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摂食障害(過食症・過食嘔吐)無料相談 本当は怖い過食症ブログ

本当は怖い過食症

【ダイエット・摂食障害・拒食症・過食嘔吐の体験談ブログ】 摂食障害(拒食症、過食症、過食嘔吐、下剤乱用、チューイング・噛み吐き)は、本人が思っている以上に心と体を蝕む怖い病気です。 まずは過食症の本当の恐ろしさ、大変さを理解すること。 それが治すための第一歩です。 無料相談が出来るサイトも紹介しています。

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過食とダイエットを繰り返した10年

極端なダイエットと過食。
繰り返すことで、どれほどの負担が体に掛るだろう。

リバウンドせず健康的に瘠せたいのなら、
過食症を治すことが先決でしょう。

(以下相談者の方の体験談です)
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女性 会社員 28歳 東京都

高校生の時、新体操部に入部し、顧問に痩せるように言われた。

夕食は食べてはいけないとの指導で、朝食、昼食も何を食べてきたかチェックされ、毎日顧問の前で体重を計り、増えていたら戻るまでずっと走らなければならない。

私は、言われた通り一日二食の生活になり、朝、昼もあまり食べないようになった。

体重は、運動も激しいこともあって、面白いように減って行った。
薄っぺらくて、ガリガリな体型だった。

栄養不足で生理が来なくなり、病院に通うようになった。

周りに心配され、夕食も食べるように言われ、夕食を食べる様にした日から、もうなんでも食べていいような気持ちになり、今まで我慢していたものを食べたら止まらなくなった。

常に食べ物のことで頭がいっぱいになった。

体重は増えていったが、痩せすぎていたので、ちょうど良いくらいになった感じだった。

そのくらいで止まれば良かったのだけれど、止まらなかった。
増えても、またちょっと頑張ればすぐ痩せるだろうという甘い気持ちもあった。

体重は増え続け、32kg増量。

痩せたいという気持ちは強くありとあらゆるダイエットに挑戦するが、挫折。
挫折すると過食に走る。
そして、後悔してまたダイエット。

それを繰り返して、もう十年が経つ。
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胸のしこりはなくなったけど

仕事のストレスから過食が悪化してしまうケースは多くあります。

しかし、仕事を変えることで他の病気は治っても、
過食はなかなかやめられないようです。

環境も大切ですが、環境だけではありません。
過食症は専門的な治療を必要とする病気です。

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女性 自由業 A型 埼玉県

15歳からはじまった過食、食べ過ぎたら、吐いて、体重調節してた。

社会人になってアパレル一本で働いてた。そして、ある会社に入った。
そこは地獄だった。

スタッフがほとんど辞めてしまい、人がいないせいで、私がいつのまにか店長になった。
もともと小さい会社だから、私の上司は社長だけだった。

社長は、私に愚痴ったり当たったり、言葉の暴力が半端なかった。
人がいないから、お店も休めなくて、一ヶ月で休みが一度もない時もあった。

体調悪くても点滴うって仕事にいった。
ストレスで乳腺が固くなって両胸にしこりもできた。

その時には過食はストレスから逃げる為、一人になったら、泣きながら食べまくった。
この時から、毎日食べる事でしか、自分を癒せなくなった。

売上をとらないと、社長に『テメェ脳みそあんのかよ。』とか壁にハ゜ンチされたり、蹴られたりした。
恐くて恐くて売上は自分でたてたりした。

毎日恐いから、自分で買って、いつの間にか、100万近く、自分の店の服と食費で借金ができ、
最終的に店頭に立てない状態にあたしはなった。

涙がとまらない。
も~ど~にでもなれって思って、会社をバックレ、携帯を捨てて一人で遠くまで逃亡した。

何日かして家には戻った。
泣く泣く親に仕事の話しをして、親から社長に話し、辞める事ができた。

今はリラクゼーションサロンというまったく、違う職場に勤め、周りの人達がすごく優しくて温かい環境になった為、胸のしこりはなくなった。心もずいぶん落ち着いた。

でもその時からの過食の癖が止まらなくて。衝動にかられる時がある。

家族までも巻き込んで

摂食障害の患者さんと暮らすご家族も
患者さんとの関係に悩み、精神的にギリギリになることも。

家族の方も巻き込むことが過食症の怖さの一つです。

(以下相談者の方の体験談です)
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女性 会社員 30歳 A型 宮城県

