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摂食障害(過食症・過食嘔吐)無料相談 本当は怖い過食症ブログ

本当は怖い過食症

【ダイエット・摂食障害・拒食症・過食嘔吐の体験談ブログ】 摂食障害(拒食症、過食症、過食嘔吐、下剤乱用、チューイング・噛み吐き)は、本人が思っている以上に心と体を蝕む怖い病気です。 まずは過食症の本当の恐ろしさ、大変さを理解すること。 それが治すための第一歩です。 無料相談が出来るサイトも紹介しています。

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手がちぎれる位買い込んで過食

女性 会社員 32歳 O型 福岡県

過食嘔吐するようになったのは、8年前。
もともと太っていたし、痩せたい願望はいつもあった。太ってる自分はいつも惨めだった。
好きな人が出来たのと、仲のいい子が見る見るうちに痩せたのを見て、痩せなきゃ痩せなきゃって増々思うようになって。その一心で、食べるのが怖くなった。少ししか食べてないのに、嫌悪感が募って、軽い気持ちでやってみた。始めはそんなに辛くもなかった。

でもそれから、嫌な事があったり仕事が終わると、買い出しに行っては両手がちぎれるくらいの量を買って食べ吐くようになった。ストレスの具合では一日何回も過食症状が出た。
友人とご飯を食べても、食べ過ぎたと感じたら、今日は吐かなきゃって思いで一杯になって、沢山食べては、隠れて吐いた。コンビニ、バー、居酒屋どこでも。指を突っ込んでも吐けないときは、歯ブラシやトイレ掃除のブラシの柄、何でも突っ込んで吐いた。

いつも買いにいくコンビニやスーパーの人の目や、食事や飲み会の途中でいつも姿を消す私を見る友人の目が怖かった。
バレたくない、でも誰かに気づいて欲しい。
いつも孤独だった。

休日は朝早くから買い出し、過食嘔吐してまた買い出し。。。
夜になって日が暮れて暗くなった部屋で、何やってるんだろうと思うと、やりきれなくて泣いた。

翌日は手や顔がむくみ、嘔吐するときに顔に強い力が入るためか、目の縁に皮下出血が出来る。
吐くときに突っ込んだものせいで、いつも喉が痛くて、口内炎が出来る。
こんな生活じゃ人にも優しく出来なかった。
なんで私を大事にしてくれないのって、いつも周りを心の中で攻め続けた。

働いてるけど、いつも生活はぎりぎりで、過食費やサプリメント、胃薬、睡眠導入剤、高い歯磨き粉、歯科治療、自己啓発本。。。ローンを組んでまでも工面した。
お金がないときは、職場のお菓子や食べ物を見つからないようにバッグにつめて、持って帰っていた。いつもびくびくしていた。

自分は変態なのだと、精神が病んでこのまま普通には生きていく事が出来ないのだと、何度も死のうと思った。でも出来ない。惨めな姿で死にたくない。。。

いつも不安定で、いつも悲しくて。

幸せになりたい、普通になりたい、そんな風に強く思った時、ここに辿り着いた。
みんなの言葉、優しさに救われた。同じように悩み、病気と向き合う人たちに出会った。
症状はまだあるけれど、こんな病気に負けたくない。
たった一度の人生を無駄にしたくない。

私も頑張ります。
私たちに一日も早く幸せが訪れますように。

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寂しい、誰か助けて!

過食症になって(学生時代)
女性 自営業 31歳  神奈川県  
  
思い起こせば中学~高校の頃、朝昼のご飯を抜いて夕方学校から帰ると寝るまで食べ続けていた。
「ちょっと太ってるよね~」と言う友達に当てつけるように学校では全く何も食べなかった。
そして19歳の秋、片思いの人に好かれたくて痩せて綺麗になりたくて
ダイエットを始めて、食事を殆ど摂らずに1ヶ月で15kg体重を落とした。
でも結局失恋。
そして、「食べられない・食べたくない。」そんな症状だけが残り、
「もっと痩せなくちゃ、こんな体だから嫌われるんだ!」と自分を責め
続けていたら、少し食べただけで吐くようになってしまった。これが過食嘔吐の始まり。

