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摂食障害(過食症・過食嘔吐)無料相談 本当は怖い過食症ブログ

本当は怖い過食症

【ダイエット・摂食障害・拒食症・過食嘔吐の体験談ブログ】 摂食障害(拒食症、過食症、過食嘔吐、下剤乱用、チューイング・噛み吐き)は、本人が思っている以上に心と体を蝕む怖い病気です。 まずは過食症の本当の恐ろしさ、大変さを理解すること。 それが治すための第一歩です。 無料相談が出来るサイトも紹介しています。

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7歳からの過食症

女性 主婦 28歳 A型

現在、166cm 95kgの過食20年目の私の体験です。

私が過食症に目覚めたのは確か7歳か8歳の時。
小学校に上がってからだった。

父親は出ていき母親は毎日夜遅くまで自営の飲食店で働き、顔を合わせるのは週に一度だけ。
私と弟の面倒は祖父母の役目となった。
まだまだ、たくさん色んな状況下で、複雑すぎて説明できないほどの家庭環境から、小学校に上がって【給食】を食べた時から私の過食人生が幕を開けた。
紛れもない過食の第1歩である。

給食を食べるようになってからというもの、その時の私は家族とうまくやれず、暴力的な毎日の中で唯一、「食べること」でしか楽しみというか、生きてるという実感を得ることが出来ていなかった。
元々はストレスのせいで少食で細身だったけど、給食での数々のバリエーションに富んだ献立があまりにも魅力的で、家族から受けるストレスの、はけ口として美味しい御飯が食べられるからという理由が9割で学校に行っていたように思う。お代わりが制限なく出来る給食の為に…。

家ではいつも似たようなおかず。
スーパーのお惣菜か年寄りが好きな煮物や佃煮ばかり。
正直、子供の私には全く食べたいとは思えなかった。
でも、すでに始まっている過食からは、なかなか食べる衝動を押さえられなかった。

そこで、覚えたのが包丁の使い方と火の扱い方。
「美味しいおかずが食べたい」
その心が当時8歳の私が覚えた過食に拍車をかける行動の第2歩である。

思いのほか、簡単に使いこなせた。
お陰で美味しく食べるおかずを作るようになり、比例して家で食べる米の量も増えた。

小学生で、いくら育ち盛りといっても、年間で最低10キロは余裕で増えていた。6年間で60キロ増えた。
小学生になる前は20キロだった体重が卒業する頃には80キロにまでなったのである。

それでも過食は止まらない。
家族からは食い意地の張った子だと毎日言われる。
言われれば言われるほど、そんなのお構い無しで食べる。
食べないとストレスが貯まるから、食べなきゃやってられなかった。

中学に上がってからも過食は続く。
2年に上がるとさらに増え、90キロを軽く超えていた。
同時に不整脈を引き起こす体になったが無視。
3年に上がる頃には、遂に大台に乗った。つまり、100キロを超えたのだ。
その時の体のサイズは男性用の服しか入らなかった。確か3Lだったと思う。
身体中に肉割れが出来た。お腹、背中、腰回り、胸、二の腕、太もも、膝裏、おしり。

体重は既に105キロ。
やっと私の中で警報が鳴った。
不整脈のオンパレードが押し寄せてきたのです。
胃袋も悲鳴をあげ、無差別に詰め込まれる食べ物を受け入れられなくなり吐いてしまう様になった。
それでも食べることが止められない。
その内、吐くまで苦しくなるほど食べるのが当たり前になっていた。

100キロを超える巨体。
不整脈になってから、少しでも身動きしようものなら心臓がはち切れそうになり痛くて動けないのだ。
その年から運動会や体育は受けられなくなった。
バンバンに膨れ上がった身体のお陰で制服がちぎれた。スカートのホックも弾けた。

