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摂食障害(過食症・過食嘔吐)無料相談 本当は怖い過食症ブログ

本当は怖い過食症

【ダイエット・摂食障害・拒食症・過食嘔吐の体験談ブログ】 摂食障害(拒食症、過食症、過食嘔吐、下剤乱用、チューイング・噛み吐き)は、本人が思っている以上に心と体を蝕む怖い病気です。 まずは過食症の本当の恐ろしさ、大変さを理解すること。 それが治すための第一歩です。 無料相談が出来るサイトも紹介しています。

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整形、爪噛み、過食。

女性 神奈川県横浜市 33歳 無職

私は辛い生き方だらけです。
頭で分かってても、無意識に行動してしまう。

卒業した大学も、母がいい大学だと言ったから。
就職も、社会人ちょっとはしなきゃ、恥かしいと思ったから。
結婚も若いうちにしなくちゃと思ったから。
子供も2人は産まなくちゃ、と思ったから。
でも、全て裏目に出て、悪い方に向かった。

自分の進みたい道、やりたい事を押し殺して、母や世間の価値基準を当てはめていた。
その結果、辛い思いが多くなった。

指しゃぶり、爪かみ、過食、みんな自傷行為の様なもの。
私は指しゃぶりが幼稚園まで辞められなかった。
その為、右手の人差し指の爪が変形してた。爪の水虫みたいに分厚い爪だった。
小学校高学年まで、治療したが、治らなかった。
治療の度に母に「あんたがいくら指しゃぶりを止めろと言っても止めないから」となじられた。

指しゃぶりも、過食と同じこと。淋しさ、悲しさを埋めるための代償行為。
爪かみも同じこと。今でもするよ。昨日も血が出る迄してた。
爪かみしたくて、でも、母に怒られるから、コタツに隠れて爪かみした。「コタツの中でカチカチ鳴らしていい?」と許可を得てから爪かみした。
幼稚園の時、園長先生にも、注意された。

母が心配して、先生に言ってもらったのだろう。
「爪かみすると、お腹にばい菌がはいって、お腹痛くなるから止めようね」と言われた。
でも、それに依存してたんだから。淋しさを紛らわしてた。止めろと言われてもね…
それからは唇の皮をむく様になった。

整形が最たるものだ。綺麗になりたいと思ってしてた。
綺麗になるからいい事だと思ってしてた。
痛いけど、お金かかるけど、ハマってた。

そうだ!親への恨み、憎しみからやってた部分もある。
儒教で、「親からもらった身体を傷つけるのは、親不孝だ」という意味のフレーズがある。
整形しまくって、私の顔から、お前達の面影をなくしてやる、と思った。
何ともイタイ。グロい。悲しい。切ない。

でも最近太ってきたので、また脂肪吸引したくなりました。顎とお腹。
あの痛さと内出血のあざ、1ヶ月後の何事もなかった様な、綺麗な仕上がりを想像するとわくわくするのです。

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手がちぎれる位買い込んで過食

女性 会社員 32歳 O型 福岡県

過食嘔吐するようになったのは、8年前。
もともと太っていたし、痩せたい願望はいつもあった。太ってる自分はいつも惨めだった。
好きな人が出来たのと、仲のいい子が見る見るうちに痩せたのを見て、痩せなきゃ痩せなきゃって増々思うようになって。その一心で、食べるのが怖くなった。少ししか食べてないのに、嫌悪感が募って、軽い気持ちでやってみた。始めはそんなに辛くもなかった。

でもそれから、嫌な事があったり仕事が終わると、買い出しに行っては両手がちぎれるくらいの量を買って食べ吐くようになった。ストレスの具合では一日何回も過食症状が出た。
友人とご飯を食べても、食べ過ぎたと感じたら、今日は吐かなきゃって思いで一杯になって、沢山食べては、隠れて吐いた。コンビニ、バー、居酒屋どこでも。指を突っ込んでも吐けないときは、歯ブラシやトイレ掃除のブラシの柄、何でも突っ込んで吐いた。

いつも買いにいくコンビニやスーパーの人の目や、食事や飲み会の途中でいつも姿を消す私を見る友人の目が怖かった。
バレたくない、でも誰かに気づいて欲しい。
いつも孤独だった。

