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摂食障害(過食症・過食嘔吐)無料相談 本当は怖い過食症ブログ

本当は怖い過食症

【ダイエット・摂食障害・拒食症・過食嘔吐の体験談ブログ】 摂食障害(拒食症、過食症、過食嘔吐、下剤乱用、チューイング・噛み吐き)は、本人が思っている以上に心と体を蝕む怖い病気です。 まずは過食症の本当の恐ろしさ、大変さを理解すること。 それが治すための第一歩です。 無料相談が出来るサイトも紹介しています。

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胸が締め付けられ動けなくなる

女性 無職 34歳 B型 東京都  

私が過食嘔吐を発症したのは、28歳の時でした。
離婚して2年半くらいたったころ。。。

私は3人兄弟の真ん中です。
幼いころから、兄、妹と比べられてきました。
両親とも銀行員で、とっても世間体を気にしていました。
お勉強のできる兄、お勉強も運動もできる妹はそれだけでママの自慢だったけど、
お勉強も運動もふつうの私は、ママが自慢するところがないので
「女の子は愛嬌があればいいのよ」と言われ育ってきました。
周りからはいい子ね、と言われ、ママもそう言われるのが満足でした。

でも、家では、お金遣いが荒いから、
とお小遣いを私だけもらえなかったし、もともと偏食だったけど、
ママに怒られちゃうからと、自分の部屋で夜中にお菓子をこっそり食べていました。
見つかっていつもママに怒られていたけどね。

高校生になると便秘が気になりだして、下剤を飲むようになりました。
だいたいどの下剤も4倍の量を一週間に2度くらい。
とにかくおなかがポッコリするのが許せなかった。

それから時がたって・・・

はじめはチューイングからでした。
ただお菓子が食べたくって、でも太りたくないし、って。
それがいつの間にかエスカレートしていき、気づけば口にするもの
全部吐いてました。

もともと痩せている方だったけど、半年でみるみる5kg減って、
なんだか嬉しかった。
洋服のサイズが5号になって満足でした。

そのころは何も考えていなかった。
そのうちやめよう、やめられるだろう、って。

もっとひどくなっていきました。
一日中過食のことで頭がいっぱいになり、
いつもスーパーの袋2つ分いっぱいに下げて、
吐くための食事をしていました。
朝食以外はすべて吐いてしまっていました。

過食する前、どんな食事してたかな?何を食べていたかな?
どうしていたのか記憶が薄れてきました。

ときどき胸がしめつけられるようになり、そうなると耳の奥とか毛穴が
全部ふさがれた感じで、痛くて痛くて動けなくなりました。
歩いている途中で息が苦しくなり、やっと近くのカフェにたどり着き、
泣きながらケーキを食べたこともありました。

自分で何度も治そう、と思ったけれどムリだと知り、
心療内科へ通いました。
でも薬を出されるだけではその頃の私には何の変化もなかった。

環境が変化すれば変わるかな、と2回お引っ越しをしたけれど、
それでも治らなかった。

スタイルを褒められるととっても嬉しい。
お洒落することも大好き!

でも、よく考えたら外見ばかり。
中身のともなっていない自分を誰かに見透かされそうで、
いつもビクビクしている。

今より2kg痩せようが、5kg太ろうが、
みんなの私に対する評価は変わらない、ってわかっているのに、
彼もどんな私でも好きでいてくれるってわかっているのに、
外見にこだわってしまう。。。

でも私は明るい未来のために、この病気をちゃんと治したい。
ごはんが美味しい♪ってことだけを思いたい。
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睡眠時間を削って

女性 会社員 27歳 A型 東京都
  
突然転勤になって、週末だけ自宅に帰る生活が続き、精神的にも肉体的にもとてもつらかった時に、せめて週末だけでもご褒美として好きなものを食べてもいいことにしようと決めました。

自分の好きなドライフルーツを金曜日に買って、ちょっとづつ食べるつもりだったのが、いつのまにか金曜日も買って、土曜日も買ってと、大量に食べるようになりました。
最初はオイシイと思いながら食べているのに、最後は苦しいのになぜか食べている。
そして太るのがいやで吐きました。
これがきっかけだったと思います。

再び転勤で自宅から近い勤務地になると、今度は平日に何をどれだけ食べてよいのかさっぱりわからなくなりました。
何をどれだけ食べてよいのかわからないだけでなく、空腹とか満腹とかそういったこともわからなくなりました。
一度食べ始めると、特に食べたくもないのに食べ続けます。
でも太るのが嫌なのと、胃が重く気持ちが悪いので吐き出します。

