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【ダイエット・摂食障害・拒食症・過食嘔吐の体験談ブログ】 摂食障害(拒食症、過食症、過食嘔吐、下剤乱用、チューイング・噛み吐き)は、本人が思っている以上に心と体を蝕む怖い病気です。 まずは過食症の本当の恐ろしさ、大変さを理解すること。 それが治すための第一歩です。 無料相談が出来るサイトも紹介しています。
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30194 本当に怖い過食症(症状の経年増加) 2006/05/31 22:20 女性 会社員 32歳 B型 茨城県
この病気が発症したのは26歳だと思っていたけど、実際はもっと前からその芽はあった。
18歳の時、2ヶ月の短期留学中に5㌔太った。最初の1ヶ月は維持していたから、ホントは1ヶ月で5㌔。今思えば〝寂しさ〟を食べることで誤魔化していたってわかる。
そして依存という視点からすると、喫煙し始めたのは明らかに寂しさから。彼と離れている時淋しかったから、せめて同じ匂いを纏っていたかった。
本格的に過食症になったのは、生まれて初めて一人暮らしを始めてから。それまでは同棲していて、彼がお母さんのような存在だったから、3歳の私は解放されていた。それが急に頼る人が居なくなって、見捨てられた気がして、インナーチャイルドが行き場を失った。初めての本当に一人。大人の女性として、きちんと生活しなくちゃ!という考え。
でも過食症になる前に、身体が悲鳴をあげ始めた。明らかにストレスから来る肌荒れ。自分でもかわいそうに思うくらい。しかも気持ち悪い。人の目が気になる。出かけるたび『気持ち悪いって思われてる』という意識。
そして不眠。眠りたいのに、1時間くらい横になると目が覚めてしまう。寝かせて。明日も仕事なの。そう思えば思うほど、眠れない日々。毎日4時間も眠れていただろうか?それでも毎日出勤。行きたくないとか、休もうなんて考えも浮かばないほど、行くことが当たり前になって、感情を持たないロボットのようだった。それだけ感じないように生活してきたのに、気を許すと電車でも会社でも涙が止まらなかなった。そして、生理が止まった。
過食も最初は1週間に2、3日食べ過ぎていた程度だったけど、段々体重は増えてきて。その時、モデルがやっていると聞いていた方法、吐けばいいんだと思いついた。最初は食べた後、無理矢理指を突っ込んで。苦しさと自己嫌悪と罪悪感の入り混じった涙を流しながら。それでも食べ始めると止まらない。1週間に2、3回からすぐに5回くらいになって、半年も経たないうちに毎日。量も食べ過ぎた程度から、明らかに過食するための食材を買い込むようになった。8時前から食べ初めて、11時過ぎまで食べ続ける。そして嘔吐。その後お風呂に入ると、いつも1時、2時。
毎回症状の後は消えてしまいたかった。誰も私を必要としていない。こんな自分は居なくなったほうがいい。知っている人の記憶から消えてしまいたい。死にたい。でも死ぬ勇気もない。自殺は最大の親不孝だと考えていてから、それも出来ない。自分は鬼畜だと思いながらも、食べて吐くことは辞めれなかった。
そして突然の祖母の死。悲しくて泣きながら電車に乗って実家に行ったのに、お葬式の時も過食嘔吐は止まらなかった。「最低。こんな私だから、おばあちゃんも死んじゃったんだ。私の所為だ。」もう、限界。実家に帰れば両親が居る。誰かが居れば止まるかも。縋るような思いで実家に戻った。でも症状は止まるどころか酷くなった。
とりあえず始めたバイト。週1の休みで毎日昼くらいから夜まで。その頃が、回数的には一番多かった。朝、ごはん1/3杯とお味噌汁でも嘔吐。昼、厚切りのトースト1枚も嘔吐してしまう時も。帰宅は11時くらいで、そこから1時まで過食。お腹がはちきれそうになるまで。私の死因は胃炸裂じゃないかって毎日考えてた。そして、締めの嘔吐。少しだけ、最初に食べたものだけを残すような感覚でおしまい。
休みの前は2ラウンド目がある時も。休みの日は、食べ始めたら止まらない。家に居ると食べてしまうから出かけても、帰りには過食材を買い込んでくる。全て吐き切ってしまったときは、めまい、身体の痙攣。今考えると、恐ろしい。なんで動けていたんだろうって思う。でも、あと1㌔落としたくて。なぜだか43㌔にこだわり続けていた。