15歳の時に拒食症になり、食べても吐くを繰り返し、いつの間にか量が増え、過食症になっていました。

それまで、私は自分自身が嫌いでした。

絵が好きで小さな頃から絵を描いてばかりでしたが、学校の先生からたびたびコンクールに出すよう頼まれたりしているうちに、人に見られるための絵しか描けなくなりました。
自分の描きたいものがわからない。

学級委員や生徒会など推薦されるままにやっていましたが、本当はやりたくなかった。

ただいい子でいたいためだったと思います。
誰にも嫌われたくなかった。
自分らしいって何なのかわからず、いつも人に合わせて人の目ばかり気にしている自分が大嫌いでした。

一度先生に学級委員を頼まれたときに断ったことがあります。
また、絵のコンクール出品も断ったことがあります。
家に学校から電話が来ました。

ある時水を飲み過ぎて吐いたことがきっかけで、食べ物が入らなくなりました。
食欲を抑えられている自分に、何か高揚感を覚えました。
自分をコントロールしているという幻想に嬉しくなりました。
その頃から自分の中に二人の自分がいるような感覚にとらわれることがよくありました。

体重はどんどん落ちていき、小児科に入院しながら高校に通いましたが、
ほかの患者さんの残したものまであさって食べ、無我夢中で吐く私にお手上げで、とうとう高校を休学し、大学病院に一年入院しました。
精神科の閉鎖病棟でした。

両親は変わり果てた私の姿が理解出来なかったと思います。
母は何度も昔の元気いっぱいだった私に戻って、と泣き、周りの同じ年頃の女の子達と比べる日々でした。

父は…一番期待をかけていたのかもしれません。
なのでショックが大きかったと思います。

家の食べ物を食べ尽くす私に、家族の分がなくなるからと食べ物を隠しました。
一つ一つに名前を書いたり、冷蔵庫に『勝手に開けるな』と貼紙をしたりと、父もノイローゼだったと思います。
私の顔を見る度に罵声や暴力をふるうので、父の足音に怯えながら、家にいても部屋に引きこもり、部屋で必死に吐いていました。

吐いているのはほとんど万引きしてきたものでした。
万引きがひどくて裁判になりました。
父は弁護士と意見が合わず、出席しませんでした。

父が私を怒鳴り、私も何とか反抗し、家はいつも泣き声と怒鳴り声がとびかっていました。

そんな家を出て、あちこちを転々とし、また3年前に地元に帰って来ました。

過食費1日2万円


過食嘔吐がストレス解消の手段になっている人も少なくありません。

でも、そのストレス解消のために自分の生活はどうなっていますか。

過食嘔吐なしでも、幸せに生きられるようになりたいと思いませんか。

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女性 25歳

始めは、ダイエットの為に少し食べすぎたものを吐く程度だった。

でも、次第に仕事やプライベートで嫌なことがあった時にたまに
頑張った自分にご褒美をあげるつもりで過食嘔吐をしていくようになった。

『今を乗り越えたら家に帰って美味しいものイッパイ食べてハッピーになろう!』
そう思ってたまにする過食嘔吐を楽しみにするようになった。

そうして過食嘔吐が段々楽しくなっていった。

ストレスがあるたびに『でも私には過食嘔吐があるから大丈夫☆これで毎日楽しく頑張れる』って思った。
そうなると過食嘔吐が趣味になっていった。

仲間にも趣味は、大食いって言ってよく私の大食いの話で盛り上がったりして仲間も増えたりして
嬉しくて、毎日飲み行ったりして楽しかったからさらに深く過食は私の生活の一部になっていく。

