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摂食障害(過食症・過食嘔吐)無料相談 本当は怖い過食症ブログ

本当は怖い過食症

【ダイエット・摂食障害・拒食症・過食嘔吐の体験談ブログ】 摂食障害(拒食症、過食症、過食嘔吐、下剤乱用、チューイング・噛み吐き)は、本人が思っている以上に心と体を蝕む怖い病気です。 まずは過食症の本当の恐ろしさ、大変さを理解すること。 それが治すための第一歩です。 無料相談が出来るサイトも紹介しています。

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26kgから60kgへ

女性 会社員 29歳 O型 東京都

初めて摂食障害になったのは13歳のとき、拒食症です。
中学校の身体測定で、159cm、40kgという結果を見て、40の数字にびっくりして、”痩せなきゃ”と思いました。
小学生の頃からバレエを習っていたこともあって、こんな重くちゃダメだ、こんなの許せない!と思ってダイエットを始めました。
どんどん食べなくなって、体重はみるみるうちに落ちて、気がつけば26kgまで落ちていました。
うちは両親が共働きで、兄も姉も実家を出ていたから、小さい頃から一人っ子のようで、寂しくて、もっと相手にしてほしい、かまって欲しいという気持ちもあったのかも。
それから学校でいじめられていたから、それも原因の1つかもしれません。

その頃は、本当にどこにも肉がなくて、立っていてもかかとが痛い、寝ていても尾てい骨や肩甲骨が痛い、座っていても坐骨が痛いという状況でした。
髪の毛も抜けて、常に耳鳴りがしていて、あざだらけ。
何か話したくても、泣き叫ぶくらいエネルギーを搾り出さないと声も出なくなっていました。

ある日、中学校の保健室で自分の手に感覚がなくて、先生に握ってもらった手の温かさも感じられなくなって、このまま死んでしまうかも、と思いました。
その時が、ちゃんと治療をしなきゃダメだ、と思った瞬間かもしれません。

初めて病院に行ったとき、’今こうして意識があって歩けることが奇跡’と言われました。
血圧は上が60で下は測定不能と言われました。

その後、10kg位体重を増やして通院を止め、17歳の時、再度30kgまで体重が落ちましたが、大学に入る頃にはまた39kgに増えました。

大学に入った時、今までものすごく自分を縛って生きてきたことに気づき、自由に普通に友達と食べ歩いたりするようになりました。
彼氏ができて、初めて生理が来て、とても楽しかった。

でも彼氏と別れたことで、大学を休みがちになって、過食を始めました。
10代の頃ずっと食べたいものを食べれなかったことの反動もあって、どんどん食べて、体重は60kgを超えていたと思います。
結局大学は中退しました。
それからは、バレエの発表会がある度に先生に止められるほど痩せたり、反動で太ったり、新しくバイトや仕事を始めても数ヶ月たつと、過食が始まり、それが原因で仕事をやめ、家に引きこもって過食(過食嘔吐、下剤乱用)をする、そしてまた違う仕事に就いて・・・・の繰り返しです。

今まで心療内科や精神科、心理カウンセリングや催眠療法などいろいろ試してきましたが、どれも完治には至りませんでした。
もう一生この病気と付き合っていかなきゃいけないのかも、この病気が完治することはないのかも、と諦めかけていました。
皆さんと一緒に、この負のスパイラルから抜け出して、楽しく食事ができるようになりたい、心から味わって食べられるようになりたい、完治するまで諦めません。

