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【ダイエット・摂食障害・拒食症・過食嘔吐の体験談ブログ】 摂食障害(拒食症、過食症、過食嘔吐、下剤乱用、チューイング・噛み吐き)は、本人が思っている以上に心と体を蝕む怖い病気です。 まずは過食症の本当の恐ろしさ、大変さを理解すること。 それが治すための第一歩です。 無料相談が出来るサイトも紹介しています。
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過食症は 入院したら治るのでは?
そう思っている人は少なくありません。
入院は、低体重の患者さんに対して
体重をある程度回復させたりする手立てとしてはとても有効です。
しかし、それ以外の目的で病院に入院した場合
退院後、ほとんどの人はリバウンドして体重が増えたり、過食や嘔吐が止まらなくなったりします。
薬を飲んだり、入院したりして
一時的に治まった過食はいずれ再発します。
過食症は病院で入院しても止めることが難しい心の病気なのです。
(以下相談者の体験談)
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入院治療報告
女性 自由業 28歳 O型 東京都
東京都三鷹市の長谷川病院の閉鎖病棟、東京都調布市の青木病院の閉鎖病棟に入院を計4回ぐらいしました。
入院生活中は閉鎖なので外には出れず病院内ももちろん、その病棟に閉じ込められてました。
過食が入るとうつ病。
うつ病になると余計に過食→躁鬱病。
の繰り返しでした。
脳波等の一通りの検査をします。
飲み物は病棟に置いてあるヤカンのお茶(ノンカフェイン)か水道水。
自販機にあるのもお茶か水だけ。
面会の時も飲食禁止。食べた量をチェック。
夜、朝、昼の合計で病院の基準に達してないと点滴。体重測定。
でも私は毎回、入院すると過食が治まりうつ病も良くなります。
勿論、入院中の間だけのもの。
入院中は仲間がいるし、食べる時も皆で一緒だから寂しくない。
だから私はいつもゆっくり少しづつ食べれていた。
仲間とも病気について話しあえたりして普通の会話したり楽しかった。
皆で行うミーティング等もありました。
それは皆で題材を決め、議長を決め、意見をいいあう。
例えば『いかに入院生活を意味のあるものにするか』など。
あとはドクターから決められた少人数で行う会。
カウンセラー、ナース等がいてビデオ撮りをしていて、でもそこで話した内容はドクターにも、他の参加してない患者さんにも他言してはいけないルール。
自分自身の話しをして、周りの人の話しも聞く。
案外聞いてるだけって疲れるものだったり、共感できて涙がでたり。
治療内容はそんな感じです。
でも退院したら過食の始まり。
だって自由なんだもん。
怖かった。
退院して自由すぎる外が怖かった。
歯止めがきかなくなる自分が怖かった。
私は次に入院になったら最低3ヶ月は任意入院でも出れない約束をさせられました。
私には愛犬がいます。
もぅ離れたくないし生活保護になりたくないから(生活保護になったら飼えない)、ここで治してみせます。
女性 自営業 50歳 AB型 長崎県
過食嘔吐が発症したのは、18歳。
就職した先でなれない環境、人目が気になり食堂でご飯が食べれず拒食状態、仕事は肉体的にハードで58キロの体重が半年で47キロになりました。
でも体は食べ物を要求し、寮で誕生会かなにかで食べたときにお酒ものんでとても気持ち悪く楽に吐いてしまってから、過食嘔吐が始まりました。
19歳で結婚。
寮をでてからも主人に隠れて食べては吐いていました。
初めての妊娠が5ヶ月でだめになり自分のせいと思いつつやめられず、2度目の妊娠中もこわごわ続けてしまいました。
でも子供の事を第一に考えることが出来ず食べ物を買うためキャッシングにまで手を出す始末。いけないと思っても出かけてはゲームセンターで遊び惣菜やファストフードを買って帰りたべていました。
娘が生まれてからも、主人は仕事柄夜勤が多く、いつも母子家庭のようで寂しかったです。
子供のころからいつも寂しくて胸にぽっかり穴が開いていてそのせいで食べちゃうのかなと思っていました。娘が1年生になったころ、アダルトチルドレンの本を見つけ、自分はロストチャイルドであることを知り、それから、ずっとなぜ自分はこんなに生き辛いのか、理由を探していました。
いつも死にたい、自分が生きているために経済的にも環境的にも負担をかけて、良い妻にも母にもなれず、自分がゴミのように思えました。
30代になって家計が破綻しそうになっても食べることをやめられない、主人に話して何度もお母さんに助けてもらいました。でもまだやめられない。
40代になっても。仕事も半年ぐらいで転々と変わり、ご近所付き合いとか親戚付き合いとかがまったく出来なくなって、うつ状態になっていました。
友達と呼べる人もいない、自分のやりたいことでさえ続けられないこの病気さえなければもっと違う本当の自分を生きられるのに、と思うようになっていました。
女性 無職 20歳 O型 愛知県
過食症。
自分が思っていたよりも、
何倍も何十倍も何億倍も怖いものでした。
心配してくれる親の辛そうな顔。
そう、私を心配してくれる人の顔がいつもどこか寂しそうで、
辛そうに見えるのです。
食べ物をどのくらい食べれば良いのか?
そんなの全くわかりません。
これはお腹が空いているの?ただ痛いだけ?
結局食べてみると衝動がやってくる。
どうしたらいいのかわからない状態。
ここに繋がる前は、どこか何かのきっかけが自分を変えてくれると思っていました。
たくさんのきっかけや変化を作り出そうとしてきた自分。
でも結局、ここに繋がるまでの5年間、過食費は最初の10倍以上、体重は健康時の最大60キロから28キロ落ちました(過食嘔吐で)。
自分を責めることは私にとって当たり前でした。
生まれて感情を持ち、言葉が出るようになったときには確実に、
あぁ、怒ってる...。そうだ私のせいだ。私がいけないから。
私がわがままで、おしゃれが好きで、派手好きで...
きっと私の存在が不快なんだ不快で不快で仕方がないんだ。
そう思って生きてこなかった日はありませんでした。
お父さんが怒っているのも、
お母さんが悲しい顔するのも私のせいだと。
今もお母さんは寂しそうな不安そうな顔をします。
それは病気のせいです。
過食症という病気が、
自分だけでなく、
自分のまわりの本当に大切な人までにも、
辛さや苦しさに触れさせてしまう...
過食症であるって本当に辛いこと。
たくさんの辛い気持ちを自分が抱えて過食症になったんだから。
過食嘔吐は絶対に絶対に治さなくてはならない。
本当に本当にそう思います。
私は家族や大好きな人々と幸せになるんだ。
幸せになってずっとずっと一緒に生きて生きたいんだ。