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摂食障害(過食症・過食嘔吐)無料相談 本当は怖い過食症ブログ

本当は怖い過食症

【ダイエット・摂食障害・拒食症・過食嘔吐の体験談ブログ】 摂食障害(拒食症、過食症、過食嘔吐、下剤乱用、チューイング・噛み吐き)は、本人が思っている以上に心と体を蝕む怖い病気です。 まずは過食症の本当の恐ろしさ、大変さを理解すること。 それが治すための第一歩です。 無料相談が出来るサイトも紹介しています。

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出産と結婚を経て

5251 出産と結婚を経て  2005/05/04 02:46
女性 主婦 32歳 O型 大阪府
結婚5年目、3歳と5ヶ月の娘がいます。
子育てと家事で時間の余裕がなくなって、今はものを買ってきて心行くまで食べて吐くということができなくなりました。
でも「太ってはいけない」という気持ちは強く、出産後はいつのまにか普通食嘔吐になっています。
私の嘔吐歴は14年になります。
友達に「太っている」と言われダイエットに目覚めたものの、食べ盛りに食事制限は辛く、いつのまにか「吐けばいいんだ」→「吐けばいいんだから食べてもいいんだ」という発想になり過食嘔吐の日々が始まりました。食べ物を粗末にするのが嫌でずっとやめたいと思ってきたけれど、きっと環境が変るといつか治るだろうな、なんて楽観視して毎日をやりすごしていました。
そして、今の主人に出会いました。付き合っている時は、スタイルをよくみせたいので嘔吐はやめられませんでした。大食いと思われるのも嫌で、デート中はそれほど食べず、帰ってきてから我慢した分をまとめて食べて吐いていました。
そして結婚。実家を出て環境が変るのできっと過食嘔吐も止まるはず・・・ そんな期待がありましたが、結局自分が台所を任されるので食べ物は以前より自由に手に入るようになり、今までとなんら変ることなく過食嘔吐を繰り返しました。
変ったのは、主人という知られてはいけない身内が一人増えただけ・・・
そして妊娠。 すごく嬉しかった。
赤ちゃんができた喜びと、これで私も改心して過食をやめるだろうという思い。
・・・でも、結果は今までと全くなにも変らない過食嘔吐の生活でした。赤ちゃんがいるのに過食嘔吐するって、きっと医学的にも精神的にもよくないはず、自分一人の体じゃないんだから大事にしなきゃ・・・って、すごくすごく思っているのに、今日だけ、これ一回だけ、、、と、結局同じことを繰り返していました。 そのうち、つわりの時期になっても、吐くことに慣れていたし常に過食していたので、つわりで気持ち悪いのかどうかもよく分からないような状態でした。
でもそんな私も、吐きながら頭の中はいつも「流産したらどうしよう・・」「栄養が赤ちゃんに行かなかったら、障害を持って生まれてしまうのでは?」「吐く時(お腹を押さえるので)赤ちゃんを圧迫して、お腹の中で赤ちゃんが苦しんでいるのでは?」って、不安で不安でしかたありませんでした。 なんだか今思うと、行動と考えがすごく矛盾しているけれど。
そんな時、不安からネットで情報を集めようと検索していると、同じ症状で悩む人たちの掲示板があり(ここではありません)、「私も産めたから大丈夫だよ!」という先輩ママの書き込みが。
すごくほっとしたのを覚えています。だから余計に食べたい衝動がでて、結局出産前日まで治まることはありませんでした。(そうそう、上手な吐き方を覚えてしまって、下腹に力を入れると破水すると思ったので、うまく胃だけに力を入れるようになっていました)
もちろん、二人目の時もずっと過食嘔吐したまま出産、産後も入院の時以外やめれた時はありません。
どこかで、「一人目も大丈夫だったから平気だわ」と思っていたことも確かだし、食べている時の頭が真っ白になる感じが気持ちいいから、私の体にはきっとプラスなんだー とまで思ったりもしました。(楽観的にもほどがありますよね)
先生と出会って、切迫流産などの危険があるということを初めて知りました。
今思うと、私が産めたのは運がよかっただけかもしれない・・と。 かわいいこの子達の寝顔を見ると、もしも私の行動でこの子たちを殺すことになってしまっていたら・・と思い始めると、体が震えるほど怖くなります。
いや、もしかしたら、今は気付いていないだけで、妊娠中嘔吐していたっていうことがこの子達に既にもうなんらかの影響を与えているかもしれない。
早く先生に出会えていたらよかったのに・・とすごく思います。
でも、今は振り返っても手遅れだし、少しでも早く先生に出会えたことに感謝しています。 そして子供たちが(特に女の子)過食嘔吐に走る可能性が高いという先生の言葉に一番震撼し、早くそれを知ってよかったと。
それだけは・・・  それだけは絶対にしたくない。
そして、この掲示板で「寂しさ」について書かれてあることを読ませてもらっていますが、二人の子供をわけへだてなく、いっぱい愛して育てていかないと、将来この子達がとてつもない苦しみを味わうんだ・・・ということが身にしみて分かりました。
運良く子供を授かった私。
子供のために必ず良くなりたいと思っています。
そして、まだ出産されていない方、将来出産したいなぁと思っておられる方もここに来ておられるかもしれません。
私のように過食嘔吐していても産めることもあります。人間の体って、子供も大人も案外強い。 けれど、健全な体で安全に、安心して子供を産むことを望むのなら、必ず良くなってほしい。。と思うのです。 環境の変化で過食嘔吐が止まるっていうのはすごく楽観的で、実際は私のようにやむことはありません。
だから、自力でのがんばりが大事なんだなぁって。
子供のために、必ずよくなりたいです。
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怖い過食症人生

