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摂食障害(過食症・過食嘔吐)無料相談 本当は怖い過食症ブログ

本当は怖い過食症

【ダイエット・摂食障害・拒食症・過食嘔吐の体験談ブログ】 摂食障害(拒食症、過食症、過食嘔吐、下剤乱用、チューイング・噛み吐き)は、本人が思っている以上に心と体を蝕む怖い病気です。 まずは過食症の本当の恐ろしさ、大変さを理解すること。 それが治すための第一歩です。 無料相談が出来るサイトも紹介しています。

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本当に怖いこの病気について

29864  本当に怖いこの病気について   2006/05/24 09:22   女性 主婦 36歳 B型 兵庫県  
 
私は過食嘔吐22年です。22年ってみんなに想像できますか?あり得ない・・・と思う人もいると思う。
 
私自身、22年もこの病気でいるなんて思えなかったし、どうして22年の間に治せなかったのか?また22年も体を酷使してきてよくこれまで生きてこれたなとも思っています。
  
嘔吐を知ったのは友達からでした。痩せたい願望が強かった私は吐くことがそんなに怖いとも思わなかった。家族(特に母)からどんどん女らしくなっていく体型をジロジロ見られることに耐えられなくて、痩せて自分を変えてしまいたかった。
  
ずっとこの病気になったのは家族や友達のせいだと思っていました。
行きたくなかった進学校に行かなければ、友達から吐くことを聞かなければ、この病気にはならなかったのに。ずっとそう思っていた。
  
でも、ここにやってきて、‘なるべくしてなった病気だな’と思うようになりました。 
過食嘔吐のきっかけは友達からの一言だったけれど、私の育ち方、生き方は過食嘔吐で紛わさなければやっていけなかったと思うのです。
  
私の家庭は物心ついた時には父母、嫁姑関係は最悪でした。母は自分が一番不幸な人だと思う人でした。「あの人(父のこと)と結婚しなければ」「この家の中で自分だけがよそ者だ」「子供なんて産まなければ」「一人ならもっと自由に楽に生きられたのに」と、私は自分の存在を否定されるような言葉をずっと聞かされてきました。とても辛かった。
 
でも、自分のことよりも母のことを可愛そうだと思ってあげなくてはいけないと思ってきました。家族がみんな仲良くなってほしかった。祖母の悪口を言う母と母のことを認めてあげない祖母との間に立って、どちらにも肩入れせずに中立を取ろうとしていました。
 
子供のままではやっていけなかった。感情なんて持たない大人になりたいと思っていました。そのつけが中学生になった頃に出てきたのだと思います。
 
最初は拒食でした。中学2年の頃に過食嘔吐を知りました。経年増加は正直なところよく分かりません。最初から毎日過食嘔吐していたから。
 
一人暮らしを始めて家族から開放されたときが一番症状としては酷かったと思うけれど、心は楽だったような気もするし。
 
22年も経て、今だから母との関係も自分の病気のこともようやく認めていける年齢になってきたのかなと思います。なるべくしてなってしまったこの病気。
危険は承知の上でも私にとっては生きるためには必要だった。でも、その反面、この病気になったことで失ったものも多いです。
 
楽しめるはずのものも感情鈍磨のせいで、私にとっては虚しいだけだった。
今までまともに生理がきたことはありません。排卵が自力では起こせないのです。生理がこないことが、これからの人生においてどんな影響を及ぼすのかは分かりませんが、きっと何かのつけは来ると思っています。
 
これまでの人生でもとても辛い思いをしました。私の子供は不妊治療でようやく出来た子です。結婚して子供が欲しいと思っても出来ない苦しみ、それは自分がやってきた過食嘔吐のせいかもしれないということが、更に自分を追い込ませました。
 
私は22年もかかってしまったけれど、それでもこの病気の怖さを今ごろ真剣に考えることが出来て、良かったと思っています。
 
でも、22年は本当は長すぎる。22年も皆には苦しんで欲しくないのです。放っておいたらあっという間に22年も30年も(一生も)あっという間です。
みんなが‘今’気付けたことが救いです。簡単には治らない病気。
でも私のように病気と長く付き合わないうちにサヨナラしてほしいなと本当に思います。
 
22年なんて簡単には言い尽くせられない。でもこれまでを無駄にはしたくないです。自分とみんなの完治を心から願います。
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過食症がどんなに怖い病気か 