もはや吐くために食べているのか、食べると条件的に吐いてしまうのかよくわからなくなりました。
吐くたびに、世の中に食糧難で苦しんでいる人がたくさんいるのに、なんて酷い行為をしているのだろうといたたまれなくなることもあります。
こんな自傷行為はやめないとだめだと思いながらもやめられずに睡眠時間を削って、朝方まで吐き続けます。
毎朝、今日こそは過食を克服しよう!
絶対に菓子パンとかお菓子とか買わない!と決意しても、
大抵帰宅前になると、今日は何を買って帰ろうかとあれこれ考えて、
結局「朝の決意なんてどうでもいい。今はただ口にしたい。今日だけは・・・」
と思いながら過食をしてしまします。

吐けば吐くほどたくさん食べる

女性 会社員 24歳 O型 神奈川県

小学生から中学生の時期にかけて、私はあまり多く食べる子ではありませんでした。
出された食事をいつも残して、母や祖母に叱られていました。
中学校3年生受験期、私は両親の期待に沿えるよう、猛勉強をしました。
その成果あって、見事、県トップの高校に入学しました。
両親はとても喜んでいました。
しかし、それだけレベルの高い高校で、一時的に勉強してたまたま入学できた私が勉強についていけるはずもなく、最下位の成績を取ったこともありました。

私は受験期と同じ量の勉強を毎日強いられ、その反動で過食が始まりました。
その当時、165センチ63キロ。菓子パンを好んで食べていました。
高校を卒業し、親元を離れました。初めての一人暮らしです。
私は引き篭もりになりました。外に出ないから食事もままならない、数ヶ月で激痩せしました。当時52キロほど。
大学3年生ぐらいから彼氏ができて非常に健康的な生活をしていました。56キロほど。
少し太ったことを気にして、このころから慢性的なダイエットが始まりました。
その調子で大学を卒業し、現在、会社員をしています。

一度飲み会か何かで食べ過ぎて胃が苦しくなったとき、吐きました。
とてもスッキリしました。それ以来、ときどき食べ過ぎて苦しいときに吐くようになりました。
先月頭ぐらいから急激に仕事が忙しくなり、ろくに食事も取れず、短期間に3キロほど痩せました。

それからです、毎日吐くようになったのは。。。
せっかく3キロ痩せたのに、食べたら絶対リバウンドする。
久しぶりに54キロっていう数字を見たんです。
夕食を全部吐き出せば、明日の朝も54キロです。
もう一年中ダイエットしているのはイヤなんです。。。
食べたもの全部吐いていれば50キロも夢じゃない、なんて考えて、、、

吐けば吐くほどたくさん食べる。
食べたら安心します、食べ物が無くなると不安で仕方なくなります。
買ってきたもの残らず食べ尽くして、もう出ないくらいまで吐くんです。
ノドが焼けて、血の味がします。
そこまでやって、やっと悲しさがこみ上げます。
無駄な出費と無駄な時間と、傷ついた食道と、悲しむ時間と。

一度嘔吐してしまった瞬間から、私の生活は変わってしまいました。

100グラムでも体重が増えたら気が狂いそうになります。
1日に何度も体重計に乗ります。
でも、増えていようが減っていようが、過食嘔吐することに変わりはありません。
本当に深刻な事態なのだということには気づいていたんです。
でもどうしていいのか分からなかった・・・。
なんとかこのサイクルを断ち切る方法を探し求めているこのごろです

過食暦20年

女性 無職 39歳 A型 大阪府

もう20年経ちました。

今思えば一番楽しかった20代をただただ過食嘔吐に苦しんだ10年間、そして残り一年弱で終わる30代のこの10年間はどうやって上手く過食嘔吐と付合って生きて行くかを日に日に体調が崩れて体力が無くなって行く中で考えさせられる10年だった気がします。
私の場合は20代の頃が過食嘔吐の一番ピークで
彼氏が出来ても食べたい気持ちが頭から離れず食べ物の事ばっかりで…
当然こんな醜い事をしてる自分に自信なんて持てるはずも無く
彼氏にも自分の意見や気持ちを言えず
相手に合わせるだけで常に嫌われたらどうしようって不安と、それと逆に執着心との繰り返しで何度も辛い別れを経験しました。

仕事をしても集中力が無く食べる事で頭が一杯で続くはずもなく仕事も何度も変わりました。
そんな私を家族は駄目な弱い人間を見るような目で見てた気がして元々家族と向き合って話しをしたり相談したり孤立してたので余計家族の中で浮いてる状態で、とにかく早く家を出たかった…
30歳の時にメデタク結婚できました。
夫は初めて過食嘔吐を話せ
「何とか理解しようとしてくれる優しい人で結婚して2人の生活が始まれば過食嘔吐も治るだろう」
何て軽い気持ちになってたりもしたけど実際は幾ら過食嘔吐してる事を知ってる夫でも過食してる所を見られるのは辛くて毎日夫の目を盗んでは過食嘔吐していました。