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二本のうどんで過食嘔吐が再発

女性 自由業 26歳 AB型 新潟県

始まりは中学生の頃。
周りの同級生より身長も低く体重も少なかった私はみんなと同じ一人前の給食を食べる事に疑問を感じ嘔吐するようになりました。
この頃、普通食嘔吐。
二年生になると、だんだん学校に行かなくなりました。
友達と好きな時に学校へ行き、毎日遊び歩いていました。
給食から離れることで嘔吐もしなくなり、高校生になると全く嘔吐はしなくなっていて、明確には覚えていませんが、過食嘔吐をするようになったのはハタチを過ぎてからでした。
あらゆる事に板挟み…。いっぱいいっぱいだったこと、不安だったこと、それだけ覚えています。
拒食の時期もあり、気づいた時は、もう生活の中でのあらゆる行動ですら息苦しく、常に朦朧としていてフラフラしていました。脱水症状で意識がなくなり病院にも運ばれました。
その後、彼の助けもあり少しずつ許せる食べ物を食べるようになりました。
はっきり覚えています。
どれぐらいぶりに食べたかもわからない炭水化物。
たった、二本のうどんで再び過食嘔吐をするようになりました。
過食嘔吐を始めた頃、辛くて辛くて母の家にしばらく帰ったことがありました。
打ち明けた当初は腫れ物に触るような接し方をされて、少し淋しさを感じました。
しばらくすると『吐くなら食べなきゃいいじゃん』と冷たく言い放たれ、今でもその言葉が忘れられず母とはどこか上辺だけの、たまにのお付き合いしかできなくなり、そのたまにも負担でしかなく、一緒に住む彼にも上手く話せず、後ろめたい気持ちでいっぱいです。
本当ならば過食に使うお金も、もっと他に使い道があるはずだし、過食したくて吐きたくて彼にイライラすることもなくなるはずです。こんなにギスギスした気持ちも、なくなるはずです。
摂食障害は健康な体だけではなく、心までも正常ではなくなり、人との繋がりも断とうとします。
事あるごとに必ず過食嘔吐が付き纏い、体力なんて本当になく、できるだけ疲れないようにしなきゃってそんなこと考えるのに疲れちゃって…。
何もかも奪い、めちゃくちゃにするこんな病気、一日も早く治したいです。



死ぬ一歩手前

女性 学生 25歳 O型 奈良県

私が摂食障害になったのはキッカケは生理不順の為、昨年の夏から飲み始めたピルのせいでした。
食欲増加と聞いていたにも関わらず、ひどい吐き気を伴い食欲は激減し、背骨も浮き出るほどに痩せてしまいました。
その後、私の強い訴えもあって軽いピルに変えてもらえました。
しかしそれでも吐き気、胸焼けは変わらず体重はさらに減り、それを恐ろしく感じる一方で、放っておくと恐ろしい病気になると言われ、それも怖かった私は頑張って3ヶ月薬を飲み続けました。
終わった頃には体重はひどく落ち、さらに重度の便秘性になりました。その頃には体重が減ることにもう麻痺していました。

内科に通い続け便秘を治し、食欲が戻ってからもピル時代の恐怖から油ものは避け、まだ食べれるかもしれないのに吐き気がでるのが怖いから食べないという行為で極度の少食でした。
この頃カロリー計算に縛られ始めました。私が拒食症じゃないかと心配した姉は「体重計に乗るな」と言い、当時通っていた心療内科の先生にも言われていたので乗るのをやめました。
楽になりました。「好きなもの食べればいいじゃない」と先生に言われ普通に食べれるようになったのに、意識は日々薄弱し、起きられず、ついに階段も昇れなくなりました。
色んな病院を回るも、どこも意見は異なり、その間も症状は悪化。暫くして総合病院にたどり着き即入院を言い渡されました。死ぬ手前だったそうです。

入院してからも回復のめどは立たずベッドに張り付けられ、「食べるな、動くな、喋るな、考えるな」と言われました。
水しか飲めず、生きるのに最小だけを与えられ一日中仰向けのまま。動くのは手だけ。足も腰も頭も動かず、寝返りもうてないので床擦れになりました。
脊髄液を採られ、胃カメラをし、輸血もし、色んな検査をしました。夜中身体が痛くて眠れずナースコールがないと看護師さんが居ないと何も出来ない。
ナースコールを私の手の届かない所に置かれた時の恐怖。二回それで大泣きしました。一度は同室の人が、二度目は奇跡的に手元に戻りました。
以後母が胸元に安全ピンでナースコールとイヤホンをつけてくれました。手元に携帯。介護福祉さんは柵にリモコンをつけてくれました。