仕事が変わって、規則正しい生活になっても症状は減らなかった。回数は平日2~3回に落ち着いていたけど、明らかに量が増えていた。病気という認識は無かったけど、こんな癖を治したい一心でネットで検索。
発症から4年目、このセンターに出会った。そして先生と初めての電話で言われたこと。「入院しなければいけない状態です。放っておけば4年後には1日8回になるでしょう。」ぞっとした。1日8回?それでも私は生きているの?普通の生活は出来ない。じゃ、38歳、独身、親もあてに出来ない私は、どうなってるの?死ぬ勇気の無い私は、それでも生きているだろう。生き地獄とは私の未来のことだ。
私は恐らく、一気にマグマに相応しい分の症状が出たんだと思います。毎日になるまで半年もかからなかったから。それからは症状も量も減ることなんて無かった。海外旅行で気分は解放されているはずの時も症状は出てました。だから環境を変えただけでは、症状が一時的に止まることはあっても無くなることは無いって断言できます。
初期停止は、病気の種を封じ込めているだけ。その種は、地下で根を伸ばし続けていて、後々成長した芽のごとく、症状は悪化して表面に出てくるということを肝に銘じてください。そんなに甘くは無いです。この病気。
30185 「恐い過食症」 2006/05/31 19:26 女性 自由業 34歳 A型 東京都
過食症が始まってから、もう16年経ちます。過食症は治さないとこれだけの時間を浪費することになります。私の人生のほぽ半分が過食だったということです。もともと食べ物に好き嫌いが多くて、小食でした。体もすごく痩せていました。でも母が、糖尿病の危険があるとかで、ダイエットを始めた時にそのダイエットに付き合うことになりました。高校1年生でした。ご飯を減らして、毎日のウォーキング。もともと46キロしかなかったのに、さらに3キロ痩せました。その時の「ご飯は太るもの」「運動は毎日」という固定観念が今もなかなか抜けません。その後に受験のストレスから、過食が始まりました。最初はクッキー一箱。(マクビティーのダイジェスティブビスケットにクリームの挟まったやつでした)その時のことはよく覚えています。食べた後に「あ、全部たべちゃった」って思ったのも覚えてます。それから、デッサンの研究所の帰りに母に見つからない様に、お菓子を食べてました。
それから、どんどん過食の量は増えました。お菓子一箱なんかでは済みません。仕事を始めてからは、ほぼ毎日、仕事帰りにお貸しやパンを買って、実家の時は家で過食できないので、外で過食してから帰宅するような始末。
ひとり暮らしを始めたら、自宅で仕事が終わってから、仕事場で残ったパンを沢山もらってきて、本当に何個も食べました。私は嘔吐がないので、体重もあっというまに
60キロ近くまで増えました。これは経年増加です。過食の量は減る事はなく確実に量が増え続けます。外食で過食することも増えました。お昼ご飯に2軒3軒と廻ることもありました。お金もとてもかかっていたと思います。それから、過食が、例えば仕事場の移動、引っ越しなんかがあると軽い初期停止みたいな感じで何ヶ月も止まることも何回かありました。でも必ず、再発。
一番長く止まったのは、妊娠中の時でした。一度も出ませんでした。でも産まれてからはまたすぐ始まって、その時も体重は60キロ近くになったと思います。
過食は本当にきちんと治さないと、こうして再発を繰り返します。そして、病気ときちんと認識しないと人生の半分もの時間をこうして、無駄に浪費して心をすり減らしていくことになって、そして食べ物のことしか考えられなくなって、楽しい幸せな生活からどんどん遠くなって行きます。
過食の次の日は、必ず顔とか体がむくんだりします。偏った種類の食べ物を沢山摂取する事は本当に体によくないって頭でわかっていても、コントロールできないのが、この病気です。
