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摂食障害(過食症・過食嘔吐)無料相談 本当は怖い過食症ブログ

本当は怖い過食症

【ダイエット・摂食障害・拒食症・過食嘔吐の体験談ブログ】 摂食障害(拒食症、過食症、過食嘔吐、下剤乱用、チューイング・噛み吐き)は、本人が思っている以上に心と体を蝕む怖い病気です。 まずは過食症の本当の恐ろしさ、大変さを理解すること。 それが治すための第一歩です。 無料相談が出来るサイトも紹介しています。

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日本も過食も捨てたはずなのに・・・

病気を続けるための言い訳と、治すための行動。

あなたはどちらを選びますか?

(以下相談者の方の体験談です)
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女性 会社員 32歳 A型 ヨーロッパ

治したい一心で、海外から相談を受けています。

きっかけは「うつ」だった。
根拠のない自信が突っ走ってきた25年。
ちっちゃな小石に躓いて、そのまま転落していった。

自信を取り戻すための手段として、痩せることを思いついた。
「華の学生時代に戻りたくて、41キロ(身長152センチ)にすべく通常食でも何でも吐いた。
1人暮らしにマンションだけでなく、会社のトイレや実家のトイレでも吐くようになった。

幼少期を海外で過ごした私は、何でも日本のせいにしていた。
馴染めない。
適応するためにもう1人の自分を形成し、それに疲れた。
生まれ育った土地に戻ることで自分が取り戻せると、会社を辞め、日本も捨てた。

仕事も落ち着き始めた頃に、再び再発した。
しかも、前よりもひどい。
いつも我慢しているバターや砂糖たっぷりのお菓子や、スナック菓子、油で揚げたポテト、ハンバーガーにアイスクリーム。
手当たり次第買っては、部屋で食べて吐いた。
同居人が家にいるときは、公園で食べて吐いた。
仕事前にスイッチが入ったときは、始業前に食べ、吐くために早退した。

情けなかった。
苦しかった。
食べる量や、スイッチが入る頻度が高くなり、怖くなった。

この病気になってから、良いことなんて1つもない。

早く、少しでもよくなりたい。
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こんな私じゃ・・・

過食症は自分の人生だけではなく、身近な大事な人の人生にまで
影響を及ぼすことも少なくありません。

(以下相談者の方の体験談です)
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女性 41歳 愛知県

はじめはダイエットのつもりでしたが、止まらなくなりました。

何よりも過食嘔吐が最優先する毎日になり、仕事も休む事が増え、無責任な自分に罪悪感を感じ落ち込みます。

以前は、簡単に仕事を休んだりする自分ではなかったです。


借金も増え、焦っています。

父が癌になり、支えなければならない状況なのに、何もできない自分に自己嫌悪。

過食嘔吐を完治しなけへば、自分の事だけではなく、大切な人の支えになることもできません。

体も心もまるで宇宙人

自分の体調や体形の変化、
しっかり見つめたことがありますか?

(以下相談者の方の体験談です)
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女性 会社員 32歳 O型 東京都

18歳に初めて食べ物を口から戻す事を覚えました。

実家にいたから親のいない時にコンビニでいっぱい食べたい物買ってきて週に2~3回くらい。

お酒を飲むようになってからは酒=過食嘔吐でした。

実家を出てからは仕事が終わればすぐに買い物に行き、過食嘔吐。

それでも病気の実感はなく、食べたい物食べてスタイルのいい人を楽しんでました。

血を吐いても過食は止まらず、唾液線が腫れても飲み食い嘔吐してました。

30代に入るといつも体がだるく、耳鳴りが止まらない時もあり、過食嘔吐が終わると心臓がバクバクすて「このまま死ぬのかな」という時も増えてきました。

それでも、止められない同じ毎日。

もう喉が痛い、こめかみが痛い、胃が痛い、耳の下の唾液線が痛いのに。
顔は腫れぼったくて丸いし、それでも手足はガリガリ。
お腹はポッコリ。
まるで宇宙人です。

「もう止めたい!」「でも食べたい!」「私、頭おかしい!」

ついに歯が小さくなって削れてきてしまい、もう本格化に止めなきゃ…と思い、ここを頼ることにしました。

本当にこのまま続けてたら、もっともっととんでもないことになってしまう!
過食嘔吐怖いです。

20年経ってやっと気づいた

「いつか治る・・・」のはかない希望は、
何十年たてば現実を直視されてくれるのでしょう。

(以下相談者の方の体験談です)
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女性 主婦 44歳 O型 広島県

わたしが節食障害になったのは、大学時代に一人暮らしをはじめたころでした。
菓子パンやご飯、スイーツが思いきり好きなだけ食べられる一人暮らしの開放感から過食嘔吐がはじまりました。
その頃は、キレイでいたい、だけど食べたいという矛盾した願望をかなえようと、食べて吐くことで両方かなえられるという安易な発想が、気がつけば20数年、同じことを繰り返していたのです。