クラスの笑い者になった。
そんな私の近くにいるのが恥ずかしくなったのか、友達も居なくなった。

巨体を支えるために身長が伸びた、そして下顎も伸びた。いわゆる受け口というやつである。
医学的に身長と顎は比例してるんだとか。
顎の出方が矯正だけでは手に終えないので手術が必要な域まで来ていると診断され、手術の為に歯を6本抜く羽目になる。

太ったことを悔やんだ。初めて痩せなきゃと実感した。
それからというもの、ダイエットに夢中になり、毎日キャベツの千切りしか食べないストイックすぎる日々が続く。
同時に家庭環境も変化を迎え、私にとって良いものではなかった為、それも後押しになり今度は拒食になった。

体重はものの2ヶ月で30キロ減。さらに3ヶ月で10キロ減。
ダイエットに取り組み始めてから半年で105キロから65キロにまで落ちた。実に40キロの減量を達成した。
が、しかし、お肌はぼろぼろ、爪は栄養不足からか凸凹に波打って生えてくるようになり生理は止まり、ちょっとしたことでイラついて短気になり、性格がギスギスしていたように思う。
それでも痩せる事の快感と太ることへの恐怖が拒食に追い込んだ。

拒食になって高校に上がってからも、そのギスギスさが裏目に出て益々家族と溝が深まり、耐えられなくなった私は家出した。
家族は見て見ぬふりで止めなかった。高校も辞めた。
本当は行きたかったけど、家族と生活しなきないけない苦しさから逃げたいが為に辞めてしまい、ニートになる。

でもお金がないから食べ物に困った。だから体を売った。
売って稼いだお金で食料を買い、家庭環境が特殊な為、独り暮らしだった友人の家に転がり込んで生活する日々。
手に入れたお金で自由に使える余裕が出てくると、食費が少しずつ増えていき、外食が増えた。
好きなものが食べられる環境から、体重も少しずつリバウンドを始めたと思ったら、あっという間に80キロまで戻っていた。

そんな矢先、母親が離婚した父親に、私の存在が手におえないと言う理由で連絡していたらしく、出ていった父親に引き取られる事に。

17歳の転機だった。
抵抗は無い。むしろ今の家族とサヨナラできるチャンスだと内心喜んだ。
家族と離れることが出来れば何処でも良かったのだ。

長崎から青森への大移動。楽しかった。
父親に引き取られてから父方の祖母にも10年以上ぶりに会えた。ビックリするほど私を歓迎してくれた。
父親の体調の問題で祖母の家にお世話になった。

長崎での生活環境や私が受けた扱いを説明すると、祖母は泣いていた。
泣きながら、『人様の孫に何てことをしてくれたんだ。』と、何度も納得いかないと憤慨して、『よく一人で耐えてきたねぇ、えらかったねぇ。もう大丈夫だから安心して生活しなさい』と、優しく受け入れてくれた。
そして親戚中が私に会いに来てくれる始末。
こんな温かい対応されたことなかったから夜中に一人で何度も泣いたのを覚えている。
すると青森での生活になって半年が過ぎた頃、なぜか過食が治まっていることに気付いた。

何だかんだで、85キロほどあった体重も、気づけば60キロ近くにまで落ちていた。何故かは分からない。
確かに長崎に居たときのように夜中に冷蔵庫を漁ったり、どか食いをしなくなっていた。
普通のご飯の量で満足できていたからかもしれない。

過食が治まって3年、20歳を迎え、身も心も丸くなって心の余裕もあったせいか青森の祖母の反対を押しきって長崎に1ヶ月ほど戻ってみた。

理由は色々あったが結果的に3年ほど長崎で生活しなくてはならない事に。
あれだけ苦しめられた幼い頃からの長崎での生活。過食が復活したのは言うまでもない。

ものの見事にたった1年で80キロを超えた。自分でも驚いて言葉が出なかった。
青森に居た約4年、ずっと安定していて過食は治ったと思っていのに…。

それからと言うもの、23歳でやっと顎の手術を終わらせ、24歳ですぐに長崎から離れ、ついでに色んな県を転々として生活し、過食をしては増加した体重を戻すため拒食に走る。
拒食になっても体重が落ちなくなれば、遂に普通食嘔吐に。最悪のループに陥っていた。
だが、私の場合、上手く吐くことが出来ず、嘔吐癖はつかなかったが、過食が度を超すと体が吐こうとするので、その時だけは吐いていた。

