忍者ブログ

摂食障害(過食症・過食嘔吐)無料相談 本当は怖い過食症ブログ

本当は怖い過食症

【ダイエット・摂食障害・拒食症・過食嘔吐の体験談ブログ】 摂食障害(拒食症、過食症、過食嘔吐、下剤乱用、チューイング・噛み吐き)は、本人が思っている以上に心と体を蝕む怖い病気です。 まずは過食症の本当の恐ろしさ、大変さを理解すること。 それが治すための第一歩です。 無料相談が出来るサイトも紹介しています。

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


どこにいてもいつも孤独。

女性 27歳 O型 新潟県

中学生の頃。
夕食のカレーライスを食べ過ぎて
トイレで指を突っ込んで吐いた。

覚えている限りでそれが
はじめて病気との出会いだったのかなぁ。。

でもその当時は
まったくストレスでもなく
食べ過ぎちゃったなぁ
ってときに吐いてただけ。

それから数年たち
結婚、出産、子育て、
すべてが順調だった。

それなりにストレスや悩みはあったと思うけど
さほど気にも止まらず。

結婚当初から
旦那の実家でくらし
いつもお義母さんが間に入って
旦那と会話なくても全てが回る。

はじめは楽でいいなぁ。
くらいに思ってたけど
さすがに
子供が生まれてからタバコを止めてたと思ってたのに
旦那は三年以上前からタバコ吸ってたり。。。
旦那が高熱がでて3日も会社を休んでたのに
まったくわからなかった。。

同じ家に住んでるのに、
私だけ知らなかった。
会話なしでも
顔すら合わせなくても
成り立っていく日常。

私この家にいらないんじゃない?
ずっと思ってた。

結婚三年目。
私は誰にもナイショで
豊胸手術をした。
もちろん旦那もナイショで。

コンプレックスだった小さい胸を
治せば自分に自信がもてると思ってた。

整形したことは
誰にも言えず、
墓までひとりで持っていくつもり。
今でも誰にも言ってない。。

その頃からだんだんおかしくなってきた。
夕食をガツガツ→トイレ

だんなの実家からでて
三人で暮らせば絶対治ると思ってた。
自分達で一所懸命働いて生活していれば
治ると思ってたのに
治るどころか、だんだん悪化して
ここ三年位は毎日毎食過食嘔吐。

一番辛かったのは
娘の保育園の卒園式が終わって
家に帰ってきたら
ホントは家族でお祝いしたかったのに
過食衝動にかられ
娘と旦那を強引に外出させて
一人過食嘔吐。。

あの時の
娘の悲しい顔。。

毎晩の夕食ごも
過食したくて
早く風呂入りなさい!って怒鳴ったり

もう5年は続いている過食嘔吐のせいで
目の下にはくま。。
久しぶりに合う友達には
顔が太ったねって。。

生理も3ヶ月来ないのは普通。
つねにイライラ。
何かが不安で怖くて。。

気分に波があっておちてるときは
死にたいないぁなんて考えるときもあった。
PR

お風呂も入れず・・・

何かのきっかけで止まった過食。

それは簡単に再発してしまうものです。

治ったという喜びが大きいほど、再発した時のショックは大きいということは
皆さんも想像できるのではないでしょうか。

(以下相談者の方の体験談です)
*------* *------* *------* *------* *------* *------*

女性 会社員 43歳 O型 東京都

過食の始まりは1年前。

その時は2週間に1回程度、多くても週1回。
1回1~2時間程度、食費千円程度。
それが8ヶ月近く続きました。

その時、カウンセリングを受けてピタリと止まりました。
「あ、完治した!」と思ってウキウキ、キラキラしていました。
何でもやる気満々。

ところが、そのカウンセラーと揉め事があり、それを機会に再発。
再発の時は週に1回、1~2時間程度、食費千円程度。

再発2ヵ月後には週に2回になり、再発3ヶ月目には2日に1回になり、とうとう毎日になりました。
特に最後の1ヶ月で加速しました。
その3ヶ月の間に地震があり、それに関連して精神的にショックなことも続いたのがよりマグマにスイッチを入れたんだと思います。

とてもハイペースな経年増加です。
自分でもビックリしました。

今思うと「完治幻想」だったんだと思います。
だけどカウンセラーに「治った」と言われ、本当にその通り止ったので疑うこともありませんでした。
なのに、そのカウンセラーによりまた再発。
信じるものもなくなり、過食は増えて、うつ状態になり、お風呂も入れず・・・。