そんな中で諦めていた子供を授かる事が出来た。
けどつわりで吐いていた延長で結局悪阻が治まっても過食嘔吐が続いて、、、
過食嘔吐のせいで何か障害があったらどうしよう・・・と妊娠中気持ちの休まる日が1日も無かったのを今でも覚えています。
それでも何事も無く出産…
その後、信用していた夫の借金や嘘が山の様に出てきて結婚生活は2年で終わってしまいました。

それからはお酒に逃げるようになり過食嘔吐+アルコールの生活になりました。
酔って吐いて寝るの毎日で当然毎日二日酔いの状態での子育てで子供には申し訳ない気持ちで一杯の毎日でした。
その後色んな事を何とか乗り越えながら現在に至りますが(20年を上手くまとめて語る事が出来ません。)
現在はこのサイトに出会えたものの、まだまだ20年という長い年月を越えられるほどの完治があるのかと不安だらけです。

20年は本当に長いです。
でも続けていればもっと長くなる…当たり前の事ですが今までの20年を取り戻したい。
子供に同じ思いをさせたくない。
希望と危機感とグチャグチャで苦しくなるけど20年経ってやっとここへ辿り着けた意味をもっともっと考えて行きたいと思います。

拒食症から過食へ

女性 学生 19歳 A型 愛知県
 
私には過食&拒食予備軍みたいな時期がありました。
中2の時でお正月太りしないようダイエットしたのです。
私の家はしっかりご飯を食べる家なので、朝ごはんのパンを半分にしたり、おやつをやめればするする減りました。
それを喜んでいるうちに、食べる=太るみたいな発想ができてだんだん食べるのが恐くなりました。
しかし、お母さん(母、じゃなく、こう書かせてください)に叱られて、この拒食は幕を閉じ、ばーっと食べて元
よりちょっと軽いくらいで体重も落ちつきました。
次の年は受験だったので、ダイエットには構っていられなかったので、特に何もおきませんでした。
だから、こういう時期があったのを気にもとめていませんでした。

高校は進学校で、とにかく勉強&部活のハードな毎日でした。
けれど、何か自分のなかにもやもやしたものがあって(思春期の特徴?)
なんとなく、リラックスできない時期が続いていたのです。
なんせ趣味をしている暇があったら、勉強しないと課題が終わらないって感じだったので、、、
そんな中、一人でリラックスできる時間を発見したのです。

勉強もひととおりすんで、家族が寝ちゃったあと、いつもは眠るのだけど、テレビを見ながらお菓子やお釜のご飯を食べたのです。
これがクセになってしまい、3キロくらい太ってしまいました。

ヤバイ、と思い、ご飯を減らしたのがきっかけ。
拒食症でどんどん食べられなくなり、お弁当をこっそり棄てたり、メインディっシュ(たいていカロリー高いですよね?)を
家族の目を盗んで棄てたりしているうちに野菜とパンくらいしか食べられなくなり、30キロまでやせ、入院しました。

けれど入院したら強制的に食べさせられて、いつも食事を不安に思い眠れない入院生活をしました。
看護婦さんが監視しているのも堪えらなかったし、修学旅行やコンクールといった行事に出ている友達がまぶしくてつらかったです。退院させてと言ったけれど、ダメでした。

食べ物への恐怖を抱えたまま見た目は普通に食べられるようになって退院、けれど、退院して1ヶ月ちょっとしてから、
家庭内がもめていることや、友達と同じことができないふがいなさに、すごくすごく何かが食べたくなりました。
そこで菓子パン3個をコンビニで買って、食べたのです。

これがきっかけでばーっと食べ出し、体重が増え、(24キロくらい増えたかな?)それに堪えられずに、家族にあたったり、
リストカットしたり、睡眠薬を大量に飲んだりしました。
服薬で学校でふらふらになったり、2日くらい眠り続けたりしました。

その後このままではいけない!!家族や友達を悲しませちゃいけないって必死になって食べるのをやめました。
おかげで大学にも何とか通えるようになり、週末過食くらいですんでいたのですが、学校内の揉め事をきっかけに再発。
そこからはだらだらと食べ続ける日、多々。。。また家族にあたったり、友達に心配かけたり、そんな毎日。

過食症になってから、周りにも迷惑をかけっぱなしだし、心から何か楽しいって思える日もなかなかなくて、将来も不安です。
過食症になっていちばんなくしてしまうものは時間。楽しいはずの時間だと思います。