29811  過食症がどんなに怖い病気か    2006/05/23 17:49   女性 主婦 30歳 A型 群馬県  
 
 14歳のときに拒食症になりました。当時身長154センチ体重25キロという死の直前の状態になりました。
 
15歳になってようやく食べられるようになりました。でも食べ方が異常でした。この時点で過食に移行していました。でも医師は「体重を増やす為に必要な事だから問題はないよ」とおっしゃりました。
でも標準体重になっても過食は止まりませんでした。ただ拒食症は治癒したと診断され通院は終了しました。
 
そのまま16歳の時には身長156センチ体重が72キロまで達しました。これは嘔吐なしの過食のみの症状なので当然の結果です。
このままでは成人病になると思いダイエットをはじめました。
 
◎この時点で太っている醜い自分がとっても嫌いになっていました。
 
◎そしてここまで放置した医師と両親を呪いました。
 
◎太っているコンプレックスで何事も消極的で人に対して壁をつくり、常に孤立感と孤独感を感じる様になりました。
 
母親の協力のもとダイエットを始めましたが過食でリバウンド。全く成功しませんでした。
大学進学とともに一人暮らしを始めると、ダイエットは更にエスカレートし、一時期1ヶ月で10キロほど減らせましたがまた過食が再発し減量も思うようにできなくなりました。 
両親の仕送りだけではダイエットと過食の費用がまかなえなくなりバイトを始めましたがそれでも足りずローンを組み間始めました。 
この頃やっていたダイエットはエステと健康食品です。ローンは社会人になってさらにエスカレートし、最長の返済計画なのに合計で月々8万近く返済に迫られるほど何社ともローンを組んでいました。
  
◎ダイエットと過食の繰り返しで減量できない自分に「なんて意志の弱い人間なんだ」と年々自己評価が落ちました。
  
◎ダイエット依存になり数百万円の借金をかかえることになりました。
  
◎多額の借金と治らない過食の恐怖から将来が見えなくなり自暴自棄になりました。
  
会社ではこれらの不安を少しでも考えない為に、そして世の中で一番下等な自分が犠牲になることで安心感を得る為に睡眠時間3~4時間で15時間労働の責任ある仕事を6年間続けました。
  
◎当然心身共にボロボロになりました。でもおかげで少し痩せました(やつれましたが正しいかな)
  
◎週末になると張り詰めていた気持ちがほどけ、結局過食をしていました。過食後は酷い自己嫌悪となりそんな人生がもう嫌になっていました。
  
◎「いつ死んでも良い」と思ってはいても両親に迷惑をかけたくない、どうせ死ぬ勇気なんか無い事がわかっていてそんな自分を情けなく思い更に自己嫌悪になり最終的には「世の中で自分が一番最低な人間だ」と考えるようになりました。
 
だからどんなに評判の悪い人にも優しく接する外面的には「誰にも優しい人」と言われる様になりました。
  
◎おかげで絶対弱みを見せられない立場の上司(役員)にまで悩み相談をされ、不倫関係となりドロヌマの結末を経験しました。
  
私にとってこの病気で一番怖いと感じたのは過食の症状からきた「心のゆがみ」でした。
きっとこのセンターに出会えなければ命を絶っていた危険性があったと思います。
本当にこのセンターに、みんなに出逢えて良かったよ! 
みんな本当にありがとう☆

過食症がどんなに残酷な病気か

29753  過食症がどんなに残酷な病気か    2006/05/21 21:10   女性 会社員 28歳 O型 神奈川県  
 
 過食嘔吐9年の私が書けるだけ書いてみようと思います。
  
まず 何といっても 年々増えたり減ったりを繰り返しながら増えていく病気だということ。経年増加といいます。

○19歳の頃過食嘔吐を覚え、その当時の頻度は週に2-3回、金額も500-800円程度。
 3年後、22歳の時 一瞬(2ヶ月ほど)一日中になり、一日一万円以上使う日も。9年目の今も、センターで随分回復したけど、9年前と同じ内容では絶対に満足できない。
  
○過食衝動は、時と所を選ばず起こってくるので、旅行中であっても過食嘔吐は止められないことが多い。誰かと一緒に行動している時に、過食衝動が起こると、一人にして欲しくてイライラしてしょうがない。(これは~出来ないだろう、というような状況でも止められない。 我慢して止めると、可能になった瞬間からタガが外れたようになる)
 21歳の時、海外旅行中4日間 嘔吐なしで過ごしたら、帰ってきてから1週間は、過食のことしか頭にない状態になった。いや帰りの飛行機の中でもうめちゃくちゃ食べてた。
出張に朝一の飛行機で出かけなければならない日の深夜に準備をしなければいけないのに過食嘔吐してしまい、なんて不便な病気なんだろう、と思った。
  