4750 わたしの過食歴  2005/04/14 08:32
女性 学生 20歳 O型 神奈川県
おはようございます。
わたしの過食は、今考えてみると中学生頃から始まっていたと思います。わたしは中学受験をし、中高一貫の進学校に入学しました。当時、バスケットボール部に所属しながらも あまり部活には出ず 家に帰って 誰もいないときには必ず何か食べていました。そんな私はみるみる太っていき、中学校入学当初より8キロも体重が増えたのです。これはマズイ!!と思った時に【下剤】に出会いました。下剤は食べたものを全て流してくれると思っていました。それから、わたしは食べては、下剤を飲むというのが習慣になっていました。
高校生になっても8キロ太ったときと大して変わらない自分が大嫌いで、わたしはダイエットを始めました。1日2食をダイエットフフードに変えるというダイエットでした。そのダイエットを始めてから、わたしは1日1食しか食べれない【普通の食事】のことで頭がいっぱいになっていました。そして、だんだんその【普通の食事】は普通ではなくなっていきました。
結局そのダイエットは失敗し、逆に過食は酷くなって家族に隠れて夜中に色々なものを食べるようになりました。パン、アイス、お菓子、夕飯の残りのシチューetc.. いくら食べても満たされることはなくて 食べつづけました。 そして、食べたあと10錠~20錠くらい下剤を飲み、現実逃避するかのように寝ました。
わたしの体重は減ることはなく、また5キロ増えました。
過食をした翌日の気分は最悪でした。。死にたいと、ほんとう毎日考えていました。朝リストカットをして、何もなかったような顔をして学校に行く。けれど、わたしは毎日、今日帰り何処で死のう・・とか考えていました。世界が灰色に見えていました。
そんな生活をつづけながら、わたしは高校2年生になりました。わたしは、精神的にも辛すぎて どうしてわたしはこんなに辛い気持ちになるんだろうと考えていました。精神科の本を読んだりして自分なりに勉強しました。そのときに、わたしは【過食症】だと気づきました。このときの気持ちは、ショックと言うより自分が辛かった原因が分かって安心したことを覚えています。
高校2年生が終るころ、わたしに彼が出来ました。同じ学校の同じ学年の男の子です。こんな醜いわたしを好きになってくれる人はいないと思っていたので、とても驚きました。彼はとても優しい人で、たくさんの愛情をわたしにくれました。すると、わたしの過食は少しづつなくなっていき、体重もみるみる落ちてきました。周りからも痩せたねと言われて、とても嬉しかったです。
そして受験期を向かえました。受験で体力を消耗したせいか、わたしの体重は中学入学当初と同じか、少し少ないくらいまで落ちました。しかし受験の結果は、彼だけ大学生になり、わたしは予備校に通うことななったのです。
予備校に入って2ヶ月ほど、私は彼の近くに行きたくて勉強を頑張りました。しかし、彼との別れが来ました。それから、わたしの過食はまたはじまり、体重は7キロ増えました。
そして、また受験期。わたしの体重は7キロ落ちて元に戻りました。
晴れて大学生になり、ひとり暮らしが始まりました。それから、わたしの過食がまた始まりました。
今月の2日に、身体測定がありました。去年の4月から6キロ増えてました。体重を量ってくれる人が、「普段からこの体重ですか?」と聞いたほどです。
2日の夕方、わたしはまた過食をしてしまいました。その後に、このセンターの存在を知りました。センターにメールをし、相談をしてから もうすぐ2週間になります。一昨日、以前より少ない量ですが過食をしてしまい、下剤を10錠飲んでしまいました。
しかし、過食する間隔が明らかに開いてきています。以前は週に2、3回程度でしたが、今は2週間に1回の間隔になりつつあります。このまま良くなっていきたいです。
長くてごめんなさい↓