そこからは自責の念と罪悪感、憂鬱、自己否定の気持ちがどんどん増していって、
頻繁に過喚起症候群の症状で倒れるようになり、学校へも通えなくなった。
学校へはいけないのに自宅で家族の分の食材まで半日で食べて嘔吐を繰り返していた。
もちろん、母には「何考えてるの!?」と責められ、変人扱いされ、
家族がいるときは何も食べられなくなってしまった。
そして、夜中にまた食べ物をあさる毎日・・・悲惨でした。

正直その頃の2~3年(19~21歳くらい)の記憶があまりない。
普通なら大学へ行ってサークルに入ったり、友達と旅行をしたり、
コンパをしたり、そんな華やかな思い出が幾つもあるはずなのに。
結局留年して、友達とも疎遠になってしまった。

寂しい、誰か助けて!
でも、本当の自分の気持ちなんて誰もわかってくれない、他人なんて煩わしい、キライ。
どんどん自分の中に篭っていって。
そんな自分には食べて吐くしかなかったんだと思う。 

どんどん深みにはまる

女性 自由業 30歳 兵庫県

私のきっかけは、高校時代の部活(柔道部)の減量からだと思います。
大会前は、減量減量で身体を絞り、毎回5キロくらい体重を落としていました。
もちろん栄養バランスを考え、食事制限、運動などをするのですが、
いつからか、「もっと落としたい、もっと落として下の階級に出場したら優勝できる」
などと考えるようになり、過度の減量をし、拒食のような状態になってしまいました。
食べたくても胃が受け付けない、身体はエネルギーが欲しいって叫んでいるのに、
わたしは断固としてカロリー摂取を拒み続けました。

当時、大好きな男の子がいました。同じ柔道部で、光ってた。
とても強くて優しくて、細身だった彼が本当に好きでした。
はじめての人でした。

今考えると、いつも優勝候補の彼に認められたくて、
減量し続けたのだろうと思います。

そして、折りしもの阪神大震災。
家族中で家具の下敷きになり、自宅は半壊。
ご近所の人たちが多数生き埋めになり、なくなっていく姿を見ました。
助けを求めているのに助けられなかった…
苦しんでいるのに、救ってあげられなかった…
無力な自分を責め、何も出来ない自分自身を拒絶しました。
そしてとうとう入院。体重を戻し、拒食症を克服し(?)退院。
(できていなかったのだけれど)

入院中、摂食障害の人たちの中で過食嘔吐を覚え、
深みにはまりました。拒食の後は、過食と過食嘔吐の日々。

何とか立ち直りたくて、大学はアメリカに留学しました。
アメリカで、真っ白な土地で、何もかもやり直したかった。

でも、何も変わらなかった。
アメリカは大好きだったし、大学もほんと楽しかった(と思う)
でも食生活はメチャメチャ。
もともとよく食べる私は、膨大な食べ物、
アメリカンサイズの食べ物に、どっぷりはまってしまい、
過食嘔吐から抜けられなくなりました。

帰国後、出版社へ就職し、病院めぐりもしました。
今度こそ再スタートしたい、過食嘔吐を克服したい。
わらにもすがる思いでした。

ですが、配属先が「グルメ情報紙の編集部」
グルメライターとして、日々食べ歩く環境は、
私にとって、過食嘔吐を悪化させるサイアクの環境でした。
(あくまで私の場合ですが)

過食嘔吐は習慣になり、これをしないと1日が終わらない日々になりました。
仕事中で食べ続け、帰ってからも食べ続け、吐き続ける日々。
残業、残業、休みなしの状況で、身も心もボロボロになり、
身体は悲鳴を上げているのに、深夜の過食は止められない。

どんどん深みにはまり、そして、どうあがいても
この習慣を断ち切ることが出来ず、抜けられなくなりました。

様々な過食の治療を受け、自分でも何度も努力しました。
様々な問題点、原因(幼少の頃、家族のこと、自分の考え方など)も
考え、カウンセリング、ミーティング、何でもしました。

でも、ダメだった。
何やっても私には克服すること、出来なかった。
私は、どういわれても、やっぱり自分の意思が弱いからだと思ってしまう。
意思の問題だと、思ってしまう。

胸が締め付けられ動けなくなる

女性 無職 34歳 B型 東京都  

私が過食嘔吐を発症したのは、28歳の時でした。
離婚して2年半くらいたったころ。。。

私は3人兄弟の真ん中です。
幼いころから、兄、妹と比べられてきました。
両親とも銀行員で、とっても世間体を気にしていました。
お勉強のできる兄、お勉強も運動もできる妹はそれだけでママの自慢だったけど、
お勉強も運動もふつうの私は、ママが自慢するところがないので
「女の子は愛嬌があればいいのよ」と言われ育ってきました。
周りからはいい子ね、と言われ、ママもそう言われるのが満足でした。