○吐けないOR吐き切れないと、どんどん体重が増えてしまうこと。
 過食症になる人は、決まって「誰からも好かれたい」という性格を持つのに、これは耐え難い。
  
○「誰からも好かれたい」ので、たいていの過食症人は「頑張りや」で「努力家」で「世話好き」(そうじゃない子は見たことがない)でも、過食に使われる(使わざるを得ない)時間・お金・体力は年々増えていき、「頑張る」ことも「努力」することも「誰かの面倒を見る」余裕もなくなっていく。
  
○過食費だけに、月に何万円も使うことが普通になってしまう。
  
○過食の時間がどうしても必要になるので、過食にかかる時間が一日2時間だと、一日が22時間なのと一緒になってしまう。睡眠時間が少なくても身体がもつ20代前半はヘーキでいられることが多い。(私の場合)27歳になると、平日フルタイムで働きながら過食嘔吐に3~4時間も使うのは、生活破綻寸前だった。
 
そして 増え続ける症状におそろしくなり、センターに相談。悪習でも趣味でもなんでもなく、心の病気ということを知る。

怖い過食症人生

27302 過食について  2006/04/13 01:02
女性 主婦 27歳 B型 神奈川県
はじめまして。本日始めて皆さんの掲示板の仲間に入れてほしくて書き
込みをしました。
過食について今日は書き込みします。私は子供の頃、
ママ祖母から虐待されていました。

それから色々な経過を通して多重人格になりました。
私はそれから、人格を統合するため、一人で戦い続けました。
祖母の虐待は巧妙でそしてあまりにも劣悪だったため、初めて家族に
カミングアウトしたときには全く信じてもらえなかったです。
家族に、友人に。。。自分のことを知られるのが怖かったです。
ある日、たぶん高校一年生の頃だったと思います。私の中の一人
であるユウリちゃんが、ダイエットをしました。
思えば、家での虐待、学校でのいじめ・・・・いつの間にか食べることで
発散していた私は小さい頃からぽっちゃりとし体系でした。
でも、心の中にいるみんなは男の人達も女の人達も綺麗な人ややせた
人ばかりでした。
主人格の私だけは太っていて、肉体自体も太っていたので他の人格
はとっても納得がいかなかったのでしょう。
ユウリちゃんは強制的にダイエットを始めました。
結果はとてもはやくでました。
剣道部に所属しておりハードな運動、そして食事制限。
皆納得していて、私はほっとしたのを覚えています。
でも、時間の喪失時間も多く、高校に入っても勉強についていけないし、
友達も私自身には全然出来ませんでした。
そのうち、わけが分からないことが起きました。
精神が安定していない時期というのが私には良くありましたが、よく人
格が入れ替わる時期に来ました。
体の急激なリバウンドにより過食症になってしまったのです。
下剤をつかいました。それ以来、やせて綺麗だった体型はあっというまに
くずれ、ずっと太り続けました。私の過食はなんとか一時的におさ
まりましたが、このままではいけないと思いました。誰にも相談できなかった
ので私の中にいた味方になってくれそうな人格に声をかけ、統合
を図りました。
辛かったです。
私を守ってくれるどころか皆見下していて。。。
中には私がいなければ良かったのにといわれました。
高校2年生が終わる頃やっと力のある人格を少しずつ味方に付けて
生活していてトラブルを起こすような人格は消えてもらうことに成功しました。
その中でも、他の人格を抑える力があったのがるり子ちゃんです。
彼女は最終的に私との共存を選びました。
理由は分かっていました。ルリコちゃんには同級生の男の子に好きな子がい
たからです。
それから高校卒業後、私の中のまたべつの人格ルリコちゃんに彼が出来
ました。私自身はまだ初恋も経験していなかったのですが、ルリコちゃんは
積極的な人でわたしより、2つ年上の人格でした。
私はルリコちゃんが彼と会っているときは出ず、そしてそれ以外の
時間はでるようにしていました。
その時、初めて自分が痩せるというのを経験したのを覚えています。
リバウンドなどなく体が勝手にやせて言ったのです。
私はルリコちゃんが浪人して大学を目指していることをその当時やっとしった
ばかりでした。
でも、やっと自分の時間を取り戻し始めた私にとって
勉強ほど厄介なものはありませんでした。中学生の頃やっとひらがなを読める
ようになった私にとってやはり勉強についていけない学校に入るのは
嫌でした。
私はルリコちゃんと取引をしたんです。今まで学生生活を一度も
ちゃんと味わったことがないからどうしても、短大に入ってちゃんと自分の人
生を取り戻したい。
そのかわり・・・ルリちゃんは今の彼と付き合い続けていてもかまわないという
取引でした。正直、本当は嫌でした。ルリコちゃんは彼と性的な関係を持って
いたことをうすうす感じていたからです。でも・・・・どうしても、ちゃんと友達が
ほしかった。
ちゃんと自分で勉強したり、部活をしたり自分だけの人生がほしかったんです。
そして私は短大に入りました。それからその秋、私は初恋をしました。
どうしても・・・あきらめられませんでした。そして、ルリちゃんを説得する
ことにしました。もちろん、ものすごく彼女は怒りました。でも、もともと私一人の
体だったのにずっと自分の人生がなかったのに私にとっても納得がいきませ
んでした。如何しても引き下がれませんでした。そして、私はやっと自分だけ
の人生を手に入れました。その初恋の人が今別居中の夫です。
結局彼に追い込まれた私はその後、多重人格に戻り、別居する前から
過食症になってしまいました。
別居生活が始まってから最近漸く色んな事件が収まり、また私ひとり
にもどりました。
これから過食症と向き合うためこの掲示板に書き込みを書き込みをしていこう
と思います。
みなさん。よろしくお願いします。