休日は朝早くから買い出し、過食嘔吐してまた買い出し。。。
夜になって日が暮れて暗くなった部屋で、何やってるんだろうと思うと、やりきれなくて泣いた。

翌日は手や顔がむくみ、嘔吐するときに顔に強い力が入るためか、目の縁に皮下出血が出来る。
吐くときに突っ込んだものせいで、いつも喉が痛くて、口内炎が出来る。
こんな生活じゃ人にも優しく出来なかった。
なんで私を大事にしてくれないのって、いつも周りを心の中で攻め続けた。

働いてるけど、いつも生活はぎりぎりで、過食費やサプリメント、胃薬、睡眠導入剤、高い歯磨き粉、歯科治療、自己啓発本。。。ローンを組んでまでも工面した。
お金がないときは、職場のお菓子や食べ物を見つからないようにバッグにつめて、持って帰っていた。いつもびくびくしていた。

自分は変態なのだと、精神が病んでこのまま普通には生きていく事が出来ないのだと、何度も死のうと思った。でも出来ない。惨めな姿で死にたくない。。。

いつも不安定で、いつも悲しくて。

幸せになりたい、普通になりたい、そんな風に強く思った時、ここに辿り着いた。
みんなの言葉、優しさに救われた。同じように悩み、病気と向き合う人たちに出会った。
症状はまだあるけれど、こんな病気に負けたくない。
たった一度の人生を無駄にしたくない。

私も頑張ります。
私たちに一日も早く幸せが訪れますように。


どうして食べたいの?

女性 自由業 22歳 O型 沖縄県
 
小4から不登校、引きこもり。2年半で15キロ太った。家族旅行写真の自分の醜い姿を見て愕然。チューニングを始め、そのうち食べなくなった。でも、親には無理矢理食べさせられる。ある日風邪で嘔吐。それから徐々に吐く事を覚えて、毎食吐くようになっていった。中学は相変わらず行っておらず、自力で塾探して勉強して受験。そして、定時制の夜間に通い始める。年齢バラバラで、友達もできて楽しかった。求めてた青春があった。不登校最後の方は、学校行きたくても行けなかったから。

バイトも始め、貯めたお金で原付や携帯も買った。でも、バイト先の弁当屋とコンビニの廃棄物は大好きな過食の大切な食料。授業サボって食べた。学校や公衆トイレ、草むら…何処ででも吐いた。
集中してもっと過食したい時は即帰宅。それが当たり前の日常。普通だった。でも、出会い系で知り合った近くの男子校の大好きだった彼氏に振られた。そこから落ちて行った。男あさり、援交、夜遊び、飲酒、家出…。それの合間に過食嘔吐。
その熱が冷めたら今度は引きこもり。外部と触れたくなかった。外に出たら足が震えて歩けない。パニック。完全なうつ病。逆転生活。夕飯時に起きて朝まで過食嘔吐。家中の食料を食べまくった。部屋は足の踏み場もない位散乱。ベットや両腕はリストカットで血だらけ。死にたかった。でも、死ねなかった。同級生で自殺した子が羨ましかった。過呼吸で息ができない。苦しかった。だから食べた。吐いた。何でも食べた。病気には意地でも行かなかった。行くなら死んだ方がマシだって思ってた。気力で治す!って変な負けず嫌い。

そんなある日、歩けない程食べて這ってトイレへ。でも…吐けない。…出ない!
疲れて涙流しながら部屋に帰り何とか寝ようとしても苦しくて眠れない。…そのうち段々激痛に変わってきた。耐えられない位痛かった。苦しかった。その間も何度も吐こうと試みた。でも出ない。
辛くて怖くて諦めてお母さんを起こしにいった。真夜中だったから救急車で病院に運ばれた。結果、即入院。診断は急性膵炎。4日間完全絶食。2週間入院。退院後も2ヶ月食事制限。でも…それも全て吐いてた。