過食で太った時に、周りから「たくましくなったね。」上司からは「デブ」と言われたこともあります。だから、周りから褒められる様に仕事を本当に頑張りました。自分自身の体がそうして評価されないのであれば、仕事で評価してもらうしかなかったからです。5年間、月に3回や4回の休みでほとんど働き続けました。立ち仕事と若いのに年上の人を使う仕事だったので、精神的にはもうぎりぎりでした。そして仕事を辞めると決めて、結婚した後、重度の鬱になったのです。頑張る事で自分をなんとか保てるこの病気の私には、鬱になるのは地獄です。やりたいと思っても体が動かない、朝起きられず掃除も洗濯もできない、ご飯も作れない、当然働きたくたって働けない。そんな体なのに、アルバイトの面接に行ったことだってありました。それで、どんどん鬱はひどくなって行きました。寝た生活は2年続きました。その間、電車も乗れない自分に、「死にたい」と思って溜めていた抗鬱剤を沢山飲んだりしたこともありました。鬱の間ももちろん過食です。こうなるともう二重苦です。過食症になると鬱を併発することが、本当に多いようです。精神科の先生もそうおっしゃっています。
<編集後記>
鬱と過食を併発した時本当に生きることの意味なんてあるのだろうかと、思いました。だから、病気を完治させて、本当に生きるということを私は味わってみたいと思う。自分の為に生きるっていうこと。自分の人生は一回しかありません。そしてみんな致死率100%です。その中に、「過食の完治の為の最大限の努力」の時間がほんの少しあっても私はいいなって思いました。だから、今、 大好きなみんなといます。そしてここに来るみんなと一緒に病気を完治させたいと強く思います。そして、過食症はれっきとした心の病であること、死に至る(それは体の病気での死ということだけでなく、精神的な死、心が死ぬという意味も含めて)病気であることを、はじめましてのお友達たちにも認識して欲しいと思います。
17305 初めまして 2005/11/23 07:52
女性 主婦 31歳 B型 埼玉県
はじめまして。
埼玉県。31歳。主婦パート。過食嘔吐。14年目。
家族(夫、子供1歳)。
家族への告知 母親
治療体験
なし
妊娠中、出産と過食嘔吐
妊娠中も破水して入院するまで過食嘔吐をやめる事が出来ませんでした。今考えるとよく流産しなかったと思います。8ヶ月の頃には赤ちゃんが下に下りてきて早産の可能性があるから安静にと言われても続いていました。結局予定日より1週間早くなる程度で済みましたが、取り返しの付かないことにならなかったのは本当に奇跡的と言ってもいいほど、過食しました。子供が可愛いのでまた欲しいのですが、完治するまでは産めないと思っています。
過食症になって
20前後の頃は、髪の毛も抜けたりして引きこもりになってしまいました。24歳で夜間大学に入り卒業することが出来ましたが、髪の毛が薄いんじゃないかと異常にいつも心配していました。実際は普通なのに誰がなんと言おうと薄いと思って気にしてばかりいました。
いつも罪悪感があり、今日まで、今日が最後って思って過食嘔吐を繰り返して、自己嫌悪の日々でした。
二つの未来
◆過食の未来
41歳になりました。髪は抜け落ち、肌の色も悪く、どう見ても60歳を超えているように見えます。嘔吐することはやめてしまい、過食の毎日で、小錦のような老人の風貌です。子供も小学校5年生と思春期を迎えましたが、そんな醜い母親を嫌悪しています。一番恐れていた過食嘔吐が子供にもうつってしまいました。もうどうしていいか分からずさらにストレスを感じ、過食の毎日です。主人はこんな私に愛想を尽かし、出て行きました。離婚を要求しています。私の収入だけでか細く貧乏な毎日で子供がとても不憫です。
◆完治の未来
◆感想
41歳の私です。子供が2人います。可愛いやんちゃ盛りで大変ながらも楽しい毎日です(とは言っても毎日イライラしていますが・・・。)。今日もおいしいご飯を作って家族と仲良く食べていす。毎日ヨガとウォーキングで体重もずっと42Kgを維持しています。子供が2人もいるようには見えないと言われ、ホクホクです。お肌もつるつるです。もともと幼い顔をしているのと、健康的は生活のおかげで年齢より10歳は若く見られます。上の子は思春期を迎えているので体型を気にしています。なので栄養バランスの取れたダイエット食を考えて一緒に美容と健康を維持しています。
摂食障害の経験から栄養に興味を持ち、遅ればせながら、もう一度大学に入りなおし、食物の勉強をしました。今は中学校で保健の先生をしています。子供達に正しい食育を伝えていこうとはりきっています。家事と仕事で自分の時間がなくてイライラすることもありますが、楽しいことも沢山あるので頑張っています。