初めて座れた時、立てた時歩けた時の感動。まずい油を一日50ccからでも飲めた時、あんなにまずいのに一回がどれだけ恋しかったか。
初めての三分粥、五分、七分、粥、ペースト 、五分菜食、刻み食、粥食、そしてパン、どれたけおいしかったか。
2月1日から入院し、めざましい回復で食べ物をやっと食べれたの4月の終わり。5月半ばには軟飯に。下旬、退院しました。約4カ月。
普通に「生きる」 ことが奇跡なのだと知りました。退院時体重は33キロ後半に。入院時の体重よりやや増えていました。
なのに退院してから日が経つごとに、また食べ物やカロリーに縛られる自分が居ます。
体重増加を素直に喜べない、だからといって減らそうとはしない、これ以上減るのは怖い、だから食べる、そんな感じ。
絶食期間が長かった為、まだ正常に働かない私の胃は拒食的になったり過食的になったりして、どちらも怖い。
そして家族が食べる以上のものを食べれない自分が居る。好きなものを好きな時にほどよく、何も気にせず 食べれたら・・・。
空気のように当たり前に食事が出来るようになりたいんです。普通になりたい。ただそれだけ。

摂食障害という病気

大変なことが当たり前になっていませんか?
自分の今の状態を再確認してみてください。

摂食障害とは、ただ単に、食べる、吐く、食べられないだけの病気ではありません。
仕事、恋愛、友達・・・家事育児・・・幸せな、当たり前の日常生活が送れなくなってしまう病気でもあります。

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女性 会社員 29歳 B型 大阪府

摂食障害になって、自分の経験してきた辛いことを書きます。

◆辛かったこと
・自分を責めながら食べるという状態そのものが辛い。泣きながら食べたこともある。
・甘いもの、本来は大好きなものを美味しく食べられないというのが辛い。
・自分の姿かたちを醜いと思い、道行く人が自分の醜さを笑っているように感じる時期もあった。
・最悪の場合、自分を具体的に傷つける(リストカット等)可能性があると思う。過食で直接その行動に至ったことはないが、過食がひどいときは自分の体を傷つけたくなる、またはそういうイメージが湧いて辛くなる。もしくは、とても怖くなる。
・誰もわかってくれない、という気持ちが強くなる。
・過食の衝動はとても抑えきれるようなものではなく、職場でも常にお菓子のある箱を覗きにいったり、最悪の場合こっそり抜け出してお菓子を買いにいったりしていた。そうやって生活リズムまで蝕む過食の抑えられない衝動というのは、「また明日も起こるんじゃないか」という明日への不安を抱かせるほどに辛く、怖いものである。
・過食の衝動以外にも、過食をすると仕事に集中出来なくなる。体調が悪くなり、体がモッタリし、肉がついていくのが分かり、不愉快で、だるく、ぼんやりとして仕事に手がつかないのが辛いところである。

◆嫌だったこと
・一番嫌なのは、今はもうしていないが、親の金を盗んで過食していたこと。後ろめたいし、額もハンパではない。
・食べ物に支配されて本来の自分を見失っている状態。
・彼氏と「週に一度」と決めている甘いものを楽しみに出来ないのが嫌。甘いものも嫌になってくる。美味しく食べられなくなってくるのが嫌。

◆悲しかったこと
・自責の念。自分を大切に出来ないということが何よりも悲しい。
・親の無理解。「意志が弱い」「我慢が足らない」と言われること。今では仲はいいが、過食について話すことは、自分自身が「わかってくれないだろう」と話す勇気が出ない。

◆治さなければどれだけ大変な人生を送ることになるか
・何よりも食べ物に支配されて本来の自分自身を失った状態が、しかも生涯続きうるということ。書いていてぞっとするほど大変で辛い人生だ。
常に食衝動があり、1日中食べ、自分を見失い、内にこもり、太るのを極度に気にし、明日の食衝動を恐れる。
自分の人生、自分自身を恐れ、責め、価値がないと思い、他者への態度にもそれが出てしまう。人間関係の質、生活の質、すべてが悪くなる。
・ずっとしていない親の金を盗む、チューイング、リストカットなどの自傷癖も十分出てくる可能性がある。
・年をとっていくにしたがって経年増加で食べる量が増えていき、また治りにくくなる。
・金銭的にも、自分の収入では賄えない量を過食していくことになる。