その後、また高校に通い始めるも、もう戻れなかった。また夜遊びとバイト、飲酒に明け暮れ、2回程過食と酒で急性腸炎(急性アルコール中毒?)にかかり運ばれる…。お母さんとも2年間口きいてなくて、家にいるのがダメで苦しいならと、それからはお金を貯めて、旅に出るようになった。外の知らない世界、海外、異空間に出ると過食も情緒不安定も大分収まった。実家に帰ると甘えて過食に…。昔から過食費のために親の財布から抜いてた。嘘も過食のため。友達の約束も過食が優先。車借りて出掛けるのも過食のため。食べたら、場所選ばずトイレやビニールに吐いた。…運転しながら過食するのが一番好きだったなぁ。

…バカみたい。全て過食。もっと楽しい事もやりたい事も沢山あるのに。食べるの大好きなのに。こんな事のために大好きな友達も自分ももう裏切りたくない。もう十分だから。


東京に来たけれど・・

 
過食症になって
 女性 無職 23歳  熊本県  
  
過食症を治そうと思い、家を出ることにした。東京で就職した。

家を出れば、甘えがなくなると思った。親にも迷惑かからなくなると思った。
会社の寮に入った。2人で一部屋。2段ベッドのワンルーム。
コレなら逃げ場がないから絶対しなくなると思った。
1ヶ月はまったくしなかった。
研修で、気楽だった。東京にいるというだけで、うれしかった。
食事も自分で管理できて、うれしかった。完璧にしようと思った。
お弁当も毎日作った。ひじき、高野豆腐、きんぴらゴボウ、健康的なものばかり食べた。節約して生活しようと思った。
東京では地方では寂れてしまった商店街も生きている。町歩きも楽しかった。
でも、無理は続かない。仕事の人間関係は面倒だった。
班行動もいやだった。大っ嫌いな学校生活を思い出した。
勤務シフトは複雑、過密。夜10時に終わったのに、次の日は3時半起きもざらだった。
どんどんストレスはたまっていった。班は地獄だった。
副班長とそりが合わなかった。そのことを班長に相談すると、筒抜けだった。
私が甘かった。自分を責めた。誰にも相談できなかった。狭い世界。
あるとき、作り置きしたおかずを一気に食べた。それから再発してしまった。
ファーストフードをはしごして食べた。
部屋の相方が寝ているときを見計らって食べた。
相方がテレビを見ているとき、シャワーを流しながらトイレで吐いた。
毎日、自分の時間がないのはつらく、夜は近所を散歩した。
日々のおかずを買うつもりが、買い置きができない。
夜の公園でも食べた。公園のトイレで吐く。冬の寒い日。
こんなことするために東京来たんじゃない。
涙が出た。
でも止められなかった。

寂しい、誰か助けて!

過食症になって(学生時代)
女性 自営業 31歳  神奈川県  
  
思い起こせば中学~高校の頃、朝昼のご飯を抜いて夕方学校から帰ると寝るまで食べ続けていた。
「ちょっと太ってるよね~」と言う友達に当てつけるように学校では全く何も食べなかった。
そして19歳の秋、片思いの人に好かれたくて痩せて綺麗になりたくて
ダイエットを始めて、食事を殆ど摂らずに1ヶ月で15kg体重を落とした。
でも結局失恋。
そして、「食べられない・食べたくない。」そんな症状だけが残り、
「もっと痩せなくちゃ、こんな体だから嫌われるんだ!」と自分を責め
続けていたら、少し食べただけで吐くようになってしまった。これが過食嘔吐の始まり。

そこからは自責の念と罪悪感、憂鬱、自己否定の気持ちがどんどん増していって、
頻繁に過喚起症候群の症状で倒れるようになり、学校へも通えなくなった。
学校へはいけないのに自宅で家族の分の食材まで半日で食べて嘔吐を繰り返していた。
もちろん、母には「何考えてるの!?」と責められ、変人扱いされ、
家族がいるときは何も食べられなくなってしまった。
そして、夜中にまた食べ物をあさる毎日・・・悲惨でした。

正直その頃の2~3年(19~21歳くらい)の記憶があまりない。
普通なら大学へ行ってサークルに入ったり、友達と旅行をしたり、
コンパをしたり、そんな華やかな思い出が幾つもあるはずなのに。
結局留年して、友達とも疎遠になってしまった。

寂しい、誰か助けて!
でも、本当の自分の気持ちなんて誰もわかってくれない、他人なんて煩わしい、キライ。
どんどん自分の中に篭っていって。
そんな自分には食べて吐くしかなかったんだと思う。