本当に20数年はあっという間です。
過食にいくら費やしてきたか、無駄にしてきた時間も正直、り知れません。

自分の意思がちょっとだけ弱いから、いつか自然に治るとか、家に一人でいるから過食してしまう、外に働きに出て忙しくしてればおさまるとか
本気で考えてました。

でも全然治らなくて・・・。
ちょっと忙しくなったり、イライラしたりするとすぐ過食嘔吐でまぎらわしていました。

正直、過食嘔吐がとても重大な心の病気で、食べ物依存症だっていうことは相談してはじめて知りました。

不必要な菓子パンやお菓子を大量に買い込み、車の中で食べながら家に戻り、獣のようにむさぼり喰って、1時間くらいしてすべて吐いてしまう。
とてもおぞましい自分の姿。

何よりも恐ろしいのは子供にも連鎖してしまうかもしれないということです。
こんな苦しい病気はわたしだけで十分です。
愛されるために生まれてきた子供を、本当にこころから愛して、生まれてきて本当によかったと思える人生にしてあげたい。

自分のため、子供のために真の完治をめざして病気と闘っていきたいです。
そして、自分が一生を終えるとき、生まれてきてよかったと思える人生にしたいです。

お腹の子を疎むように

本当は大切な子供。

でも、過食嘔吐のせいでその大切な子供まで疎むようになってしまうことも。

子供ができたら過食症は治るなんて、思わないでください。


(以下相談者の方の体験談です)
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女性 主婦 27歳 O型 宮城県

子供を産めば過食嘔吐なんて自分の中から消えると思っていました。自分の意思次第って思ってたから。あんなに可愛い存在が毎日側にいたら、私の意思は強靭に強くなって、過食嘔吐なんて絶対しない!

そう思っていたけど、実際はそう簡単にはいきませんでした。

私は23歳のときに妊娠しました。過食嘔吐が酷い時期でした。妊娠に気付いたとき、今の自分の状況で?と不安もよぎったけど、産むことを選びました。

もうこれからは自分の体を大切にしよう。1人の体じゃないんだから!

最初は本気でそう思っていました。
だけどやっぱり過食は止まらなかった。お腹の子を思うとさすがに嘔吐はしなかったけど、ひたすら食べ物を胃に詰め込む毎日でした。

妊娠したら健康的な和食を一日三回。
そんなのは夢のまた夢で、一日中菓子パンやチョコレートに溺れ、いくら妊娠中は太るといっても、尋常じゃないスピードで太っていきました。

そして自己嫌悪。本当は1gだって太りたくはないのに、まるで自分は豚みたいと思うと、親になる喜びなんて消え失せて、太った悲しみしかなくなりました。

子供がお腹にいなきゃもっと吐いたり拒食したりできるのに!!と、最後は小さな命を疎むようになりました。

安定期にも入ったのに、もう堕す!と暴れながら泣いて、旦那を散々困らせた日もありました。

それでもなんとか出産したけど、臨月のときは23キロ増えていて、母子手帳は体重管理の赤いハンコだらけで、なんだかもう産まれたばかりの娘なんかどうでもよくて、頭の中は体重のことしかなかった...

早く痩せなきゃと焦る私は母乳育児なんてそっこう放棄で、ご飯を食べなくなった。母乳のために栄養を...なんて考えたくありませんでした。

代わりにハマったのがお酒でした。朝から晩まで酔っ払っていて、お酒で食べ物に対する欲求を押さえつけていました。
半年もすると、体重は妊娠前より減り、私は毎日我が子の顔より自分の浮き出た鎖骨や腰骨を見ながら、さすりながら、恍惚としていて、その顔は母の顔ではありませんでした。ただの病んだ女の顔でした。

そして産後一年で過食嘔吐は復活しました。過食嘔吐したいのについてまわる娘がもはや邪魔で仕方ありませんでした。過食嘔吐したいのになかなか眠ってくれないと、イライラして幼い我が子に暴言も吐きました。

「ママ!ママ!」と寄ってくる娘に、何度「うるさい!!」と怒鳴ったことか...そして自分の食べているチョコレートを与え黙らせ、まだ小さいからなんて甘い考えで目の前で嘔吐もしていました。

二歳になった娘は時々、手を口元にやって、おえっと嘔吐の真似をしたりします。
それを見たときゾッとしました。
そして娘の口癖は‘うるさい!’です。全て私のせいです。

だけど、こんな最低な私でも、娘がお腹に宿ったとき、守りたい!と思った心は残っていて、なんとか治そう治そうともがいています。そして、1人ではもう病気に勝てないと思った私は、旦那にすべてを打ち明けました。

旦那は一緒に治そうって言ってくれました。少しづつ少しづつの道のりだけど、今前よりちょっとマシになって、娘と公園にいったり、絵本を読んであげる時間が増えてきました。

私は必ず病気を治して、世代間連鎖の鎖を切ってやる!って思ってます。娘が幸せになるには、まず私が心から笑えるようにならなくちゃと思います。

私は本当は娘が大好きで、宝物で、何より大切な存在。
ゴメンね、ママは頑張るよ。自分もまわりも不幸にするこの病気に負けないよ。

今心からそう思ってます。沢山傷つけたぶん、挽回してみせます!