そうして月日は流れ、過食と拒食を繰り返し、たまに嘔吐。普通の人が食べる食事の量が分からなくなっていた。
こんな食生活を5年ほど続け、心のバランスも崩した。
パニック障害に全般性不安障害、不眠症。すべて摂食障害が招いた。
ストレスを感じると過食か拒食になるこの体。
それに付け加えてパニック発作に不眠。それを隠して世間に対応するため楽しくなくても笑う。明るく振る舞う。
メンタルの次は体も壊し、生活保護を受ける始末。

一体、私の人生どうなるの?
怖くてしかたなかった。毎日毎日泣いた。
それでも生きなければならない。誰も頼れない。理解されない、分かるわけ無い。そんな表には出せない部分を抱えながら薬を大量に飲み、何とか自分を保ち生きる。この時、拒食により体重は54キロでした。

そんな私も今の夫と出会い、また摂食障害は止まった。
が、この事実を隠しながらの交際の末の結婚だった。未だに摂食障害やパニックへの理解は得られずにいる。

今現在は、過食と戦っています。それもかなり手強い過食。
きっかけは結婚する1年前に夫の住む大阪へ異動した後だった。
夫意外誰とも接点の無い生活。
家に居ても、暇だからとコンビニでバイトを始めるが、そこのコンビニは廃棄になった商品を好きなだけ持って帰れる所だった為、最初は好きなものをチョコチョコ持って帰っては食べる生活が、いつしかあれもこれも好きなだけ持って帰っては寂しさを埋めるように食べた。

案の定、太った。でも太り方が尋常ではないのだ。
2ヶ月で20キロの増加。驚異的である。

まだまだ進行中だったが、思わぬ妊娠発覚で、担当医師から食事制限を余儀なくされた。
が、過食は止まらない。つわりでしんどくても食べてしまい、具合悪くて吐くを繰り返すうちに切迫流産になる。
なかなか出血が止まらず絶対安静が2ヶ月続いた。それでも何とか持ちこたえ安定期に入れた。
きっとあの時の過食嘔吐のせいだと思っている。

5キロで押さえなきゃいけない体重増加も、結局10キロ増え、102キロになったところで破水で予定より3週間早かったが異常もなく元気な女の子が産まれてくれた。

産まれてからの私はみるみる痩せた。寝不足や疲労で食べれなかったのもあると思う。
わすが2ヶ月で80キロになり、娘も3ヶ月を過ぎた辺りから少しずつリズムが出来て私自身の時間が少しだけ余裕が出てきたので、その後、早々にバイトに復帰。
また廃棄を持って帰っては食べる生活が始まり、2ヶ月で15キロ増えた。

現在28歳、過食になって20年目。
半年になる娘と毎日を過ごしているが、日に日に重くなる娘と自分の体重で膝や腰が辛い。
何より、過食は治ったと思っても全く治っていない事実。むしろ悪化している。
夫に病気を理解されない所か、非難され更に加速する過食。
異常な体重増加に恐怖が込み上げてくる。
私の持っている服は入らなくなった。夫の服でさえ入らなくなってきている。
もう自力ではどうにもできないと諦め、打開策が無いかと調べていくうちに、早くどうにかしないと、大変な病気になり、将来の健康面が危ないと思い、必死に探してここにたどり着きました。

贅沢は言いません、せめて普通の体型に戻して、規則正しい食事と生活が何よりの願いです。
肥満のせいでこれ以上病気になりたくないです。

娘の為にも必ず治して本来の生活を取り戻し健康なママでありたいと思っています。
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