最後には1日2回、3時間、食費1.5千円~2千円。
もう口に食べ物を運ぶことしか考えられない。
近くのコンビニをはしごして、家に帰るまで待てなくて歩きながらお菓子を食べる。
そして吐いてスッキリした・・・と思ったら、また過食と嘔吐。

あっという間に手には吐きダコが出来ました。
段々と吐くコツを覚える一方、吐けなくなってもきたので、もっともっと手を突っ込んで益々吐きダコが出来る。
唾液腺も腫れました。
これは全部1ヶ月間の出来事です。

元々、節約生活をしていたのに、どんどん生活は厳しくなり、水道光熱費も払えず、親からお金をもらったりしたけど、それも使っちゃって。
でも、親には理由は話せませんでした。

歳月は何も解決しない

『過食症で人生を狂わされた』という人はたくさんいます。

「ここまで酷くない」と思った方、未来は誰にも解りません。

(以下相談者の方の体験談です)
*------* *------* *------* *------* *------* *------*
女性 主婦 27歳 O型 宮城県

初めて自分がオカシイと気づいたときは小学生のときでした。
ご飯を8杯食べても、お鍋いっぱいの味噌汁を飲んでも、なんだか満たされない。
それが過食の1番古い記憶です。
お母さんや祖母にによく叱られていました。「食べ過ぎ!」と。

お腹はいっぱいなのになぜか一度食べ始めると箸を置けなくて、自分でもそんな自分の状態に不安を感じているのに、家族には言えませんでした。

中学生、高校生と成長するにつれて、過食も本格的に酷くなっていきました。
学生時代は吐くことを知らず、ものすごく太っていました。

お小遣いなんかじゃ過食費は賄えなくて、万引きばかりして、警察に何度も捕まりました。
学校で友達のお弁当やお金も盗みました。
同じ学校の好きな人にも、太ってることをからかわれ、あまりの辛さに高校を中退しました。

中退後は親との関係も最悪で、家に帰る気もせず、売春しながら過食してくらしていました。

そして、痩せたい一心で覚醒剤にも手を出しました。
吐くこともおぼえ、あっという間に体はぼろぼろになっていきました。

もう、頭の中は食べものと痩せることで埋め尽くされていて、その2つから開放してくれる覚醒剤は自分の中で神と崇めるほどのものとなっていたした。
でも、最終的には鬱になり、覚醒剤では過食症は何も解決できませんでした。

かといって他の解決策もわからず、過食嘔吐をかかえたまま、幼かった私は気がついたら27歳の大人になっていました。

傷ついた子供の私が27歳の私の中で、辛いから、紛らわしたいから、お願いだからお菓子を頂戴と泣いている。

でも、傷ついた心は、チョコレートや菓子パンでは癒えなくて、更に傷だらけになっていった...


過食症はとても恐ろしい病気です。
放っておけばガンと同じような進行性、致死性の病だと思います。

私はたくさんのものを失いました。
お金、時間、健康、友達、信用...
数え切れません。

でも、きっときっと取り返します。

治したいと思っているのに

摂食障害は、治したいと思っただけでは治りません。

適切な行動をひとつ、ひとつ、とっていくことが回復への近道です。

(以下相談者の方の体験談です)
*------* *------* *------* *------* *------* *------*

女性 学生 32歳 O型 岡山県

私は、17歳で一人暮らしを始めたことがきっかけで過食嘔吐が始まりました。
あれから15年。
恋愛や結婚・出産などの度に、数年単位の擬似停止もありましたが、仕事のストレスや人間関係のトラブルなどがきっかけで、再発を繰り返し現在に至っています。

最初は、コンビニで普段は我慢しているお菓子を買って帰り、一人で誰の目も気にせず食べたいだけ食べれることに幸せを感じていました。でも、そのうち体重が気になり始め、食べたいけれど太るのはイヤで吐くことを思いつきました。

始めはうまく吐けずしんどかったけれど、そのうちうまく吐けるようになり爽快感を感じるようになっていきました。
吐くことで、自分がリセットされるような喜びさえ感じていました。

