも、そんな私を「ママ、ママ! ギューして!」「ママ、好き!」と慕ってくる長男。
これ以上、長男の心に傷を残さないためにも、今ここで過食嘔吐を止めたいと強く思っています。

世代間連鎖は、絶対に避けたい!!