怖い過食嘔吐暦

24495  過食嘔吐暦    2006/03/15 20:40
  女性 会社員 26歳 O型 長崎県  
 私は20歳の時佐賀の短大に行っていて家賃2.4万円のアパートで一人暮らしをしていました。
仕送りが2万だったので不足分の4千円と当時歯の矯正もしていたので月々1.5万円を稼ぐためにアルバイトもしていました。
貯金も貯めたくて節約生活を試み水道高熱費はもちろん食費も削りました。一日500円しか使わないと心に決め毎日切り詰めていてダイエットにもなり一石二鳥とまで思っていた。でも実家に戻る度に爆発して食べまくり5kg~6kg増えて佐賀に帰っていました。
醜い自分が嫌で友達の「食べ過ぎた時は吐いてリセットしている」との言葉をきっかけに嘔吐するようになりました。
 はじめは、食べ過ぎた時だけ嘔吐していました。
 短大を卒業し就職してからはほとんど症状は出ていませんでしたが、彼が出来、もっと可愛い彼女でいたいと思いダイエット思うように体重が落ちずにイライラした時に過食嘔吐していました。
でもこれじゃいけない。と思いとどまり徐々に症状も少なくなっていったのですが、彼と別れまた症状が増える。
 過食嘔吐している自分が嫌で「太っている自分を好きになってくれる人と一緒になるんだ。それが幸せ」と自分に言い聞かせ週に1~3回と少なくなった。
 また好きになった人ができ付き合うことに。普通にダイエットして体重を落としたものの50kgをきりたくなり嘔吐。
 1日1回と増える。彼には過食嘔吐していることを告白して「そんなの僕はきにしないよ」といってくれる。

彼との関係が順調の時は症状は出なかったが、順調ではない時、彼に対して不安を感じた時などに症状がでていました。彼は私の過食嘔吐のことを全然気に留めていない様子で具合が悪い時、不安な気持ちを正直に話してもそっけない返事ばかりで、症状が悪化。

そんな彼だったけれど何故か好きでたまらなくて彼と別れ話をした日は涙が止まらず、眠れませんでした。彼とは同じ職場のため今でも顔は合わせます。
 別れて1年以上たっても仕事などのストレスを解消するかのように過食嘔吐を1日1~2回繰り返し、休みの日は3~5回は過食嘔吐していました。一人暮らしから家族と同居してからもそれはとまらず家族は色んなところに相談していました。

病院はもちろんのこと先祖の供養の仕方に何か問題があるのかとあるところにまで。どれもこれも私がその気にならなかったので解決にはいたらなかったんだと思います。
 私にとって過食嘔吐することが一番気持ちがスッキリしていたから。大好きなお菓子やご飯をお腹いっぱい食べられて、吐いて痩せれるから。

でもそんな事をしていて時間はなくなり、前向きな自分にもなれず周りがどんどん上の資格等をとり自分に磨きをかけているのに私は何をしているんだろう。でも、病院も駄目で神頼みも駄目。じゃあどうしたらいいの?と思いHPでこのセンターを見つけ電話しました。