そして、食べたいものを何ひとつ我慢せず食べたいだけ食べること、
吐いて自分がリセットされた上、太らない過食嘔吐が止められなくなっていきました。

この15年、過食嘔吐が再発するたびに「これはストレスのせいだ」と自分を正当化してきました。お金も時間も無駄にしていることを頭では理解していながら「今日で最後。リセットしたら明日からは大丈夫」と自分に言い訳をしてきました。

でも、一方では過食嘔吐している自分を否定し、責め続けてきました。
特に趣味もなく、空いた時間を全て過食嘔吐に費やす生活、時間もお金も捨てていることへの後ろめたさ、
そして自分の身体に生じる不調(むくみ、唾液腺の腫れ、倦怠感、肌荒れなど)を感じては身体を痛めつけていることへの情けなさで自分はダメな人間だと落ち込みました。

でも、止められない過食の衝動。一度「食べたい」と頭によぎると、もうそのことしか考えられなくなる。
いてもたってもいられなくてコンビニやスーパーに駆け込む。帰宅すると一気に食べ、でもまだ食べたくて、台所にあるカップラーメンや食パン、残り物などを食べ尽くす。

そして、水をがぶ飲みしトイレで全部吐く。落ち着くと同時に激しい後悔が襲ってくる。明日こそは止める。そう思うのに、また襲ってくる過食の衝動。自分が何かにとりつかれている恐怖に襲われ、ようやくここに辿り着きました。

どれだけの時間とお金を無駄に捨ててきたでしょうか。
人生で一番楽しかったはずの10代後半から20代を、私は自ら捨ててきたという事実に愕然としています。

そして、奇跡的に娘を授かり無事出産しましたが、世代間連鎖のことも知らず過食嘔吐を続けてきました。
娘に過食嘔吐の姿を見せたことはありませんが、本当は仕事が終わってすぐ保育園のお迎えに行けるはずの時間を過食嘔吐に使い、ギリギリにお迎え。

そして、帰宅後はお迎えが遅かったために疲れてぐずる娘にイライラし怒ることもしばしば。
ゆっくり遊んであげる時間もなく、寝る時間になるからと早く早くとせかす夕食と入浴。

間接的に、過食嘔吐が原因で娘に寂しい思いをさせ、しわ寄せが来ていたことに気付きました。
今は、娘に連鎖させないためにも、自分のためにも絶対完治したいと思っています。

今までの私は、自分の意思が強くなれば治るはずと思っていました。
でも、治したいと思っているのに、治すための努力はしてこなかったように思います。

「治したくない」「いつまでもお菓子やパンを食べたいだけ食べたい」というインナーチャイルドがいたからだと思います。
でも、今は過食嘔吐という手段でしか自分を解放できないほど抑制した人生を送ってきた自分を知り、その自分を認めてあげようと思うようになれました。

今まで、いい子でなければ親にも夫にも愛されなかったために、人前でダメな自分を出すことが出来ずに生きてきた自分を「良く頑張ったね」と褒めてあげようと思います。
それは、過食嘔吐している私のことも「大好きだよ」と言ってくれる、ありのままの自分を受け止めてくれる場所を見つけたからだと思います。

愛されたいと願いながら、どんなに頑張っても誰からも愛されていると実感できなかった日々。
それは、私自身が自分を愛せていなかったからだと気付きました。

それどころか、自分で自分を傷つけ続けてきたのです。
これからは、「もういいよ」「よく頑張ったね」「大好きだよ」「そのままでいいよ」って自分に言ってあげようと思います。

相談を始めて擬似停止が続いている嬉しさの反面、いつまた再発するかという不安もあります。
でも今は、初めて「もう一人じゃない」という安心感があります。失ったものはたくさんあるけれど、命を失くす前にこう思えたことに感謝します。

過食に支配された生活

同じ摂食障害の方なら共感できる内容でしょう。

生活に影響が出始める前に、病気を何とかしたいものです。

(以下相談者の方の体験談です)
*------* *------* *------* *------* *------* *------*
女性 会社員 32歳 O型 群馬県

過食症になってつらかったこと

普通に食事を摂れなくなったこと。

食べるか食べないかになってしまう。

友達と一緒に食事をすることもできない。

常に頭からカロリーや食べたいもののことが離れない。

仕事をしていても考えてしまう。

会社も休んでしまう。

過食後の自己嫌悪と重い鬱