怖い過食症人生

4484 私の過食暦  2005/04/01 14:36
女性 会社員 27歳 B型 長野県
過食嘔吐になったのは今から5年ほど前だったかな。
学生から社会人になり、男勝りな仕草と、姐御肌な性格で
男らしさ持ち味(?)だった為、
特に化粧とか服装とかで、女らしい事もせずにきました。
社会人になり、さすがに何処へでもGパンで行く訳にも行かず、
化粧をするようになり、スカートやスーツも着なくちゃならない
場面にも出るようになり、逞しかった体型も社会人の
時間規則の中で、徐々に徐々に10㌔位痩せてきました。
それでも普通よりだいぶ逞しいですけど。(笑)
それでも、着れる服のバリエーションが増えたり、
女らしい格好をしても不似合いじゃなくなってきたのは
やっぱり嬉しかった。
今までは似合わないからと、諦めてただけで、
やっぱりあたしも女の子なんだな~って思い始めた頃・・・。
会社でやっぱり仲良くなりたいのにいじめか??って云う
先輩の態度にストレスを感じてたのかな~。
その先輩の態度に対して、
「負けてたまるか!」ってしおれる事もせず笑顔で
「休んでたまるか!」って会社も休まず
「どうしてかな~?私は仲良くしたいのに」と
恨む事も怒る事もしないでなんとか弱気にならない様に
元気な自分である事が何より大事だった。
今思うと、そんな事で凹む自分ではありたくなかったし、
そんな自分を母は喜ばないだろうって思ってた気がする。
いつもいつも前向きに、負けずに、力強く生きる私であって
欲しいと云う、多大な期待にいつも応えたかったんだな。
でも、現実は会社でもその職場に入る時から呼吸が浅くなり
何かの特別な気合が必要で、その気合によってなんとか
平常な、強気な私を演じられていた感じだった。(無意識)
そんな会社での時間が楽しい訳も無く、とにかくもう、
「帰宅したらお腹一杯味を付けたご飯を食べよう!」って
なんだかその言葉で自分の機嫌をとって定時まで居た気がする。
で、帰宅したら大盛り3人前位のチャーハンをたいらげて、
ふぅ・・・って落ち着くの。ちょっと幸せな気分になって。
その後、え、せっかく痩せてきた10㌔が戻っちゃたらどぉしよう
って、もうすでにお腹いっぱいの胃袋に、水を流し込んで
指を入れて無理やり吐き出したのがキッカケ。
後は、元々食べることが大好きだったし、
食べてもぶくぶく太らずに済むって思えば、
甘いものとか、油っぽいものとか気にせず食べれた。
人間関係で衝突して、真剣に切れ掛かってても
時の感情で人やモノに当たらない性格である事が
正しい生き方だと思い込んできた私は、笑顔ですまし
自分の車へ戻ると、泣く事も怒る事も全てを、
食べ物を食べているその幸せな快感で押し流した。
食べ物で、その荒れ狂った感情が薄れていくのが自覚できた。
吐きダコができ、そのもっと奥へ入れなきゃ吐けなくなり
もう一個吐きダコができ、口の脇がいつも引っ張られて切れた。
母親には、その手が汚い、吐きダコなんてみっともない。
トイレがが汚れる、掃除しろ。
定番ですが・・・もったいない、意志が弱い、吐くほど食べるな。
そんなん言われても、こんな手になっても、こんな口になっても
痛くても苦しくても辛くてもやめられないのがもっと辛いって、
母親に微妙にアピールしてた。
解る筈もなかったので、案の定悪化しましたが。(笑)
夕飯をお腹いっぱい食べた後、車に乗って見切り品ツアー。
吐くのもいつしか上手になって、胃を押せば出るし
吐きダコは消え、口も切れなくなった。
見た目にはアピールする傷は消えたけど、
簡単になっただけ、気軽にいつでもできる様になった。
要は悪化進行したって事なんだね。
私の過食嘔吐は、痩せる為ではなく、
胃が破裂する勢いで食べ過ぎたものでの体重増加阻止の為。
だから、通常の生活は支障が無い。
痩せたら尚結構って思ってるけど、
通常の生活や運動ができなくなるのは、困る。
私は病気の症状まで、母親に気を使ってるんだなー・・・。
母親が好きな娘を演じる為の、平常心を維持する行為なんだ。
お手伝いをよくして、
人に気遣いができて、
明るく元気で前向きで、
何があっても負けないで、
優しく思いやりがあって、
何を頼まれても嫌な顔もせずやりこなし、
・・・こんな娘で居るには、
吐いた30分後にヒ汗とめまいで倒れてる訳にはいかない。
また、吐いていることを知っていても、
目の前で食べてすぐトイレとか
何を思われるか、申し訳無くて行けれない。
私ね、母親に気を使わずに病気になってしまいたかった。
いっそ壊れてしまいたかった。
普通の一般社会人もできない位、潰れてしまいたかった。
なんで、病気の加減まで、人の顔色伺っているんだろうって。
それすら、できなかった。