楽しいと思っているものをやめたり、減少させたりすることなんて出来なかった。

私は過食嘔吐を初めて半年くらいで、始めた当初の何倍もの経年増加をたどる。
気付いたときには過食費は一日2万くらいだった。

お腹がパンッパンになったら吐く。
吐いたらまた、お腹にパンッパンに詰め込めこむ。

『もう今日は終わり!』って思っても人が食べてるのを見たり料理番組をみると、また食べたくなって終わりがなかった。
それに食べる量や吐く量が増えたのもそうだけど過食嘔吐を繰り返していくうちに上質な美味しいものを食べたくなって行った。

安い菓子パン20個じゃなくて洋菓子屋さんの美味しいケーキを20個。
でもケーキは軽いから20じゃ足りないと悪いから念のため30くらい買っていこう!
とか
加工食品のソーセージじゃなくて800gステーキを食べよう。
とかね。

大量に買い物するときはいつも独り言。
『今日は親戚の人達が集まるから何個いるなぁ~』とか誰に言っているのか嘘の独り言を言いながら買い物してた。

給料なんて、過食費にあっと言う間に消えて行ったし給料たりなくて
親のお金とったりしてもう過食嘔吐を毎日するのに必死。

しなくちゃって思ってた。

本当はお給料で親孝行したいとかエステ行ったり服買ったり自分磨きに使いたいとか思ったけど
なにを差し置いてもNo.1過食嘔吐だった。

過食を止めるために喫煙したり過食費を無くすために高価な買い物をしたりもしたけど
無駄にお金がなくなっただけだった。

過食嘔吐をやめようとすると買い物依存ぽくなったりアルコール依存ぽくなったり
もう前にも後ろにもいけなかった。

今は1番酷かった当時よりもズーーーーット②まともな生活が送れてるけど
今でも、あの時のままだったらどうなってたかな…

考えるのが怖いよね。自分で良く分かってる。
この後悔と怖い気持ち!忘れちゃダメだよ!

過食症が人生を狂わせる・・・

過食があるから諦めなければいけないこと、たくさんありませんか?

もっと辛い体験をする前に摂食障害を回復させましょう。

(以下相談者の方の体験談です)
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女性 主婦 29歳 福岡県

20歳の時、就職したのを機に過食が始まりました。

睡眠不足に加えて、慣れない仕事にミスも連発。
そんな疲れた自分を癒してくれたのは、会社に常に常備されていた社員用の甘いお菓子でした。

最初は疲れたと感じた時に摘む程度だったのが、短期間でみるみる増えて気が付いたらお腹いっぱい以上食べないと心が満たされなくなっていました。
お腹がいっぱいで苦しいのに、それでも何かを食べなければ気が済まない。
食べ物なら何でもいい!
家の中の食べ物を漁り、それが無くなるとコンビニへ走り、がっつり買ってまたむさぼり食べる。

よく泣きながら食べてました。
何でこんなに苦しいのに食べてるんだろうって。

でも止まらないんですね。
止めたらいけない!食べ続けるんだ!!って、心が自分に命令しているっていうか。

食べ物のことしか考えられない日々は地獄でした。

会社も休みがちになり、休んだ日はやはりコンビニで食べ物を買い込み、食べ漁る。

当然体はみるみる太り、顔は浮腫んで体中に原因不明の湿疹が沢山できました。
結局、次の仕事のあてが無いまま退職する羽目に。

退職後、一旦は症状が無くなり完治したんだと思っていました・・・が、結婚・出産を機に再発。

辛いことやストレスがあるとすぐに過食に逃げ込む自分をどうにかしたい。

人生、もっと考えなきゃならないことが沢山あるのに、食べ物のことばかり考える毎日はもぅ嫌だ。

食べることを逃げ場にするんじゃなくて、家族と楽しむ幸せな時間にしてみせる。