ゴミを漁って過食

女性 会社員 27歳 O型 静岡県

過食症になって6年目です。
月に1回していたストレス大食いを入れれば8年目になります。

初めは拒食から始まりました。
大学での初めての独り暮らし、慣れない環境からホームシックにかかり食欲もなくなっていき体重がすぐに10kgほど減少しました。その後食べる量を減らせば簡単に痩せることを知り、さらに大学では栄養学を学んでいたこともあり、故意に食べる量を減らし、エネルギーの少ない食べ物を好んで摂取し、体重は最も少ない時で39kgほどまで落ちました。生理も止まりました。

痩せていたせいか、いつも頭は冴えており、大学での勉学は真面目に取り組み、家に帰ったら勉強の毎日でした。当時は一人では何も何も出来ないと思い込み将来の自分への不安や大学卒業後の国家試験(管理栄養士)のことで心が沈み、薬の大量摂取による自殺行為もありました。

大学4年になったころから過食の傾向が現れ始めました。
いつの頃からか大学での試験を頑張ったご褒美に美味しいものを1回だけ食べるというルールを自分の中で決めていました。はじめは1回・適量で済んでいましたが徐々に癖になり、回数と量が増えて行きました。

大学を卒業して就職し、大学4年間で常に抱えていた国家試験への悩みやプレッシャーから開放されたのと同時に今まで全神経を集中し取り組んできた勉学が消え、ピンと貼っていた糸が切れたみたいに自分の中で食べる事へのセーブが効かなくなりました。

仕事の後、コンビニや洋菓子店でケーキや菓子、おにぎりなどを購入し家に帰るまでの車の中で食べていました。家に帰った後はそのまま夕食を食べ、家族には見つかりたくないという思いから皆が寝静まった後食パンを見つからないように3、4枚食べる。

休の日には買い物に行くと嘘をつきスーパーやコンビにを渡り歩きました。
家族には隠れて食べていたつもりでしたが、私が急激に太り始めたこともあり、私が隠れて食パンや菓子類え食べていることに皆気づいていました。止まらない過食や太っていく自分が本当に嫌でした。この時体重は70kg近くまで増加していました。

こんな風になったのは仕事のせいだと決め付け、せっかくいい条件で就職した職場を辞めました。仕事を辞め、過食は止まりましたがそれは一時的なことですぐに再発。
以前ほど多くはありませんでしたが過食は続きました。

今度は何かきっかけがあれば過食は止まると考え、独り暮らしをするような環境に就職しました。初めは治まっていましたが、すぐに再発しました。独り暮らしで自由な分過食はエスカレートしました。家に帰るまでの車の中で菓子パンを3個食べ、途中のスーパーでチョコレート、スナック菓子、菓子パン、カップラーメンを買い、家で心おきなく食べるという日々が続きました。食べた後は強い自己嫌悪がありました。管理栄養士という立場からも自分が情けなくてしょうがなかったです。

何度も何度も止めようと思いましたが、過食→治まる→過食の繰り返しでした。

今日で止めようと思い、食糧をまとめてごみ収集場に捨て仕事に行った日のことです。
帰りに食べ物を買わないよう財布を家に置き、仕事場に向かいました。仕事場に行ってもやはり食べ物のことが頭から離れません。職場ではさずがに過食ができないので1日中我慢し、仕事が終わり、家に帰るとごみ収集日ではなかったため、朝出したごみ袋がまだ収集場に残っていました。その中から食べかけのスナック菓子や手をつけていない袋にはいったままのパンを部屋に持ち帰り食べていました。

常識では考えられない用意を食べるためなら平気でしていました。
一度過食に陥ると理性が働らかなくなります。
また、病識が薄いためいつかなにかのきっかけで治るのではないかと間違った思いが抜けません。
仕事も辞めなくて良かっただろうし、わざわざ独り暮らしを始めなくても良かっただろうと考えると私のこれまでの人生は過食に振り回されてっぱなしだなと振り返ることが出来ます。
理解してもらえないもどかしさから大好きな祖父にあたったり、嘘をついているのがすごく辛かったです。