私と下剤

4133 私と下剤  2005/03/18 09:48
女性 会社員 39歳 A型 大阪府
おはようございます。皆様。
昨日は、尻切れの書き込みで去ってごめんなさい。あれから思いっきり泣いた。
どうせ1人やし、だーれも居ないので声だして
「わーん、わーん」子供の時の泣き方やなーあれは・・・でもスッキリしたわ。うん。
今まで書いて無かったけど、勇気を出して・・聞いて下さい。
私の身長は155cm体重は29㎏から30㎏の間をうろうろしてる。
想像つきますよね?そうガリガリ「まさにガイコツ」です。
だから本当は、下剤なんか必要ない。身につけなあかん
「死」との背中合わせです。
一時は27㎏ぐらいまで落ちた。手、足は冷たく仮死状態です。
そして、出先で倒れた。大きな病院に運ばれ、血圧をはかりながら点滴を受ける。
あがらなければ・・・きっと死んでた。その後、大きな病院の心療内科など転々とした。
どこも受け入れてくれない。たらいまわし状態。ようやく大阪市大が受け入れてくれた。
暫くは通院したものの、嫌になっていかなくなる。たまに「親と一緒にこい」といわれ
父親と一緒に行ったこともある。そのときお医者さんが「このままやったら、あきらめてください」と言ったらしい。(後で聞いた、ぞっとする)
でも、そのときは、最悪の状態だったので1日中喰い吐きして、下剤も大量にのんでたし
「死んだらえーねん」そう思ったときもあったし・・・
この体型ではただのカゼも危険な状態。先日(ここに来る前です)もカゼひいただけで
肺に陰ができて呼吸困難をおこす。
そのとき、夜、突然、胸が苦しくなって息ができなくなった。
真剣、死ぬかと思った。
そして、ここをしり 「今の私。」
本当に、過食嘔吐、下剤乱用、激やせ。この病気は怖い。と改めて思う。
ここにきて私は、過食は止まったものの、下剤は、はなせない。
昨日の夜は、飲んでしまったけど、昨日の母との件もあり、さすがに今朝は飲めなかったそしてポーチに入れてる下剤を、朝から入れたり、出したり・・自分でも妙な行動やと思う 。

怖い過食症人生

2890 私の過食暦  2005/02/10 09:00
女性 主婦 33歳 O型 兵庫県
過食を始めたのは今から約7年前。当時は働いていたので過食をするのはもっぱら夕食の一度だけ。それが徐々にエスカレートしていき暇さえあればひたすらか食べるようになり4年前に結婚して専業主婦になってからは1日中(家に一人でいる間)になってしましました。一時は精神状態もめちゃくちゃになってしまい心身ともにボロボロ。銀行のATMの前で倒れて主人に銀行員の方から連絡がいき仕事中なのに迎えに来てもらったり、リストカットしてみたり病院でもらってる薬を一気にに飲んで(主人いわく)夢遊病みたいになって訳のわからないことを口走ってフラフラ歩き回ってみたり、そのエピソードといったら数知れず。で、あげく精神科の病院(精神病院とはちょっと違うと思っているのであえてこういう表現で)に入院するはめに。この時は辛かった!食べ物はないし(勿論通常の食事はありますが)外出もお風呂も自由にできなくて持ち物もすべてチェックされて(こと刃物に関していえば女性必須のT字の安全カミソリまで没収される有様)。常に(お風呂の時でさえ)監視されていて結局1度目は支持された期間まで全然耐えられなくてたった1週間で、”退院させてくれないなら脱走してやるぅ”と脅しのようにして退院してしまいました。2度目の時はもっとゆるい心療内科への体力回復の為(名目上)の入院だったので3ヶ月くらいはいました。まあ結果何も変化はなかったのですが・・・ただその頃は体重も最低レベルにきてて本当に歩くのも困難なくらいだったので毎日点滴をしてた分、多少の体力はついたのかな。多分・・・あとは何だろう。自分の過食暦を書こうとしても正直精神状態が悪いときのことは自分でもよく思い出せません。自分がどういう生活をしてどういう思いで生きていたか脳が正常に働いていなかったのかいくら考えても空白になっていてわからないのです。主人に聞けば少しはわかるかも知れませんが・・・ただ誰にも会いたくなくて、(食べること以外)何にもする気がしなくて友達との連絡もすべて絶ってしまい今では友達は誰もいなくなってしまいました。過食暦ってこんな感じでよいのでしょうか?まだ他に書いたほうがよいことがあればどなたかアドバイスください。長々となってしまったので今回はこれで終わります。