でも、家では、お金遣いが荒いから、
とお小遣いを私だけもらえなかったし、もともと偏食だったけど、
ママに怒られちゃうからと、自分の部屋で夜中にお菓子をこっそり食べていました。
見つかっていつもママに怒られていたけどね。

高校生になると便秘が気になりだして、下剤を飲むようになりました。
だいたいどの下剤も4倍の量を一週間に2度くらい。
とにかくおなかがポッコリするのが許せなかった。

それから時がたって・・・

はじめはチューイングからでした。
ただお菓子が食べたくって、でも太りたくないし、って。
それがいつの間にかエスカレートしていき、気づけば口にするもの
全部吐いてました。

もともと痩せている方だったけど、半年でみるみる5kg減って、
なんだか嬉しかった。
洋服のサイズが5号になって満足でした。

そのころは何も考えていなかった。
そのうちやめよう、やめられるだろう、って。

もっとひどくなっていきました。
一日中過食のことで頭がいっぱいになり、
いつもスーパーの袋2つ分いっぱいに下げて、
吐くための食事をしていました。
朝食以外はすべて吐いてしまっていました。

過食する前、どんな食事してたかな?何を食べていたかな?
どうしていたのか記憶が薄れてきました。

ときどき胸がしめつけられるようになり、そうなると耳の奥とか毛穴が
全部ふさがれた感じで、痛くて痛くて動けなくなりました。
歩いている途中で息が苦しくなり、やっと近くのカフェにたどり着き、
泣きながらケーキを食べたこともありました。

自分で何度も治そう、と思ったけれどムリだと知り、
心療内科へ通いました。
でも薬を出されるだけではその頃の私には何の変化もなかった。

環境が変化すれば変わるかな、と2回お引っ越しをしたけれど、
それでも治らなかった。

スタイルを褒められるととっても嬉しい。
お洒落することも大好き!

でも、よく考えたら外見ばかり。
中身のともなっていない自分を誰かに見透かされそうで、
いつもビクビクしている。

今より2kg痩せようが、5kg太ろうが、
みんなの私に対する評価は変わらない、ってわかっているのに、
彼もどんな私でも好きでいてくれるってわかっているのに、
外見にこだわってしまう。。。

でも私は明るい未来のために、この病気をちゃんと治したい。
ごはんが美味しい♪ってことだけを思いたい。

病気を隠し元気なふりする日々(31歳北海道)

44432  過食症になって    2007/05/19 18:45
  女性 会社員 31歳 A型 北海道 

 摂食障害になってから10年近く。
心の底から楽しい!と感じた事がない。全ての人へ嫉妬してしまう、
病気じゃない人が羨ましい。

試食コーナーで食べまくり、食べ物を大量に買い、バイキングで吐きながら食べ続ける。
世間の驚きや異常な視線を痛いほど感じる。
しかし止められない。このままじゃ、いつか知れ渡り、この土地に住んでいられなくなるだろう。

家族も誰も理解出来る訳が無く、病気を隠しながら元気な振りをする日々に、限界!と
心身から悲鳴が聞こえる。
入院、通院、絶対治ると言った医者も、絶対治す事は出来なかった・・・。

今は夫や家族、友達も沢山居る。
だけど、この病気が治らなければ全て失うに違いない。
行く果ては孤独と苦しみ。

その不安を抱えた状態で、食べ物を口に押し込めている時が唯一、
何も考えなくていい時間。ただただ幸せ。

だけど直後に後悔の嵐がやって来る。
だから、なるべく食べ続ける・・・嫌な事を忘れていられるから・・・
疲れ果てて記憶がなくなるまで。

意識がもうろうとする中、仕事へ向かう。が、当然ミスを繰り返し、周りに迷惑をかる。
冷ややかな目が気になりつつも、過食費を稼ぐため働かなければならない。ぶっ倒れるまで・・・。

この病気の影響か?盗み、妬み、ヒステリー、過剰な愛情を欲しがる、
いい子ぶる、等、嫌な自分を沢山見てきた。